1 病室にて

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1 病室にて

「心臓、ちゃんと動いてるか?」  僅かに揺らめいた視界の先の人物に、笑って頷く。 「順調だって、先生が」  本当は、まだ少し熱っぽい。だが、目の前の元気な従兄に弱さを見せても、仕方が無い。 「全く、叔父さんも叔母さんも拘りが強いんだから」  斜めになった病室のベッドに頭を預けたアキラの耳に、医療工学を専攻する従兄らしい言葉が入ってくる。 「今は、自分の細胞から、拒絶反応も出ない丈夫な心臓が簡単に作れるっていうのにさ、『生が良い』って言い張っちゃって」  肩を竦める従兄に、アキラは曖昧に笑ってみせた。幼い頃からの付き合いだから、従兄の居丈高な物言いには慣れている。自分の細胞から作成できたのは、不完全にしか動かない心臓。技術の進歩を待っているわけにはいかない。 「アキラに移植した心臓、例の新しい法律の年寄りの物、なんだろう?」 「らしいね」  アキラの胸を指差した従兄に、表情を崩すことなく頷く。  限られた資源の中でなるべく多くの人間が幸せになるようにするための法律。病床でも受講できるオンライン講座ではそのような説明がなされていた。その法律に従って亡くなった、頭脳は壊れているが内臓は丈夫な老人から移植された心臓が、今はアキラの胸の中にある。  法律の是非は、まだ中等教育も修了していない未成年のアキラには関係の無いこと。腹に蟠る冷たさを、僅かな首の振りでごまかす。ロボットや人工知能が、かつて人が行っていた単純作業を代替してくれている。この時代に必要な人間は、人工知能にはできない思考をする者だけ。数は、それほど必要無い。アキラや、優秀な成績で中等教育機関を卒業した従兄のヨウイチなど、若くて柔軟な思考ができる人間さえ、居れば良い。仮想現実内の会話をいつの間にか打ち切っていた従兄に苦笑すると、アキラは、顔の上半分を覆っていたヘッドセットを外した。  急に眩しくなった視界に、窓の外の空の青さが映る。  しかしすぐに、人工知能によってブラインドが下ろされ、アキラ一人が使っている病室は普段通りの、灰色の静けさを取り戻した。  熱はあるが、眠たくはない。ベッド横の棚に置いたヘッドセットを再び装着する。この装置さえあれば、面会謝絶でも従兄とたわいの無い話をすることができるし、『学校』に通うこともできる。小さな命令一つで仮想現実のチャンネルを切り替えると、アキラの『意識』は病室のドアノブに手を伸ばした。  小さい頃からお世話になっている小児病棟内を、意識だけで歩く。長期で入院している子供も、短期の入退院を繰り返している子供も居るから、知っている顔は半分くらい。話したことのある子供は、……今はいない。僅かな淋しさを、再び首を横に振ってごまかす。そう言えば。女子が集まる大部屋の横を、見ないようにして通り過ぎる。初等教育を受けていた頃は一緒にこの病棟の院内学級に通っていた、腎臓に疾患を抱えていたあの子は、どうしているだろう? アキラと同じように、自分の細胞から作る臓器では病気が再発するという理由で、入退院を繰り返していたあの子は。確か、移植ができる他の人の腎臓を探していると、ずっと前にアキラの病室に生身で現れた時に言っていた。ドナーが見つからなくて、また、自分の細胞から作った不完全な腎臓を移植して退院したのだろうか? まあ、良いか。疲れを覚え、意識を自分の病室に戻す。  自分と同じように、あの子にも、ぴったりの丈夫な腎臓が見つかると良い。薄暗い病室で、息を吐く。熱が、上がっているようだ。ヘッドセットを取ることなく、アキラは硬いベッドに身体を預けた。
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