第三章【桜柄のハンカチ】

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      *  風に吹かれ、しなやかに揺れた枝から、桜の花びらが舞う。桜並木のトンネルの中、まるで雪が降っているようだ。  現場近くで葛木と合流した夏帆は、蹴上インクラインの桜のトンネルを歩いていた。京都の桜の名所のひとつで、南禅寺のすぐそばにある。琵琶湖の水を京都に引き入れた、琵琶湖疎水の歴史的な場所である。桜並木の間には古い線路が残っていて、そこは明治時代、高低差があって移動できない船を運ぶための台車が走っていたらしい。線路を歩くなんて、まるで映画『スタンド・バイ・ミー』みたいだ。  夏帆は線路の上を器用に歩く。隣を歩く葛木の目はハラハラしているけど、これくらい余裕に決まってるじゃない。てか、もし足を滑らせても、大けがするような高さじゃないし。 「ねえ、葛木。連続殺人の、ホシにとってのメリットってなんだと思う?」 「メリット――? うーん、ないんじゃない? ホシはただ、自分が殺したい人間を順番に殺害していくだけなんだし、でも犯行を重ねるほどに捕まる可能性は高くなるよね」 「そうなのよ。複数の被害者に対して殺意を持つ人物は限られてくる。それから、犯行を重ねるほどにパターンが浮かんでくる。ということは、容疑者を特定しやすいってことでしょ」 「連続殺人にメリットなんかないんじゃないかな。やるとすれば、連続殺人に見えないように、殺害パターンを変えるとか、場所を変えるとか――あ、なるほど! だからホシは、東京と京都で犯行場所を変えたのか?」 「バカね。夫婦が二日続けて殺害されたら、嫌でも連続殺人だと思うわよ。それに、桜柄のハンカチが現場に残っていたという共通点もあるし」 「現時点では、犯人しか知りえない情報だからね」 「ただ、殺害方法は同じ刺殺だけど、凶器がそれぞれ異なる点、深雪殺害の凶器は現場に残っていないのに、和磨殺害の凶器が現場に残っている点、殺害のプロセスが違う点、この辺りがちょっと妙よね」 「深雪を殺した凶器は、スーツケースに入れていたけど、流れる途中で落ちてしまったとか?」 「ま、その可能性もあるけど。でも、和磨の方は明らか殺意を持って背後から襲われているのに、深雪は正面から刺されている。正面から襲撃するのは、抵抗に遭うリスクがあるから、計画的な殺人だとは考えにくいわよね」 「うーん、確かに計画的な連続殺人にしては、殺害方法は練られている感じがしないよなあ。夏帆たんは、連続殺人じゃない可能性もあると思ってる?」 「そりゃそうでしょ。あらゆる可能性を考えるのが捜査の基本よ?」 「え、いつも割と決め打ちじゃ――」 「いずれにしても! 一つだけ、連続殺人のメリットがあるわ」  夏帆はぴょんと線路から飛び降り、葛木に向き直る。 「全部の事件にアリバイがなくてもいいってことよ」  葛木は「なるほど!」とポンと手を叩いた。 「連続殺人ってことは同一犯の犯行だから、一つの事件にさえアリバイがあれば、自動的に容疑者から除外されるってことだね」 「そう。逆に言えば、あたしたちはまず、一つの殺しを立証すればいいってことよ」  もちろん、全ての事件の真相を明らかにすることは必須だが、とにかくホシを逮捕してしまうことが先決だ。事件から時間が経つほどに、証拠を隠滅される恐れも、海外逃亡の恐れもある。計画殺人なら尚更だ。 「あのハンカチにはどんな意味があるんだろう」と葛木が尋ねた。「内藤深雪の方は、ジャージのポケットに入っていた。和磨の方は、手に握らされていた。深雪も、犯人がポケットに入れたのか――?」 「どうだろ。でも、ハンカチのもともとの持ち主は深雪自身でしょ。和磨の方は、彼の持ち物じゃなさそうだし、犯人がわざわざこのために手に入れたものってことになる」 「確か、女性ものはピンクで男性ものが水色だって言ってたよね。だとしたら、ホシは女性だと思わせるための偽装――って、そんな単純な思惑なわけないよね」  二人はインクラインから仁王門通りに下り、『ねじりまんぽ』と呼ばれるレンガ造りの小さなトンネルを抜けて、南禅寺の方向に向かって路地を進む。お寺の間を抜ける小さな路地。「京都って感じよね」と夏帆は呟く。深雪と和磨も、去年、こんなふうに二人で歩いていたのだろうか。  夏帆の携帯電話が鳴った。待っていた電話、相手は名取早紀だ。
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