16人が本棚に入れています
本棚に追加
第一話 悪魔と名付けられた子
僕はこの部屋の唯一の窓のカーテンの隙間から、外の様子を見ていた。
至る所から火の手が上がり、黒い煙が王宮を包み込んでいた。
(きっとここはもう保たない。)
僕は恐怖心から震える指先を擦り合わせた。両手にはめられた重たい手錠に繋がった鎖がジャラン、と音を立てた。その鎖は鉄製のベッドフレームに繋がれていた。そうでなければ僕は使用人たちと共に早々とこの戦場と化した王宮から逃げ出していただろう。
(死ぬ前にもう一度だけ外に出てみたかったな。)
閉じたカーテンの隙間から空を眺めるのはもう飽きた。しかし、戦火で赤く染まった空ですらもう拝めなくなるのであればとても愛おしく思えた。
僕が幽閉されているこのスノーコット宮殿は、四大帝国の一つ、アラスタリス帝国の最北端にあるスノーコット王国にある。ここから北の方角に見える広大なダガ運河を挟んだ対岸からは、今は休戦状態のはずであった敵国、ガランダウスの領地が広がっている。
―――はずであった、というのは今から1時間ぐらい前、王宮近衛隊の騒がしい声を聞いたかと思うと、大きな爆発音と共に瞬く間に王宮は火の海と化したのだ。慌てふためく間もなく、兵士たちの怒号や王宮使用人たちの悲鳴、銃声や剣が交わる音が聞こえ、僕はガランダウス軍が休戦協定を反故にし攻めてきたことを悟った。
アラスタリスとガランダウスの国境の国々の中でも流れの激しいダガ運河に守られているスノーコットは守備が手薄だった。だから逆手に取られたのだ。ガランダウス軍は空からの奇襲に長けていると何時ぞやの新聞で軍事評論家が述べていた。
僕はというと、スノーコット王国国王アルベルト=スノーコットの1人息子である。とある理由から7つになると同時に王宮の最東端にある部屋に閉じ込められることになった。それから10年間、この部屋の外に出たことはない。たまに盲目の使用人が食事や新聞などの書物を持ってきてくれるだけで誰とも会うことが許されなかった。
もし僕に見つければ王族である僕は間違いなく殺される。しかし、どうあがいても鎖の音がむなしく響くだけだ。鎖から運よく解き放たれたとしても僕はきっと逃げ延びることはできない。
その時、爆音と共に窓が外壁ごと吹き飛んだ。ガラスの破片が飛び散り、僕は自由の効かない両腕で飛んでくる破片から必死に頭を庇った。
『おい、ガキがいるぞ。』
ドクン、と大きく僕の心臓が揺れた。
恐る恐る目をやると、窓枠から敵兵が2人、身を乗り出してこちらを見ていた。腰に携えられた血がこびりついた刀剣とガランダウス人特有の赤黒い瞳に僕は底知れぬ恐怖を覚えた。
『た、たすけ…』
僕は必死に声を振り絞ったがうまく声にならなかった。小刻みに揺れる体に合わせて手錠の鎖がジャラジャラと音を立てた。
窓から侵入してきた兵士の一人が僕と目が合うとニタアと笑った。
僕の喉は急に乾き、目からはボタボタと涙が滴った。
これが絶望か。
兵士は乱暴に刀剣を抜き取り僕の方に歩み寄ってきた。
『綺麗な翡翠の瞳だなあ、くり抜いて貴族に売り付けよう。』
『いい値で売れそうだ。』
僕は無駄だと分かりながらも鎖の限界まで後ずさった。しかしすぐに、背中はベッドのヘッドボードに触れた。
『嫌だ…助けてください…。』
兵士が血みどろのサーベルを振り上げた。風を切る音がした。
しかし、その刃が僕に振り下ろされることはなかった。
傅くように、その兵士は僕の足元に倒れた。
『ひぃ…。』
ベッドからずり落ちた男は、目や口から血を噴出して死んでいたのだ。
『おい、貴様!何をした!』
もう一人の敵兵が僕に銃口を向け、引き金に指をかけた。
しかし、男が引き金を引く前にその銃身は床に転げ落ちた。
『邪魔だ。』
大破した外壁の外から声がしたかと思うと、兵士は反対側の壁に吹き飛ばされた。その胸には美しい装飾のサーベルが突き刺さっている。
僕は何が起こっているのか分からずベッドの上で一人身を震わせることしかできなかった。
剣を携えた長身の男が、するりと部屋の中に降り立った。黒衣の胸にはアラスタリスのエンブレムが掲げられており、一応敵ではないことが分かった。
『お前が、ナイトメア=スノーコットか?』
青み掛かった黒髪、血のように紅く、しかし冷たい目が僕を見下ろした。僕は本能的にその男に、敵兵以上の恐怖を感じた。
最初のコメントを投稿しよう!