第8話 ドレミファの色

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第8話 ドレミファの色

「ドレミファが赤橙黄緑ってこと?」 「そう言ってた」 「へぇ、さすがは音大生だねえ」  彩葉と翠は下校時によく立ち寄るドーナツ店でチュロッキーを齧っていた。 「まさか翠と貝原先生が結託してるとは思わなかったよ」 「だって悪そうな人じゃないよ。見掛けは変わってるけどさ、情熱あるよ」 「でもチョー軽ワザ師だよ。話もプッツンプッツンだし」 「だけど東京の音大なんでしょ。それって凄くない?」 「ま、ちょろっとしか見てないけどピアノテクは凄かった」 「運命なんじゃない? 尻もちが取り成す縁みたいな」 「あー、それ黒歴史だよー」  彩葉はホットチョコレートを一口飲む。翠がその赤いマグカップを指して言う。 「ドは赤、艶やかなドは紅なんだ」 「まあそこはね、ドはドーナツだから、私には同じような色かなーって思うんだけどね、レはレモンでミがミカンだからさ、橙色と黄色って逆じゃないの? レモンは黄色だよって聞いてるし、ミカンは橙色でしょ?」 「うーん、そう言われれば…って、違うでしょ。ミは『みんな』のミでしょ」 「あれ?そうだっけ?じゃ、『みんな』は黄色なの?」 「うーん、それは難問だな」  翠はレモンティーについているポーションカップをつまんだ。 「彩葉、これ、何色に見える?」 「薄い真ん中の色」 「だよねえ。『みんなのミ』がこの色ってイメージ湧きにくいよねえ」  一瞬、彩葉の心にレモンのような酸っぱさが射し込まれた。本当は見えないって悔しい。レモンの黄色はこんな気持ちの色なんだろうか。鼻の奥がツンとなる。せり上がる涙を飲み込んで彩葉は気を取り直した。 「ドレミの歌と合わせるのに無理があるのかな」 「だってその貝原先生、音に色があるって言ったんでしょ?」 「んまあ、そんな感じのことを言ってた」 「じゃ、やっぱ音聴きながらとか出しながらイメージする方がいいんじゃない?」  彩葉は今日のレッスンを思い出した。今日は『ド』の日だったのだ。 「一所懸命『ド』ばかり聴かされたけどさ、でもそれが赤って言われても結局わかんなかったのよ」 「おお」 「低いドと高いドが同じ赤ってのも理解できないし」 「おおお」 「赤と紅も区別つかない」 「んー」 「やっぱ、違う楽器の方がいいのかな」 「そうだよ彩葉。ピアノでさ、低いドとか弾いても静脈の赤って感じだだけど、彩葉がフルートでドを吹くと、きっと紅に聴こえるよ」  彩葉は普段練習しているエチュードの曲を思い起こした。確かに音が流れて散って、もしかしたら色のグラディエーションもあんな感じなのかもしれない。 +++   翌週のレッスンでも朱雀は根気よく、単音の表情を聴かせた。ピアノのいろんな音で色を解説する。 「な、これって同じファでも表情が違うだろ?同じ色でも実際は曇ってるのとか、ぱあーって明るいのとかあるんだ。それと同じ。曲を演奏するとさ、音たちがぱぁーって飛んでくだろ?それっていろんな色のほれ、紙吹雪みたいなのが飛んでくのと似てるんだよ」 「んー、解るような解らないような…」 「いや、彩葉ちゃんは解ってるって!」 「あの、授業中ですから彩葉ちゃんじゃなくて糸巻さんですよね」 「おっと、そうか…、じゃ、糸巻さん。フルート吹いてみて」  彩葉は先週持参するように言われてたフルートを取り出した。朱雀はピアノで『シ♭』を叩く。 「チューニングできてるよね?」 「はい、多分」 「じゃ、何でもいいや、フレーズ吹いてみて」    彩葉はシラソファミと一気に吹いた。朱雀がハモる音階をピアノで弾く。上手く合わせるのは流石、音大生だ。 「ね、今さ、紫、藍、青、緑、黄色のフルートの明るい欠片とさ、ちょっと落ち着いたピアノの欠片がさ、ふわーって飛んでったでしょ?」    そう言われればそう言うものたちが飛んでいく(さま)が、彩葉の脳裏に浮かんだ。 「そんな気もします」 「それがね、例えばオケだったらものすっごい数になって舞い散って舞い回って、もうそこいら中、大変なことになるわけよ。なかなか落ちてこないのとか、まっすぐ滑ってオーディエンスのところに届くのとか。彩葉ちゃんに、じゃない、糸巻さんに見える、白と黒といろんな真ん中の色の欠片がさ、一斉に舞って滑って揺れてオーディエンスに届くところを感じてみて! それがハーモニーなんだよ」  彩葉は目を閉じてみた。何度も聞いたことあるオーケストラ。いろんな音が届いた。上から下から、速いの遅いの、耳からお腹から、全身に届いた。あれは音だけど色だったのか…。 「ちょっと解った気がします」  朱雀はにっこりした。 「キミなら解ると思ったよ。大丈夫。一度その感覚を身につけたら、きっとこれからそういう風に聴こえて見えるから。じゃ、今日はここまでにしよう。いっぺんにやると破裂しちゃうからね。腹八分目っていろんな極意だよ」  軽い割には時々いいこと言うな。彩葉の頬も緩んだ。 「有難うございました。あの、先生そろそろ期末の課題を決めなくちゃいけないんです。主科の先生と相談するんですけど、貝原先生にも意見聞いていいですか?」 「おお!期末の演奏会ってことね?ソロなの?」 「うーん、そこは応相談みたいですけど、伴奏とか頼む場合は、他の子にお願いしなくちゃですから早めに言わなくちゃいけないんです。個人的に頼んでもいいし、先生に聞いて決めてもいいんです」 「ふうん。この学校の生徒じゃなきゃ駄目なの?」 「さぁー、他の学校の子って、難しいんじゃないですか?平日に来てもらう訳だし」 「いや…」  朱雀の顔は急に真面目になった。 「オレ、じゃ駄目かい?」 「は?」  彩葉の目が点になった。
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