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第10話 瑠依ちゃんとグラン・ドクトル。この料理は鶏のから揚げ……ではなく"ザンギ"と呼んで
無事に白夜への帰路についたわたしは、道すがら瑠依ちゃんにこってり叱られてしゅんとしていた。
「不用意に知らない裏路地を行くなんて、あまりに軽率だわ。助かったのは奇跡なのよ。これからは絶対に気を抜かないこと。いい?一人になった途端、野犬の群れに囲まれると思いなさい。いいえ、ネコだわ。野ネコの群れよ!」
ノネコってなんだろうってちょっと思ったけど、あの人混みでわたしを見つけてくれたのは、本当に奇跡というしかない。
瑠依ちゃんが助けてくれなかったら、どんなひどい目に遭っていたか……。
リジュは手を離してしまった自分の責任だと何度も侘びて、瑠依ちゃんをなだめている。
「二人とも、ごめんなさい……」
申し訳ない思いでいっぱいで、元いた世界とは違う危険と隣り合わせなのだという思いを強く新たにした。
「……それである人に助けられて、学僧団のメンバーとして旅をしてきたの。一人じゃないから比較的安全だったし、色んな情報にもアクセスできるから人探しには最適だった。何よりこの世界のこともたくさん分かるし」
一緒に白夜へとやってきた瑠依ちゃんは、マスターにも会って自己紹介を済ませ、わたしがお世話になっていることに丁寧にお礼を述べて、ようやく腰を落ち着けた。
危ない目にあったことを知ったマスターは顔を曇らせ、黙って熱いハーブティーを淹れてくれた。
おコメを探しているという黒髪の学僧は、やはり瑠依ちゃんのことだった。
異なる時代の日本からこの世界に飛ばされた人が、他にもいることをいち早く掴んだ瑠依ちゃんは、わたしの探索のヒントのひとつにおコメを使ったという。
市之丞が手に入れたものは別のルートだったみたいだけど、思ったとおり黒髪のマレビトと噂される人物の情報が一緒に集まってきたそうだ。
わたしのことも聞き込みを続けてくれていて、王都の衛星都市のひとつに変わった酒場があることを耳にしたという。
そこでは見たことのない方法で調理された肴が出され、異世界からのマレビトがこしらえているのだともっぱらの噂だった。
人はそれを"黒髪の魔女"と呼んでいた……。
「えっ、わたし魔女って呼ばれてるの?」
「ここでは褒め言葉よ」
びっくりしたわたしに、リジュがすかさずフォローを入れてくれる。
「魔法少女の略……」
小さな声でボソッと瑠依ちゃんがぼける。
ああ、なんだかこういうノリは懐かしい。
「ところで瑠依ちゃん、あんなに強かったんだねえ」
わたしはつい先ほどの、あっという間に大の男を失神させた技前を思い出した。
瑠依ちゃんが子どもの頃から何か武道を習っているのは知っていたけど、運動神経がよくないわたしは誘われてもあんまり興味を示してこなかったのだ。
「剣道?じゃないよね。なぎなた……でもないか。なんていう武道なの」
「杖道」
「じゅうどう?」
「いいえ、"じょうどう"。杖の道、と書いてじょうどう。棒術の一種ね」
瑠依ちゃんがかいつまんで説明してれたことによると、こうだ。
杖とは日本の武道では短めの棒のことを指し、彼女の流派では長さ四尺二寸一分・径八分のものを使うという。
尺貫法がパッとわからなかったけど、だいたい128cmくらいの長さか。
宮本武蔵を唯一破ったとも引き分けたともいう伝説をもつ、夢想勝吉が編み出した「神道夢想流杖術」が元になっている。
棒術ではあるけどベースは剣術の技法で、これに槍や薙刀など長柄の術を加えた多彩な動きが特徴だという。
確かに、瑠依ちゃんが最後に悪漢を吹っ飛ばした突きは、槍のように杖を遣っていた。
"突けば槍、払えば薙刀、打てば太刀"
いい得て妙だ。
マスターとリジュも、興味深そうに聞いている。
「杖道のことより、伊緒。旦那さん……晃平さんのことはわかる?」
「こうへいさん……」
瑠依ちゃんはいま"旦那さん"と言ったけど、こうへいさんという名前を聞いても記憶がシャットアウトされている。
でも、その人がわたしの夫なのだ。
「晃平さんも、この世界に飛ばされているのは間違いないわ。これからは私も一緒に探すわ」
瑠依ちゃんはこの世界に漂着する寸前まで記憶があり、上空で三人がバラバラになるのを見届けたのだという。
彼女との再会と心強い言葉に、百万の味方を得たような勇気がわいてくる。
「そうだ、マスター。わたしのせいでみんなお昼食べてない……。すぐ何かつくるから、待っててください」
三人を押しとどめて、わたしはキッチンに立った。
心労させたリジュとマスター、そして旅を続けてきた瑠依ちゃんにせめて今できる限りのことをしたい。
わたしには、それはごはんをつくることしかないと思う。
幸い三人はすぐに打ち解けたみたいだし、このまま話しててもらおう。
食材を調べると、さっき市場でリジュが買ってくれた#魚醤__ガルム__#と、たっぷりの鶏肉が目に入った。
これまでお醤油がなかったから試さなかったけど、今こそあれをつくってみよう。
鶏肉はももと胸の部分を一口大に切り分け、魚醤とみじん切りにしたニンニクをもみ込んでおく。
おろし金があると便利だなあ、とそんなことを思ってしまう。
貴重品ではあるけどふんだんに手に入る油はありがたく、フライパンになみなみと熱しておく。
そしてこれまた豊富に収穫される馬鈴薯からとれるでん粉、つまり片栗粉を、味付けした鶏肉にたっぷりまぶした。
てづくりの菜箸の先をフライパンの油に浸し、温度を確認する。
しゃわしゃわしゃわっ、とすぐに細かな気泡が湧き上がり、やや高めの温度になっていることを教えてくれた。
お肉が多めだからすぐに温度が下がるだろう。
薪の量を調整して火加減に気を付ければ大丈夫と判断し、片栗粉をまとったお肉を次々に油へと投入していく。
激しい雨にも似た揚げ物の音が、たまらなく懐かしい思いをかきたてる。
記憶を封じられているのに、わたしの夫もこの料理が好きだったのだという確信みたいなものがあった。
「できたよ。食べてみて」
大皿はないので、木のトレイに葉っぱを敷いて盛り付けた。
少し揚がり過ぎた部分もあるけど、片栗粉特有のほのかに霜が降りたような衣の具合が、とってもおいしそうだ。
「おお……」
「わあ!」
「まあ」
マスター、リジュ、瑠依ちゃんがそれぞれに感嘆の声をあげてくれる。
ごく自然に、瑠依ちゃんと同時に手を合わせて「いただきます」と唱えた。
心の中ではしていたけど、動作と声に出したのはこの世界にきてから初めてだ。
「なあに、それ?イオとルイの世界の風習?」
興味深げに尋ねるリジュに、
「食材となってくれた命を、天地の恵みを、育てた人、料理してくれた人、この一皿にかかわるすべてに感謝して食べます、っていう意味」
そう瑠依ちゃんが説明してくれる。
「……素敵ね!」
リジュが笑い、わたしたちに倣って手を合わせた。マスターも同じようにしてくれる。
「じゃあ」
「いただきます」
「いただきます」
さくさくの衣にかぶりつく小気味よい音が、一斉に鳴りわたった。
鶏は元の世界でふだん食べていたものより歯ごたえがあり、肉の味も濃い。
味付けに魚醤を使ったと聞いて、マスターもリジュもとても驚いていた。
ニンニクと合わせて加熱したため、クセの強い臭いが和らいで旨みだけが鶏肉の味を引き立てている。
これは……むちゃくちゃおいしい。
「これはエールによく合いそうだね。ボリュームもあるから、傭兵たちの好きな味だよ。なんという料理なのかな?」
すっかり気に入ってくれた様子のマスターが、このメニューの名前を聞いてきた。
「これは、鶏のからあ………」
そう言いかけたとき、お店の扉が開かれた。
フード姿に杖を手にした、長身の人。
「グラン!」
瑠依ちゃんが咄嗟に席を立った。
この人がこんなに嬉しそうに誰かを呼ぶなんて、久しぶりに聞いた気がする。
「探したぞ、修士」
入口の逆光で顔はよく見えないけれど、深く厳かな声が静かに沁み通るようだ。
「あなたは……ラグロ?"樹氷のラグロワール"……?」
マスターが驚いたように、まじまじと目を凝らした。
この人を知っている?
「君は……そうか。"白夜"の傭兵かね。お互いずいぶん歳をとったものだな。こういう再会になるとは……。それに……」
「お久しぶりです。"上級博士"」
リジュは立ち上がり、小腰をかがめるようにして挨拶した。彼女もこの人と知り合いのようだ。
「……ドクトル・リジュナリオ。これは懐かしい」
"樹氷のラグロワール""グラン・ドクトル"と呼ばれたその人は、わたしたちに近づいてきてはらりとフードをはずした。
長い銀色の髪に苦悩の歳月を思わせる顔の深い皺、そして細く尖った耳をもつ、エルフの男性だった。
「マギステル・ルイ、それではこちらのお嬢さんが……」
「はい、グラン。この子が従妹の伊緒です」
ラグロワールはわたしに顔を向け、ほんの少し表情をやわらげた。
そしてテーブルの上の料理に気が付くと、驚いたように目を丸くした。
「それは……もしかして、"ザンギ"ではないかね」
ザンギとは鶏のから揚げのことを指す、わたしの故郷だけでの呼び名だ。
それを聞いて、今度はわたしがびっくりする番だった。
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