第8話 索引の精霊司書と学僧団の痕跡。まさかのキャンパスいも餅弁当

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第8話 索引の精霊司書と学僧団の痕跡。まさかのキャンパスいも餅弁当

館内の最奥部に着くとそこには石の台があり、重厚な革表紙の書籍が一冊置かれていた。 でも、図書館というわりには書架も何もなく、薄暗くだだっ広い空間が広がっているだけだ。 リジュは石台に近づくと、革表紙の本にそっと手をかざした。 「ドクトルの号において命ず。索引の精よ、我が問いに答えたまえ」 そう唱えると本の表紙に先ほどの扉のようなピンクの光が満ち、ひとりでにぱたん、とページがめくられた。 ぱたぱたぱたぱた、とどんどんページがめくられていき、やがて本全体が光りだすとその上に小さな小さな女の子の姿が浮かび上がってきた。 すごく長い薄桃色の髪に、背中には妖精のような羽が見える。まるでティンカー・ベルだ。 「ようこそドクトル、エフェンディ。わたしはこの館の司書、すべての収蔵図書の総索引(アンデクス)です」 驚いて目を丸くしているわたしに、リジュはクスッと笑いかけた。 「魔導の図書館にはね、精霊の司書がいるの。彼女は索引の精。ここの蔵書のすべてを統括しているの」 そう言うと女の子の精霊に向かい、 「アンデクス、"魔導"をタイトルに含む学位論文を見せてほしい」 とオーダーした。 「イエス、ドクトル」 精霊が返事をすると同時に、何もなかった館内の空間いっぱいにおびただしい量の書物が一瞬で出現した。 整然と空中に浮いたそれらはよく見るとホログラムのような半透明で、淡い光を発して周囲を照らしている。 「そのうち本文に"マレビト"を含むものを、新しい順に並べてちょうだい」 すると今度は浮かび上がった本たちがすごい勢いで一斉に入れ代わり、同時に消滅していくものもあってさっきより全体の量が少なくなった。 浮かんで並ぶ不思議な本のひとつひとつをリジュが指でさしていくと、そのすべてが自動的にページを開き彼女の眼前に静止していく。 「アンデクス、ブックマークを。"マレビト"のキーワードで」 「イエス、ドクトル。色を選ばれますか」 「青にして」 「イエス、ブックマークしました」 わたしは唖然としてそのやり取りを見ていた。 ――すごい! これは、魔法の力で制御された学術の検索システムなんだ。 リジュは使い方を実演しながら、その仕組みを教えてくれた。 この神殿状の館はいわば"端末"のようなもので、この地下に書籍の原本が厳重に保管されているのだという。 アンデクスと呼ばれる索引の精霊司書は、それらの内容すべてを魔力のデータとして投影できるのだ。 学位や研究分野によってアクセス制限はあるが、大戦前のかつては多くの学徒がここで学び、たくさんの精霊司書が宿っていたそうだ。 だが、いまやこの桃色髪の総索引ただ一冊になってしまった。 精霊司書は研究活動のため、書物の姿で学僧たちの旅に随行することもあったそうで、大戦で多くの学徒とともに失われてしまったのだ。 「イオ。わたしたちの言葉が通じるのは、この世界にかかっている大きな魔法のおかげなのは知ってるわね。でも、気づいていると思うけど文字は勉強しないと認識できない。それに古代のものも含めると、おびただしい言語があるわ。わたしもそのすべてが読めるわけじゃない」 リジュは手を止めて振り返り、わたしに語りかける。 「でも。この館でアクセス可能な文書なら、頼めばアンデクスが読み上げてくれる。どういう情報を検索するか工夫すれば、あなたの知りたいことに前よりずっと近づけるかもしれないわ」 リジュは学位の権限を使って、わたしがいつでもこの図書館を使えるようにしてくれた。 「エフェンディ、いつでもお待ちしております。許可される限り、お役に立てれば幸いです」 アンデクスがにっこり笑い、わたしに小腰をかがめてお辞儀をしてくれる。 この世界のこと、尋ね人を探すヒント、そして元の世界に戻る方法……。 それらを求めるための情報収集基盤を用意してくれたのだ。 本当にありがたい。あとは使ってみながら、どれだけ必要な情報にアクセスできるか工夫と研究のしどころだろう。 ものすごい魔法の検索システムに興奮しているわたしに微笑みかけて、リジュはもう一度アンデクスに向き直った。 「ところでアンデクス。直近でこの図書館に訪れた人は誰か、来館記録はある?」 リジュの問いにアンデクスは、 「お答えできません、ドクトル」 とすかさず答えた。 「では、最後に来館者があったのはいつ?」 「昨日の正午です。ドクトル」 やっぱり、とリジュが小さく呟くのが聞こえた。 「閲覧記録は……これも教えてくれないわね。では、現在館外に持ち出されている原本のリストを出してちょうだい」 「イエス、ドクトル」 アンデクスの回答と同時に、さっきまでとは異なる書籍の魔力データがわたしたちの眼前に浮かび上がった。 今度はさして多くない冊数だ。タイトルを見渡したリジュが、確信ありげに頷いた。 「すべて異世界に関するものや、転移魔法に関する論文だわ。持ち出しの日付にはアクセスできないけど、イオと出会う直前にわたしが来たときは、どれもまだ原本があった」 最後にもうひとつ、とリジュがまた声をかける。 「"勅封書群"は、すべてそろっているかしら?」 一瞬の間があき、 「お答えできません、ドクトル」 と、アンデクスは簡潔で機械的な返答をするのみだった。 けどリジュは力強く頷き、礼を述べて踵を返した。 「行こう、イオ。するべきことがわかったわ」 何のことかわからないまま、わたしは圧倒された気持ちで彼女の後を追った。 振り返ると索引の上でアンデクスがお辞儀をして見送ってくれており、わたしは小さく手を振った。 急に明るい館外に出て、一瞬目がくらむ。 少しふらついたところを、リジュが支えてくれた。 「リジュ、ありがとう。すごかったわ。魔法の力に圧倒されちゃった」 「びっくりした?」 そう言って少し笑った彼女は、さきほどのアンデクスとのやりとりの意味を説明し始めた。 いわく、昨日の来館者は間違いなく学僧団のメンバーだろうという。 そもそも館に入る権限をもつ研究者はいまや限られており、大戦以来ほとんど使われていない。 市之丞がもたらした噂の"黒髪の学僧"がマレビトかどうかはわからないけど、このタイミングで王都に学僧団が訪れて異世界や転移魔法に関する論文にあたっている。 原本を館外に持ち出せるのはリジュのような博士号以上の研究者に限られるが、王都領より外へは禁帯出となっている。 つまり、それらの本にアクセスした学僧は遠くないどこかに今もいるということだ。 しかも、アンデクスは"勅封書群"の所在について「答えられない」と回答した。 これは王都の最高権威によって封印された禁書類で、持ち出すことはこの世に数人のみの上級博士(グラン・ドクトル)にしか許されていないという。 禁書が揃っているならそう答えたはずで、つまりは誰かが勅封書群にもアクセスしたことを示している。 「マレビトについて研究実績のある上級博士(グラン・ドクトル)なら、該当者は多くない。さっきわたしの閲覧履歴はオープンにしてきたから、近いうちに必ず向こうから接触してくるはずよ。無理に探して行き違うより、まずはこれまで通り白夜で待ちましょう。図書館での情報収集はその後でも遅くないわ」 リジュはそこまで言うと表情をゆるめ、いつもの屈託ない笑顔になっていた。 図書館に近づくにつれ、なんだか顔つきが普段と違う険しいものになっていたので少し不安な気持ちだったのだ。 高台に建つ図書館の前からは、さっき登ってきた道とともに遠くの景色まで見はるかすことができた。 よく目をこらすと街の所々にわずかな人影もあり、荒廃した王都でも生活の煙を感じさせる。 「んーーーっ!おなかすいちゃったねえ!」 リジュが思い切り伸びをして、明るく言い放つ。 「そうだ、お弁当。景色いいし、ここで食べてもいい?」 わたしたちはベンチに腰かけ、持ってきた包みを広げた。 きっとかつて大学が機能していた時代は、多くの学生たちが同じように憩っていたのだろう。 「茹で馬鈴薯かと思ってたら……何これ、おいしそう!」 「これはね、馬鈴薯を使ったわたしの故郷のお料理。気に入ってくれるといいけど」 リジュが歓声をあげたのは、わたしの大好きな"いも餅"だ。 じゃがいもの産地だったわたしの故郷の、郷土料理と言ってもいいほどポピュラーなひと品。 茹でてつぶしたじゃがいもに小麦粉と片栗粉を加えてこね、平たくして焼くだけ。 味付けはバターにお醤油があればよかったけど、お店のヤキトリで使っている、赤ワインを煮詰めた甘じょっぱいタレで代用した。 冷めてももちもちした食感が変わらず、お弁当のおかずにも適したすぐれものだ。 「んーーっ!おいしい!馬鈴薯がこんな楽しい食感になるのね!長く生きてるけど、初めての味だわ!」 どうやらリジュは、随分いも餅を気に入ってくれたみたいだ。 喜んで食べてくれたらわたしもすごく嬉しい。 今度はお店で焼きたてを味わってほしい。 「魔法に圧倒されたって言ってたけど……。わたしにはイオの料理のほうが、よっぽど大魔法だよ!」 リジュはそう言っていも餅をもうひとつ、もちもちと幸せそうに頬張った。
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