第14話 看病

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第14話 看病

「ごめんなー翠ちゃん、世話ばっかかけて」 「いいえ、貝原さん一人暮らしですもん、こういう細々(こまごま)としたことやる人いないでしょ?」 「いやー、JKにお世話してもらうなんて、オレ、もういつ死んでもいいや、なんて」 「駄目ですよ、ここでそんなこと言っちゃ。だいたいあたしが許しません。人を死なす為にやってんじゃないですから。はい、お箸とスプーン洗っておきましたから、ここに入れますよ」 「あー有難う、ごめんねえ」 「で、パジャマ着替えてください。洗濯してきますから」 「いやー(かたじけな)い」 「それとお財布、こんなところに出しっ放しにしちゃ駄目です。病院も結構物騒なんですよ」 「あー、そうだねー」  朱雀は検査の結果、気管支異常が見つかり、当分検査入院することになった。一人暮らしの朱雀は困ってしまったが、翠が自ら申し出て、朱雀の入院中の身の回りの世話をしてくれている。 「彩葉ちゃん、怒ってるだろーなー、演奏会ぶち壊したからなあ…」 「彩葉は大丈夫です。貝原さんに怒ってなんかいませんよ」  朱雀が倒れた後、彩葉も半ば失神状態になったことは翠も朱雀には言えなかった。 「だってさ、全然来てくんないじゃん」 「それはね、小島先生とかにいろいろ言われてるんじゃないですか。静養させてあげろとか」 「そっかなー」  しかし翠には解っていた。彩葉も本当は来たいに違いない。怖くて来れないんだ。あたしの忠告を無視して突っ走って、どのツラ下げてって思ってるんだ。きっと、貝原さんのこと好きなのに。 +++  確かに彩葉はショックで2日ほど学校を休んだ。そして少し落ち着いた3日目に、行きつけの眼科を訪れていた。白い髭を蓄えた老医師・北御門 薫(きたみかど かおる)の古い眼科だ。彩葉はこっそり打ち明けた。 「あのう、まだお母さんにも言ってないんですけど、赤色だけ見えるようになったんです」 「へえ? そいつはびっくりですねえ。いつからですか?」 「4日前からです。学校で演奏会があって、フルート吹き終わったら突然見えるようになったんです」 「ふうん、じゃあ、これ見えますか?」  老医師は壁のカレンダーを指さした。 「はい。土曜日とか日曜日は赤で書いてあります」 「ほう、じゃ、この写真は?」 老医師はカレンダーを(めく)る。どこかの高原の風景写真だった。 「ところどころに赤いお花が咲いています。他はみんな真ん中の色です」 「なるほど。ちゃんと見えてそうだなあ。不思議ですねぇ、先天性色覚異常の場合は治るはずないって言うのが定説なんですけどねぇ。それも赤だけなんてねぇ、L錐体だけ働き始めたのかなあ」 老医師は首を(かし)げた。 「否定するつもりはないですけど、一度大学病院で診てもらった方がいいでしょう。お手紙書きますからね、持って行ってもらって、今後のことも相談されてはどうでしょうか」 「はい」  そして夏休みに入って、彩葉は大学病院を訪れた。朱雀のお見舞いに行かねばと思うものの、翠が世話のために通っているというのを小島先生から聞き、行き辛くなっている。  大学病院でも、診断内容はほとんど変わらなかった。『本来あり得ない』と言われたが、実際に彩葉が赤色の物を言い当てることから否定もできない。結局、様子を見ましょう、3ヶ月程したらまた来て下さいで終わってしまったのだ。お母さんに言うべきかどうか…、迷いながら彩葉がロビーを歩いていると、館内のコンビニから出てくる制服が目に入った。翠だ。ってことは、ここなんだ、貝原さん。  彩葉はこっそり翠の後をつける。エレベータに乗り込む翠を陰から見送り、エレベータの停止フロアを確認した。6階だ。壁に貼ってある案内図では呼吸器内科・外科病棟となっている。どうしよう…。 暫くロビーをウロウロして逡巡していた彩葉だったが、最後は決心し、目を瞑ってエレベータのボタンを押した。    6階で降りた彩葉は迷いながら歩く。少し行くとナースステーションがあった。アルコールポンプで手を消毒した彩葉は、窓口でキーボードを叩いているスタッフに声を掛けた。 「あのう、ここに貝原朱雀さんって入院されていますか?」 「え?貝原さん? ああ、いらっしゃいますよ。634のお部屋ですよ。モテモテねえ貝原さん。もしかして西谷高校の生徒さん?」 「はい、そうです」 「丁度良かった。ちょっとお手伝いしてもらっていいかな?」 「お手伝い…ですか?」 「そう、今、一人やってくれてる子がいるのよ。よく気が付くし、みんな助かってる。貝原さんって自分で何にもできないみたいでさ、検診とか点滴とかも、その子がちゃんと見てくれるのよ。ここに就職して欲しいくらい」 そっか、翠、大活躍なんだ。 「でもさ、高校生だし、毎日って訳に行かなくてね。今日もついさっき出てっちゃったのよ」 あれ、そうなのか。 「えっと、私、色覚の異常があるんですけど、大丈夫ですか?」 「あら、どれくらいの?」 「一色型色覚って言われています」 「えー?一色型? あ、ごめんね、滅多に聞かないから。そうか、じゃあ色は見えないってこと?」 「あ、でも、こないだから赤だけ見えます」 「え、そう言うのあるのかな」 「さっきも眼科で、有り得ないって言われたんですけど、実際見えてます」 スタッフは興味津々で彩葉の目を覗き込んだ。 「ふうん、そうなんだ。でもちょっとねえ…」 その時背後から別の声がした。 「駄目に決まってるじゃん。見間違えたらどうするつもりよ」  翠だった。スタッフの顔が(ほころ)ぶ。 「帰ってきてくれたんだ、高倉さん」 「はい。中のコンビニに無かったんで、外へ行ってたんです」 「そう、有難う」  翠は彩葉の腕をつかんで、エレベータホールへ引っ張った。 「よく来れたよね、ここに。貝原さんはあたしが責任もって見てるからご心配なく。それにもうちょっとしたら東京へ帰るから。あっちの病院へ行くから。彩葉の次の先生のことはあたしには解らないから、小島先生にでも聞いて。じゃ」  翠はエレベータのボタンを押して、開いたエレベータの中へ彩葉の肩を押した。彩葉は何も言えずエレベータに乗り込むしかなかった。 +++  朱雀の病室に戻った翠だったが、先程断片的に聞こえた話が気になる。彩葉、赤だけ見えるって?マジ?なんで? 何があったんだろう…。考えながら、コンビニで買った品々を冷蔵庫の中に入れる。その時、ベッドの外から声がした。 「朱雀、大丈夫か?」 翠は慌てて立ち上がる。誰? 「あー、オヤジ、ごめんな心配かけてさ。あ、姉ちゃんも来てくれたんだ」  見ると北原先生位の年配の男性と、若い女性が立っていた。二人は怪訝そうに翠を見る。朱雀がそれに気がついた。 「あ、この子ね、オレが講師で行ってる高校の看護科の子なんだ。教えてる子の友だちでさ、いろいろ世話になってて頭上がんねえんだよ。オヤジからも礼言ってくれ」 「そうか。いや、すみません、朱雀の父親です。すぐに来れなくて申し訳ない。あ、こっちは朱雀の姉です」 父親は後ろにいた女性を手で示した。 「貝原瑠璃(かいはらるり)です。弟が世話になりました」 ロングヘアの落ち着いた、しかしきれいな女性だったがニコリともしない。朱雀が弁解っぽく言った。 「姉ちゃん愛想悪くてごめんな」 「うるさいわね、寝てなさい」 朱雀は瞬殺されている。 「あの、初めまして。高倉翠と言います。西谷高校看護科の2年生です。こういうの、勉強半分ですから大丈夫です」 「高倉、翠さん・・・?」 朱雀の父親が小さく呟いた。瑠璃が父親の顔をそっと伺う。朱雀は自慢げに言った。 「だよ。美人ナースになること請け合いだねー。オレが初めての患者だよ」 「いや、本当にすみません。転院までしばらく瑠璃もいるので、こちらで出来ることはしますので」 父親は言い、更に 「じゃ、ちょっと先生のところ、行ってくるわ。いろいろ話があるみたいだから。瑠璃は残っててくれ」 と続けて、ベッド脇から立ち去った。翠は瑠璃に椅子を勧めて、スクバを持ち上げた。 「あの、あたしはこれで失礼します。後は夕食まで検査もないと思いますし、食事は病院のクラークさんがやって下さいますので」  瑠璃は小さく頷いた。  翠は引っ掛かるものを感じながら廊下を歩いた。ナースステーションで挨拶し、エレベータを待つ。陽気な貝原さんとは対照的なお姉さん。まあそんな姉弟もいるんだろ。しかし何だろう、貝原さんのお父さんのあの視線。まさかあたしを息子の嫁にとか思ってる?いやいや、それって早過ぎるし。 転院まであと3日。もうあたしには出来ることはない。あと3日か…。翠もまた焼ける想いを抱えてエレベータに乗り込んだ。
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