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「駅前のゲームセンター知ってる?線路わきの」
サトルからのLINEが入ったのは、夏休みも半分を越え、暇を持て余しつつも、快適な自室で有意義な引きこもり生活を送っているときだった。
「ゲームパラダイス?」
「そう。噂聞いた?」
サトルの説明によると、こうだ。
駅前のゲームセンターには、ちょっと前に流行った仮想現実(VR)ゲーム『プレゼンス・クエスト』が数台並んでいる。その一番右の筐体で、ステージG4面を選択すると、草原に立つ赤い扉が見える。そこである動作を行なった者が消えてしまう、ということらしい。
よく言えば好奇心旺盛、悪く言えば軽率なサトルらしい。
「そういう都市伝説ってよくあるけどさ、消えた本人が話できるはずないよね」
「見てた人がいるんだよ」
「だれ?」
「2組の田中の兄さん」
お前、ほとんど知らない人だろ。とツッコミを入れようとしたところで、サトルから次のメッセージが届いた。
「いまから行かへん?」
よく言えば行動力のある、悪く言えば軽率なサトルらしい。
午後2時の待ち合わせに、自転車で細い坂道を下っていると、街の向こうに穏やかな海が、調整に失敗した写真のように白く輝いているのが見える。今日も蒸し暑い一日だ。左へのカーブを曲がったところで、麦わら帽子をかぶり白いワンピースを着た女の子が、両手に重そうな荷物を抱えて歩いていた。
「あれっ、カスミ?」俺は自転車のブレーキをかけながら、後ろから声をかけた。カスミとは、昨年は同じクラスだったが今年は違う。カスミは両手で荷物を持ち直しながら、「お。どこ行くの」
「いまからサトルと」
そう答えると、カスミはちょっと残念そうな顔になり、
「そっかぁ」
「え、なに?」
「ちょっと頼まれてくれない?」
カスミの頼みごとは、隣町の叔母の家まで、自転車で荷物を運んでくれないかということだった。あらゆる言い訳もむなしく、デニーズのチョコサンデーで、手を打つことにした。
「で、なんなの、この荷物? 骨壺?」
「そんなわけないでしょ」
仕方がないので、サトルには遅刻の連絡を、スマホで送信しておく。
「ゴメン。用ができた。2時間ほど遅れる。帰っててもいいぞ」
それにしても、荷物を運ぶとは言ったが、カスミが後ろに乗るのは想定外だった。前かごに乗せた荷物の重さにハンドルを取られながら、隣町までの二人乗りはなかなかのトレーニングだったが、口には出さないことにした。
「今日は叔母の家に泊まるから、またね」というカスミの声と、「夕飯食べていけばいいのに」と何故かニヤニヤと笑っている彼女の叔母の声を背に受けながら、玄関を出る。近くに停めた自転車に向かいながら、ポケットに入れていたスマホを確認すると、10件近い不在着信が入っていた。サトルからだ。
なかなか電話に出なかったので諦めたのか、最後にはメッセージが1行書かれていた。
「もう彼女はいない」
ゲームセンターに誰かいるのか。いや、いないのか。なんのことだ?
何度か折り返しの電話で呼び出してみるが、一向に電話に出る気配がない。なぜか厭な感じが喉元にこみあげ、胸の鼓動が速くなる。
「おーい、いたら返事しろ~」とメッセージを打ってみるが、既読は付かなかった。
ゲームセンター前に自転車を停め、薄暗い地下に階段を降り、扉を開けるとにぎやかなゲーム音に包まれる。夏休みなのに、客の数は多くなさそうだ。入って左奥に『プレゼンス・クエスト』のコーナーはあった。それぞれ個室になった4つのブースが並んでいて、一番左の部屋は誰か使用中のようだった。それ以外は誰も使っていない。そして、サトルも見当たらなかった。
一番右の個室の扉を開けて、部屋の中を見てみると、天井からVRのゴーグルが吊り下げられているだけでガランとしていた。ゴーグルを頭にかぶり、あとは足踏みすることで異空間を探索できるシステムになっているようだ。武器はなし。いざとなれば、素手で戦えということか。個室の内装はすべてクッションになっていて、ぶつかってもケガをしないよう配慮されていた。ここにサトルは来たのだろうか。
部屋に入り、壁に書かれた説明通りにVRゴーグルをかぶり、ゲームをスタートさせると、目の前の光景が明転した。
草原に真っ赤な扉が、どこでもドアのように立っている。噂話では、3回ノックを三度繰り返し、扉を開くと別の世界に連れ去られるということらしい。
扉を一度3回ノックしてみたが、変化は何も起きなかった。やはりただの都市伝説かという気持ちがしてきたが、続けて二度3回ノックを行ったとき、どこかでカチリと鍵が開く音がした。
ドアノブを握り、扉を開けてみると、扉の向こうは草原だった。手前の景色と何も変わらない。ただただ草原が広がり、扉の開いたドアが草原にポツンと置かれているだけだった。
しかし、よく見てみると、ドアの向こう10メートルぐらい先に、こちらに背を向け、うなだれて座っている人が見えた。ドアの横から回って同じ場所を見てみると、その人物は見えない。その人は、ドアを通した向こう側の世界にしか存在しないようだ。
ドアの敷居をまたぎ、座っている人の元へと歩を進めた。
サトルだ。
草原を数メートル歩く。現実には、ただ足踏みをしているだけなのだが、足に草が絡みついてくる感触がある。サトルに近寄り、肩に手をかけようとしたとき、
「やめなさい」突然、背後から女性の声が聞こえた。「いま声をかけると、戻れなくなるわ」
驚いて振り返ると、草原に白い服を着た女性が立っていた。どこかで見たような気もするが、思い出せなかった。何と答えればいいのかわからず困惑していると、地下にあるゲームセンターでも聞こえるほど激しい雷の音と同時にVRの画面は暗転した。ゲームセンターの照明もすべて落ちた。激しい夕立が、雷と共にこの周辺を襲ったらしい。
電源が回復して明かりが戻ってくると、VRは再起動して初期画面に戻る。ゴーグルを外すと、ただ呆然と立ち尽くしていた。ブースの外では、「ご迷惑をおかけしてすみません」とか何とか、放送が流れていた。
地上に出ると、夕立は既に小降りになっていて、あたりは薄暗くなっていた。行きかう車の灯りが、雨に濡れたアスファルトに反射するのを呆然と眺めていると、ジーンズの後ろポケットに入れていたスマホが振動する。
「今日はありがとね。」カスミからのLINEだった。
「どういたしまして」
何かの助けになるとは思えなかったが、何にでもすがりたい気分だった。カスミに電話をかけてみた。
「それより、ゲームパラダイスの噂って知らない?」
「知ってるよ」
即答だった。カスミも知っているとは意外だった。そんなにも広まっているのか。
「白い服を着た女の幽霊が出るって話でしょ」
女の幽霊だって?そんな話は聞いてないぞ。
「サトルがいない。一緒にゲームパラダイスに行く約束をしてたんだ」
「幽霊に連れ去られたの?」
「わからない。でも、ゲームの中でサトルに会ったんだ」
「からかってるの?」
「ちがう。ちがう。その幽霊の話を教えて」
「詳しくは知らないんだけど」カスミは、ちょっと間をおいて、「ゲームセンターの前の交差点で亡くなった女の子が、いまだ成仏できずにさまよっていて、一人で遊んでいる子を連れ去って行っちゃうって話」
暗くなった目の前の交差点を眺めながら、カスミに尋ねてみた。「どのゲームで遊んでると、連れ去られるの?」
「そこまでは知らない。ただ……」
「ただ?」
「連れ去られた子は、しばらくすると戻って来るんだけど、記憶がなくなってるんだって。だから、その間に何が起きていたのかは、わからないの」
「しばらくすると戻って来る?どれくらい?」
「私も行っていい?」
カスミもゲームパラダイスに来たいと言うので、入口あたりで待つことにした。蒸し暑かった熱気を洗い流した夕立のあとの風は少し気持ちよかった。目の前の交差点の信号機が何度か変わり、車の行列が規則的に直交した。
「で、もう一つの噂って?」ゲームセンターまで駆け付けてきたカスミに聞いてみる。カスミによると、白い服の女の幽霊話と、もう一つセットになった噂話があるらしい。
「それより、どのゲーム機なの?サトル君が消えたのは」
二人で階段を降り、問題のゲーム機の部屋まで来た。
「私も一緒に行くから」カスミはそう言うと、「さあ入った。入った」と、俺を部屋に押し込んだ。狭い部屋に二人は窮屈だった。
カスミは俺にゴーグルをかぶせると、後ろに立ち、「何かあったら叫んで。私が連れ戻すから」
画面が明転した。目が慣れると、そこは明るい草原だった。
「何が見える?」カスミが背中から声をかけてくる。
「草原。扉が見える」目の前の草原には、相変わらず朱塗りの扉が立っていた。空は青く、どこまでも澄み渡っていた。
「扉を開けちゃダメ」
何を言っているんだ?
「開けないと、サトルに会えないよ」後ろを振り向きながら答えた。カスミは見えず、草原が地平線まで広がっていた。
「壊すの。扉ごと。世界を」
「壊す?」
「幽霊は世界を守っているの。だから、世界ごと壊さないとダメなの」
「幽霊が世界を守ってる? この世界を壊しても、サトルは戻って来る?」
「戻って来るわ」
「でも、何もしなくても、そのうち戻って来るんだろ?」
「戻って来るわ。でも、以前のサトル君ではないの。世界が少しずつ、入れ替わっているの」
世界が入れ替わっているとは、どういう意味なんだ。カスミの説明は続く。
「一人ずつ、あっちの世界の人間と入れ替わっているのよ。だから早く、扉を壊さないと。いますぐ」
赤い扉に手をかけて押し倒すと、何の抵抗もなく倒れた。物理シミュレーションが行われているが、ユーザーの腕力は現実よりも高めに設定されているようだ。だから、扉を折りたたむように割ることで、簡単に木材の山を築くことができた。
「火を着けて」背後からカスミが言った。
右手にマッチ箱が握られていた。マッチで火を着けるなんて、小学校の理科の実験以来だった。簡単にマッチの火は移り、木材の山はキャンプファイヤーのように燃え上がった。草原には夕闇が訪れ、赤い炎と黒い煙は、雲一つない空へまっすぐに昇っていった。
「これでいいの?」
返事はなかった。
ゲームセンターから地上に出て交差点まで来たとき、スマホが鳴った。電話の呼び出し名は「サトル」だ。
「なんか電話くれた?」間延びしたサトルの声が聞こえた。
「無事だったのか?」
「無事も何も。それよりなんかあった? 電話もらってたようだけど」
「お前がゲームセンターでいなくなったと思ったから、カスミと一緒に、」
「だから、カスミのことはもう忘れろよ。死んで一年経つんだぜ」
そうだった……
カスミは1年前ゲームセンターの前の交差点で、前方不注意のトラックに引かれたのだった。その日も蒸し暑い夏の日だった。彼女は白いワンピースを着ていた。
「それと、カスミの叔母さんから電話があって、お前がカスミを連れてきましたって、家に来たんだけど、どうしようって。お前も、あまり周りに迷惑かけるなよ。いままで黙ってたけど、みんなの噂になってるんだぞ」
もう一つの噂話は、そういうことだったのか。
あの世と繋ぐ扉の燃えた炎と煙が、天に昇っていくのが見えた。
(Fin)
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