5 放棄

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5 放棄

 見慣れた病室の天井に、首を横に振る。 「残念だが」  聞き慣れた主治医の声を、アキラは遠くに聞いていた。  父から聞いた事件の顛末が、脳裏を過る。  あのパーティー会場で提供された酒類に入っていた猛毒で、あの会場にいた学生達の殆どが亡くなったこと。大量殺人の計画を立てた者と実行者達はすぐに捕まったが、その犯人達は全て、最近成立したあの、アキラの心臓移植にも使われた臓器が提供された法律に基づいた臓器移植を受けた者達だということ。 「あの法律による臓器移植と、犯罪との因果関係は分からないが」  あくまで冷静な主治医の言葉に、頷く。 「人々の安全を脅かす要因を取り除くことは、我々『普通の人間』の生存権を守るために、必要なこと」  母は、泣いているだろう。下がりきった形の良い眉が、脳裏を過って消える。従兄のヨウイチの母である、伯母さんの顔も。どうでもよい。腹の底に溜まった冷たい感情のまま、アキラは主治医に承諾の頷きを返した。  すぐに、眠気が訪れる。 「残念だが、仕方が無い」  主治医の言葉が消えた途端、別の声が、アキラの耳に響いてきた。 「しかし、心臓以外は丈夫なのが、もったいない」 「こっそり摘出して、闇ルートで流すのも良いんじゃないか?」 「だな。この仕事も、この世界も、いつまで保つかわからないし」  右から左に流れていく声も、小さくなっていく。  どうでも良い。呟き損ねた声は、喉の奥で消えた。
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