銀色の世界

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銀色の世界

ひとつ、ふたつと。 音が零れ落ちていく。 オレの世界はいつだって、音に溢れすぎていた。 「ねぇあれって」 「カッコ良くない?声掛けてみる?」 …好奇の音は、甲高くて耳障り。 例えるなら黒板に爪を立てるような、そんな音。 「やめとけよ、何されるか分かんねぇって!」 「あいつ一人で他校の不良何人も病院送りにしたって」 「ヤバい人とも繋がりあるとか」 ねぇよ。 …畏怖や恐怖の音は、太鼓のように、低く身体に響くよう。 「あらぁ、あの子神楽木さんとこの」 「相変わらず派手ねぇ」 「一体どういう教育してるのかしら」 …懐疑や詮索の音も、好奇の音と似たようなもの。声に紛れてそれらはざらざらとオレの耳をいやに揺らした。 教育、ねぇ。 生まれた時からオレの髪はこうだった。 染めたことは一度もない。瞳も、睫毛もずっとこの色。親父の親父がイタリア系だとか聞いたことがあったけれど、血筋なんてどうでもよかった。 ただ周りが煩くて、ただ、静かなところを欲していた。 「高校上がったら一人暮らしするから」 「………そうか」 無関心は、音がしない。 「高校生で一人暮らしだなんて…本当にいいの?高校、そんなに遠いところ受けるの?」 心配の音は雨音のよう。 ぽちゃんぽちゃんと溜まっていって、数ある音の中でも割と好きな音。聞いていて、鬱陶しくない珍しい音。 「…それじゃあ」 「…たまには、連絡しろ」 ぽたり、と。 家を出る日、親父から雫が滴る音がした、気がした。 音がしない生活は思っていたより静かで、快適で、退屈だった。 一人になりたいだなんて言ったけど。本当は…。 本当は、オレのせいで家族が色々言われるのが嫌だった。だからまぁ、オレが離れればいいんだなと、それだけだったのに。 オレは自分が思っていたよりずっと寂しがりだったのだと知ったのはあの音に出逢ったせいだった。 『銀色くん』 突然舞い込んだ、音。 楽しげな音、わくわくする音、癒されるような優しい音、穏やかな音。 どれもこれも、聞いたことのない音が混ざって音色になっていく。 深い海のようでいて、色々な種類の感情が魚のように泳いでいて、その底には。底には、いつしか聴き覚えのある音がこつん、と転がっていた。 そっか。引っ越してからも何処かで何度も聴いていた、この音は。 「寂しい」の音。 …寂しいんだ。オレも、あの子も。 こんなにも色鮮やかな世界を持っているのに、ただひとつ転がった鈍色のそれに彼は気づいていたのだろうか。 溢れ出した感情はオレのものもあの子のものもあって、二人分合わさればどんな世界だって表現できる気がした。 放課後の密やかな演奏会。オレとあの子だけの、ふたりきりの演奏会。 どの世界も見たことのない、聴いたことのない音に溢れていて、どんな色だって表現できた。 ふたりなら、海にも森にも、空にだってなれる気がした。 だけど、どの世界にもやっぱり。 こつりと控えめに「寂しい」の音は響いていた。 …こんな音、この心地好い世界には似つかわしくない。 きみには似合わないよ。 彼を知れば知るほどそう思った。 「ねぇコレ、何て読むの?」 「ふぇ?」 思わず話し掛けた時、彼はほんの少し驚いた風だったけれどすぐに順応した。 「か、が…?はな、」 「はなめ、です。如月、花芽」 「はなめくんだ」 「はなめくんですね」 「何で敬語?実は飛び級?」 「残念ながら日本の公立校にそんな制度は…あるのかな」 「ないと思う」 「だよね」 「変な子だね。花芽くん」 話してみると本当に変わってる。何がって、話す時にオレの目を真っ直ぐ見つめてくるところとか。心の奥まで、見透かしていそうなところとか。 何だか不思議な雰囲気を纏った彼からは深緑のような匂いがした。 だからだろうか。 いつもは見られることも、興味を持たれることすら嫌なのに、この時ばかりはオレをちゃんと見て欲しいと思ってしまったんだ。 「何ですか」 「花芽くんは、興味持ってくんないんだね」 「何に?」 「オレに」 「興味…。ない訳じゃ、ないよ?」 無意識にか、こてんと首を傾げて捻り出した言葉に笑いそうになる。 「こあくまだ」 「こあ熊」 「ベアーの方想像したでしょ?違うからね」 「違うの?こあっていう種類の熊なのかと思った」 「天然なんだなぁ…」 天然だ。天然でコレだから、予測がつかないんだ。面白い。なのに、あの音は消えない。 話せば話すほど、その手に触れれば触れるほど、ふたつの世界が溶けてしまって、もうどうしようもなく離れられなくなる気がした。 こつん、こつん、と。 次第に少なくなった鈍色の音はやがて聴こえなくなって、代わりにまた、ぽちゃんと雫が滴るような音がどこかで響くようになった。 彼がオレの部屋に来た日。 オレはまた聴いたことのない音を聞いた。 聴いたことがないから表現のしようがない。 けれどオレの怪我を見抜いた時の、確信した時の彼からはこつりでもぽちゃんでもなく、もっと硬い音がした。 あれは、今思えば多分、怒っていたんだ。 彼が静かに怒るとき今でもたまにあの音がする。 オレは、それすらも…キレイな音だと思ったんだ。 奇妙で穏やかで、たまに煩くて意味分かんなくて、でも…癒される。 心配されると嬉しい。 怒っていてもそれがオレのためなら嬉しい。 でも笑っていてくれるのが、一番嬉しい。 馬鹿なきみは笑っている時が一番いい音を奏でるんだ。例えすべてが美しくなくても、きみが奏でる音ならきっとすべてが愛おしい。 だからもっと、もっと。 オレの世界に音を響かせていて。 「…ずね、一音」 「…はなめ」 「かずね」 「はなめくんだ」 「はなめくんですね」 「ふふっ、かぁいい」 「寝惚けてんの?そんなとこで寝るならベッド行きなよ」 「ソファーも気持ちーよ。一緒寝よ?」 「うわっ、引っ張るなって、わぁっ!」 「ふっ、あははっ!」 「…酔っ払ってないよね?」 「ないよー」 ぎゅってする。そしたらぎゅって返ってくる。 ほうらね、やっぱり心地好い。 世界で唯一、オレを落ち着かせ、たまに掻き乱すこの音を、この音の主を、オレは絶対に手放すことはないだろう。 「一音くん、俺ね」 「うん、なぁに」 「風呂、入りたいんだけど」 「じゃ一緒に入る」 「決定なんだ」 「うん。決定事項だね」 お風呂場で聴く音はぽたりぽたりと狭い空間に響くけれど、それは心配の音でも寂しいの音でも何でもなくて。 ただただ、心地好く二人の世界を彩っていく。
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