第11話 大競武会と"白夜"の王都支店オープン。串ザンギって縁日みたい

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第11話 大競武会と"白夜"の王都支店オープン。串ザンギって縁日みたい

わたしたちは、いま王都に来ている。 なぜかというと、傭兵酒場「白夜」の"王都支店"がオープンすることになったからだ。 とはいっても、王都の長い城壁を背に帆布の屋根で小屋がけしただけの、簡素な店舗だ。 そしてそれと同じような急ごしらえの屋台が、びっしりと並んでいる。 どっと増えた人の流れもすごく活気があって、先日リジュに魔導の図書館へと連れて行ってもらったときとは大違いだ。 わたしはこれにそっくりな光景を、元の世界で見たことがある。 それは大阪の「十日えびす」というお祭りで、それはもうものすごい数の屋台が並ぶのだ。 わたしは夫と一緒に、こどもの頃に戻ったような気持ちで楽しく見て回ったのだった。 でも、今はその夫の記憶が魔法で封じられている。 大切な人のことは思い出せないのに、その人との思い出だけはしっかり胸に焼き付いていて、どうしていいかわからないくらいに悲しくなってしまう。 ともあれ、この王都出店はわたしの人探しのためにみんながしてくれたことなのだ。 きっかけは、ついこの間の瑠依ちゃんとの再会と、彼女の恩人で学僧団の上級博士"樹氷のラグロワール"がもたらした情報だった。 話はその時のことに遡る。 「……ザンギをご存じなのですか」 ラグロと呼ばれたエルフの壮年男性の口から思いもよらぬ料理名が出て、わたしはすっかり意表をつかれてしまった。 「文献で読んだだけだがね」 ラグロはにこりともせずそう言うと、手近な椅子に腰掛けた。 「伊緒。わたしはこの世界に飛ばされたとき、こちらのグラン・ドクトルに助けていただいたの。学僧団に加えてくれて、あなたと晃平さんを一緒に探してくださっていたのよ」 瑠依ちゃんの言葉にわたしははっと我に返り、ともかくもラグロに心からのお礼を述べた。 彼女の恩人はわたしの恩人だ。おかげさまで瑠依ちゃんとの再会がかなった。 瑠依ちゃんも、マスターとリジュのことをそう思ってくれているのが伝わってくる。 「なに、ルイはとても良い研究者だ。異世界の学問に関することは実に興味深い。ところで失礼だが」 そう言って、ラグロはザンギを指差した。 「熱いうちに私も頂いていいだろうか。文献でしか知らないものが、いま目の前にある」 一瞬みんなぽかんとしたけど、すぐにどっと笑いが起こった。どうやら謹厳な見た目よりもユーモアのある人みたいだ。 面識があるようなマスターとリジュは、ラグロを前に緊張気味な感じだったけど、これで一気に打ち解けた。 マスターが人数分のエールを汲んで、みんなの前に置いてくれる。 「イオとルイの再会を祝おう。そして、ラグロとわたしたちの再会も」 マスターの声で、みんなが立ち上がった。 「乾杯!」 「乾杯!」 開店前のエールは、ごくごくと心地よく喉を通り過ぎていった。 誰ともなく思わずぷはーっ、と息をついて、自然に笑みがこぼれる。 ラグロがザンギをひとつつまみ、ざくりといい音を立てて噛みとった。 ゆっくり味わうように咀嚼して、なんだか組成を分析しているかのようだ。 ただ食べているだけなのに、深い思索に耽っているようにも見えるのはさすがというべきか。 「これは魚醤(ガルム)にニンニク……衣は馬鈴薯の澱粉か……。このレシピはもっとも標準的なものなのだろうか」 「いえ、本当はガルムではなく、醤油という調味料を使うのが一般的です」 「ショーユ?」 「はい、ダイズという豆を発酵させたソースなのですが……」 醤油に関する同じような説明を、学生のころ留学生の友達にしたのを思い出してしまう。 もっとも、自分で言っていても相手に通じるか心もとない解説ではある。 隣で瑠依ちゃんがうんうん、と相槌を打ってくれているのが救いだ。 「よく似た調味料が東の国にあるらしいが、私も食したことがない。そのショーユがないと作れない料理がほかにもあるのかね」 「わたしたちの故郷の料理は、醤油が味付けの基本になります。ですので、正確なレシピはそれなしでは再現が難しいです」 ラグロは納得したように頷き、 「イオがこのお店でつくってくれる"ヤキトリ"も、本当はショーユが必要だそうです。でもある素材で似せて、"タレ"というソースを考え出しました。すごい人気ですよ」 と、リジュがあいの手を入れてくれる。 「柔軟な工夫は武器だ。学問に限らずね。いや、このザンギという料理は実においしい。万人が好む味だろう」 食べても表情を変えないので心配していたけど、おいしいという言葉をこのエルフの学者から聞けて、とてもうれしい。 「ところで、最近の人出の多さの理由は知っているね」 ラグロが本題を切り出すように、居ずまいをただした。 彼が言うにはこうだ。 マスターが噂に聞いたかつての幼王の成人と、正規軍再編の動きは事実だそうだ。 先の大戦以来衰弱した国力の増強と、王都領の辺境都市を含めた広域治安維持に本腰を入れるのだという。 これまでは軍人の雇用どころか、内政すら事実上の自治に委ねていた状態で、今回の動きは王都政府の復活を意味している。 正規軍再編と一口に言っても、その規模は未曾有のものだという。 正規兵、傭兵部隊、戦闘員だけではなく補給や設営の専門職、さらには楽隊や儀仗隊までを含めたいわば大量雇用だ。 被服や糧食、武器・防具などを納入する業者なども参入し、急速な経済の潤いへの期待感が満ちている。 正式な布告は間もなく出される見込みというが、あらかじめ意図的に噂を流したものか既にこの人出だ。 王都へ陸続と向かう人々が、ひとつの潮流を成している。 ラグロは瑠依ちゃんを通じて、わたしたちの事情はほとんど把握していた。 その上で、この王都への人の集中を利用して人探しをするための提案をしてくれたのだ。 「今回の軍再編にあたって、3ヶ月に及ぶ採用実技試験が行われる。兵なら戦技の腕前、楽隊は楽器、補給の輜重兵なら調理の手際も審査される。昔はこれを"大競武会"と呼んでいた」 彼が言うには、その競武会を見物しようとさらに一般の人々も押し寄せるため、それらを当て込んでさまざまな屋台が立ち並ぶのが常だという。 「このザンギ、串にすれば屋台でよく売れるのではないかね」 ラグロの唐突な提案にちょっとびっくりしたけど、その意図はすぐに理解できた。 たくさんの人の流れが集中する、この千載一遇のチャンス。 珍しい異国の料理は目立つだろうし、わたしたちを探して王都へと"こうへいさん"がやってくる可能性だってある。 魔導の図書館での調べものもしやすくなるだろう。 マスターとリジュは、一も二もなく賛成した。 もともと幼王成人や大競武会などのイベントに乗じて、王都にも出店するつもりだったのだという。 そこへきて今日のザンギは串にすれば実に屋台向きの料理ということがわかり、計画は一気に現実味を帯びた。 「おもしろいじゃない!イオのご主人の手がかりが、きっともっと集まるよ!」 リジュの言葉に涙が出そうになる。 異世界からの闖入者であるわたしたちに、なぜこんなにも掛け値なく心を砕いてくれるのだろう……。 と、そこへ扉の開く音がして市之丞が戻ってきた。 「いま帰り申した。おお、お客人か……や、ややっ!?いお殿が二人……??」 瑠依ちゃんとわたしを見比べて吃驚している市之丞に、みんなが笑った。 もう一度説明するのも、すごく嬉しいことに思える。 市之丞は、幼王成人に伴う摂政制から王制への政権回帰と、正規兵および傭兵部隊の大規模採用試験実施の正式な布告を持ち帰ってきた。 いよいよ、このことが王都領の衛星都市や周辺諸国にも知れ渡るだろう。 市之丞は出店のことを聞くと強く頷き、賛同してくれた。 「ついては、それがしもその競武会とやらに出ようと思う」 えっ、と今度は皆が驚いた。 ラグロだけが、ほんの少し口角を上げる。 「"黒髪"が目立つと、探し人にも近づけよう。いお殿はその縁日のような見世棚で、それがしは武舞台で我らがここに在る事を知らしめよう。なに、つまりは御前仕合でござろう。実によい修行じゃ」 かくして市之丞は大競武会での試合出場、わたしたちは白夜の王都支店オープンという運びになったのだった。 本店はマスターが引き受けてくれるので、わたしたちだけしばらくは王都に滞在することになるだろう。 はじめラグロは瑠依ちゃんを、わたしのために置いていこうとした。 でもマスターやリジュ、市之丞ら心強い人たちの存在に安心して、瑠依ちゃんは調査を続けることを選んだ。 「串ザンギ、食べに行くから」 彼女が笑ってそう言って、屋台の料理名は"串ザンギ"で定着してしまった。 わかりやすくてわたしは好きだ。 わたしたちが王都に屋台を設置したときには、すでにたくさん顔見知りの人たちが出店していた。 市場の果物屋さんや、リジュにご馳走になった裏路地のグラチネ屋さんの姿も見える。 わたしを見つけると、みんな10年の知己みたいに手をとって励ましてくれた。 誰しも大きなイベントに前向きになり、街が弾んだように活気づいている。 わたしたちの串ザンギ屋さんも、もう間もなくオープンだ。
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