音の咲く場所

12/12
270人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
銀色の彼を恥ずかしがらせてやろう。と、そう思っていたのに…。その道のりは中々に険しそうである。 「一音くんは意地悪ですね?」 「そうですかねー」 「そうだよ」 だって絶対楽しんでるだろ。 放課後、音楽室まで連れてこられたと思ったらちょいちょいと手招きされて、ピアノの前に座らされた。 でもさ、その椅子にはもう彼が座ってたんだよ?何なら隣にもう一人分座れるスペースも空いてた。なのに何故か俺は彼の膝の上に座らされている。 つまり彼は今、俺を抱き込む形でピアノを弾いているのだ。 何て器用なの。というか、確実に俺邪魔じゃないの。というか、耳元に口が近づく度息が熱くてぞわぞわするんだけど。 たまにふっと息を吹き掛けられると、ぴゃっと身体が跳び上がった。その度に後ろでくすくす笑う声がする。 わざとだ。これ絶対わざとやってる。 「いい音がする。でもちょっとうるさいかな」 「誰のせいだよ」 「オレのせいだと嬉しいなぁ」 「くっ、何か悔しい…」 「ところで、特等席で聴く演奏会はどうですか」 「落ち着かないから普通の席がいいです」 「残念、他は満席なんだ。もうここしか空いてない」 「何て非道な演奏会なんだ…。お前はマッドハッターなの?」 「オレがマッドハッターなら、きみはアリスなの?」 「えぇ、分かんない。一音はチェシャ猫っぽくもあるね?」 「えぇ、どこがぁ?」 「意地悪そうなところと、あと何考えてるか分かんないところ」 「えらさが違うからね」 「んんん?」 「冗談。分かんなくていーよ」 「こんな曲だったかな」、と彼の指先が奏でたメロディは何処かで聴いたことがある気がしたが、すぐに忘れてしまった。 振り返るとすぐ近くにあった銀色がぼやけて、唇に熱を移されたからだ。 離れた顔に漸く捉えた、蕩けた銀色。 笑うと幼く見えてたのに、今はやたらと大人っぽい。にやりと上げられた口角はほら、やっぱりあのシマシマ猫に似てる気がする。 「…にゃんって言ってみて」 「にゃん」 「何て躊躇の無いにゃん」 「恥ずかしがらせたかったの?無駄な足掻きを」 「急に魔王になったにゃん」 「にゃんにゃん言う花芽くんかわいいね」 「しまった、己の策に溺れた」 「本当に飽きない音だなぁ」 ちゅっと今度は額に温かい感触を落とされる。俺ばっかりむずむず恥ずかしいのに、銀色の彼は涼しい顔して鼻唄なんか口ずさんでやがる。 歌まで上手いってどうなの。反則じゃないの。 「銀色大魔王め」 「それは悪口なのかな」 「分かんない」 「分かんないのかよ」 それにしても本当に弾き辛くないんだろうか。 彼がピアノに手を翳す度身体が前のめりになって、つまりは彼のお膝に座っている俺の背中とぴったり密着する姿勢になる訳で。 恥ずかしい上に彼の顔が俺の顔のすぐ横に来るもんだから、彼が動く度銀髪が頬に当たって擽ったい。 「今は、こんな音だね」 そう言って彼が紡ぎ出した音楽は今までになくアップテンポなもので、まさに俺のどきどきと困惑した心を表しているようだった。 何て的確なんだ。 「…そう言えば、さ」 「なぁに花芽くん」 ずっと聴き入っていたかったけど、今日聞いた話を思い出してふと口を開く。 すると一音はピタリと演奏をやめて俺の話にちゃんと耳を傾けてくれるんだ。 「取り壊されるらしいよ。この校舎」 「…そっか」 「俺達が卒業してかららしいけどね」 職員室で先生達が話してるのをちらりと聞いてしまったのだ。誰も使うことのなくなったこの古びた校舎を取り壊して、新しいものに建て替えるらしいと。 卒業してからのことだから俺達には直接は関係無いことだけれど、それでも俺は寂しくなった。 だってこの奇妙な演奏会が開かれていた大切な場所が、なくなってしまうってことだから。 銀色くん…一音と初めて繋がれた大切な場所がなくなってしまうのはとても寂しくて、切なかった。 「あぁ、また音が変わった」 項垂れる俺のすぐ後ろでまた、くすりと笑う声が降ってくる。 彼が弾き始めた曲は先程のアップテンポなものとは打って変わって、ゆっくり静かなバラードになった。 灰色の風景がまた少しずつプルシャンブルーに塗り替えられていく。 「一音は、寂しくないの?」 「この場所がなくなること?そりゃあちょっとはね」 「ちょっとかよ」 「でも花芽は、ずっと居てくれるだろ」 それだけで十分だよ。なんて。 そんな気障な台詞が似合ってしまうこいつの方が俺なんかよりよっぽど「こあくま」じゃないだろうか? 「不良のくせにっ」 「それも悪口なの?」 「悪口」 「そうか。じゃあ罰として、演奏会には毎回出席な」 「言われなくても来るよ」 一度知ってしまったこの心地好い旋律からは、どう足掻いても離れられそうにないもんな。 二人きりの演奏会。 奏でられるのはその時々で違う旋律。 俺の音と、こいつの銀色の音。 深い青の世界から、鮮やかな黄色にオレンジ、淡いピンクの世界まで。 二つの音が幾重にも重なって音楽になって、あらゆる世界を紡ぎ出してゆく。 その光景を一番の特等席で眺められるなんてとても贅沢なことだとは思うが、やっぱり席はもうちょっと落ち着いて聴けるところに用意して欲しいかな。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!