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第9話 にぎわう街と路地裏の危機、そして最初の再会。二人の姉の奇跡の邂逅
なんだか最近、急にお客さんが増えてきたように思う。
リジュに王都大学跡の図書館へと連れて行ってもらってほどなく、傭兵酒場「白夜」はずいぶんと繁盛していた。
それもそのはず、往来する人々が目に見えて多くなり、傭兵や騎士とおぼしき男たちが続々とこの街に流れてきているのだった。
「なにかお祭りでもあるのかなあ」
そう呟くとマスターが、
「噂では近々、大規模な傭兵募集があるとか。彼らはそういう情報にはとても敏感だからね。なんでもかつての幼王が成人され、正規軍再編の動きがあるそうだ」
噂だけどね、とマスターはもう一度言ったけど、元傭兵の言葉にきっと間違いはないのだろう。
その証拠に、旅人たちはこの街で一息つくと皆、王都の方へと流れていく。
彼らはいわば仕事を求めて漂泊する職能者のため、集団が動くとそれに付随してさまざまな業種の人間も動くことになる。
飲食物や医薬品の行商、刀剣の研師や防具の繕い、何かよくわからない怪しげな物売りや、荷車に武器・鎧を満載して本格的に商売する者も現れてきている。
プロとおぼしき着飾った女たちの姿も目立つようになり、街はどんどん喧騒の度合いを高めていく。
少し心配なのは、武装した旅人たちのなかには明らかに風体のよくない者が増えてきて、トラブルが発生しだしていることだ。
これまで白夜に訪れる傭兵は、豪快でも明確な規律があり、街の自治と自衛に貢献する気風が感じられた。
市之丞が初めて白夜の前で決闘したときも、何人もの傭兵たちが自然に一般の人たちを守っていた。
だが柄のよくない旅人が増えてから、あそこの酒場で乱闘があり誰々が刺されたとか、どこそこの宿屋の娘が乱暴されそうになったとか、急に治安が悪くなったような風聞が絶えない。
白夜の営業時間中は、安全のため相変わらずなるべくキッチンから出ないようにいわれているけれど、日中は以前よりも意識して出歩くようになっていた。
リジュか市之丞か、あるいはその二人が同行してくれれば危険はなく、わたしももっと積極的にこの世界のことを学ばねばと思ったのだ。
王都の図書館で魔法の力に触れ、漂泊の学僧団についてのヒントを得られたことでもずいぶん前向きになれていた。
多くの人の流れが集まってきたことで、きっと新しい情報ももたらされるに違いない。
治安が不安定になってきたことに伴い、市之丞は小さな諍いの仲裁や店の見張りに留まらず、街全体の警備活動に参加するようになっていた。
彼を慕う傭兵や武芸者たちが自然に集まり、パトロール隊として機能しているのだ。
わたしはリジュと一緒に、朝の仕入れだけではなくその他の時間も街に出るようになった。
まだ一人きりで出歩くことはマスターも心配して許してくれないけれど、とても些細なことでもわたしには貴重な体験だ。
待つことも、自分から出向くことも、情報収集のためにはどちらも大切だと思う。
「歩きなさい」
わたしが学生時代の指導教官は、いつもそう言っていた。
歴史家は足で学ぶもの、考古学は歩けオロジー。
冗談ではなく、それが極意だったと今になってよくわかる。
今日もわたしは、夕方からの営業のための仕込みを終わらせて街に出てきた。
もちろんリジュについてきてもらっているけど、街の人たちともずいぶん顔なじみになっていた。
深くフードをかぶっていても、何人も向こうから声をかけてくれる。
朝一番にお店用の仕入れをするのは主にマスターだけど、わたしも市場はとても面白く、外出すると必ず足を運ぶ場所のひとつだ。
食材の名前やおいしい食べ方などを聞いているうちにいろんな人と仲良くなり、この世界の文化もおぼろげに見えてくる。
今まで注意を払っていなかったけど、この市場には"魚醤"があった。
しょっつるやナンプラーならわたしも料理に使ったことがある。
匂いがかなり強くて好き嫌いが分かれそうだけど、うまく工夫すればお醤油の代わりになるかもしれない。
リジュはどちらかというと苦手そうだったけど、ちゃんとひと瓶買ってくれた。
あとは、最近の傾向で鶏肉がとても安い。
街に流れてくる旅人が増えると、彼らの好みに合わせて品揃えも変化していく。
まさしく市場は生きているのだ。
白夜で出している豚肉の"ヤキトリ"は本来鶏肉を使うのだと説明すると、これもいろんな部位をミックスで頼んでくれる。
それにしても、どんどん人の流れが増えていく。
いつの間にか、行きたい方向に自由に進めないくらいの混雑ぶりだ。
「すごい混んできたね。イオ、離れないようにね」
リジュがそう言って手をとってくれたけど、ちょうどわたしたちと逆の流れに巻き込まれてすぐに離れてしまった。
あれよ、という間にリジュとの距離が遠ざかってしまう。
ふと脇を見やると、裏路地へと曲がる小道があった。
そっちから迂回すれば、強引に人混みをかき分けなくてもリジュのもとへ合流できそうだ。
「そこの角で待ってて。ぐるっと回って行くね」
喧騒に負けないように大声を出して、わたしは裏路地へと入り込んだ。リジュが何か言ったようだったけど、よく聞こえない。
両側に壁が迫る裏路地は細くて薄暗く、すえたような臭いがした。
すぐにもとの市場へと至るルートがあるものと思いきや存外の一本道が長く続き、ようやくの曲がり角は明らかに別方向にのびていた。
何やらさらに薄暗く寂しげで、足元は不気味にぬかるみ所々が崩れた壁には黒い穴がのぞいている。
急に怖くなったわたしは、諦めてもと来た道を引き返そうと歩みを止めた。
――その時。
音もなく後ろから伸びてきた手に口を塞がれ、すごい力で羽交い締めにされた。
一瞬のことで声などまったく出せず、恐怖でパニックに陥りそうになる。
必死で手足をバタつかせて逃れようとしたけど、びくともしない。
「殺しゃしねェよ。いい子にしてな」
耳元でいやらしく囁かれ、全身から血の気が引いていく。
苦しい。息もできない。
だが服に手をかけられたとき、悪漢が「痛ッ!」と叫んで力を緩め、その瞬間に逃れたわたしは地面に倒れ込んだ。
早くここから逃げなければと思うのに激しくむせて、しかも全身に力が入らず立ち上がれない。
その間にも、悪漢に向けて次から次に石礫が命中していくのが霞む視界の端に捉えられた。
そして路地の向こうから、フードの人影がすごい勢いで走り込んでくる。
その人は長い棒を振り上げ、礫に怯んだ悪漢に殺到すると、
「いぃぃぃえぇいッッ!!!」
裂帛の気合ととも男の頭目がけて激しく棒を打ち下ろした。
ギャッ!と喚いてたまらず後退った男に、その人は棒を両手の間で旋回させながら、強烈な連撃を浴びせている。
脳天、横面、肩口、小手。人間の急所を次々と捉えていく。
そして男が打撃から逃れようとして足をもつれさせた瞬間、
「おぉぉぉおッッ!!」
上半身を半回転させて棒をめいっぱい手元に引き寄せ、その勢いを乗せて貫くような突きを放った。
腰の浮いた男はまともに突きを食らい、後ろの壁まですっ飛んでいってそのままのびてしまった。
あっという間の出来事に放心しているわたしに、フードの人が駆け寄ってきた。
武器の棒を放り出して、そのままわたしを強く抱きしめる。
「伊緒!怖かったね……!怪我しなかった……!?」
そしてわたしの頬を両手で包み、フードを外していっぱい涙を浮かべた目で微笑みかけた。
「……瑠依ちゃん」
懐かしい、従姉の姿がそこにあった。
長かった髪はばっさりショートになっているけど、縁無しメガネにキリッとした瞳は以前と変わらない。
状況がようやく飲み込めたわたしは、瑠依ちゃんに縋ってこどものように泣きじゃくった。
この世界に飛ばされてから、声を上げて泣いたのはこれが初めてだった。
「イオっ!!」
そこにリジュが、息を切らして駆け込んできた。
ものすごく泣いているわたしに一瞬色を失ったが、怪我もなく無事だったことがわかるとその場にへたりこんでしまった。
そこで瑠依ちゃんに気付いたリジュは、まじまじとわたしと見比べて、
「イオが……ふたり」
と、狐につままれたような顔をしている。
わたしたちは、昔から双子と間違えられるくらいよく似ていたのだ。
「リジュ、この人が従姉の瑠依ちゃんよ」
しゃくりあげながら、やっとわたしがそう説明すると、リジュはさらにびっくりしつつたいそう喜んでくれた。
瑠依ちゃんにもリジュのことを話すと、二人はしっかりと手を取り合った。
「つつじ谷のリジュナリオです。イオからいつも貴女のことを聞いていました。会えて……本当によかった」
「上月瑠依です。伊緒を助けてくださって……お礼の言葉もありません」
リジュと瑠依ちゃんが並んでいるのはなんという運命の巡り合わせか、それでいて必然だったかのような不思議な気持ちだ。
でも、わたしにはお姉ちゃんが二人助けに来てくれたことにほかならず、すっかり安心してまた泣けてきてしまった。
感極まったようにリジュの手を握っていた瑠依ちゃんが、
「そうだわ、あの男」
と、さっきの悪漢がのびている方に顔を振り向けた。
「ちょっと止め刺してくる」
ええっ!ト、トドメ!?
もうツカツカと歩き出した瑠依ちゃんを止めるため、わたしたちは素頓狂な声を上げて慌てて追いすがるのだった。
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