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第1話 異世界の傭兵酒場と、焼きトン串のタレと塩
「イオ!"タレ"と"シオ"6本ずつ出せる?2番テーブルのお客さんたち、もうおかわり3回目だよ。すっごい人気ね!」
キッチンの脇からひょこっと顔を覗かせて、リジュが楽しげにオーダーを伝えてくる。
カーテンとも呼べないような布の仕切り越しに、ホールの陽気な喧騒が流れ込んできた。
バーカウンターのマスターのもとにも、いつにも増してエールの注文が飛び交っているようだ。
「おっけい、ちょうど焼き上がったわ。リジュ、お願い」
炭火に炙られてじうじうと脂の沸き立つ串を返しながら、わたしはアジサイに良く似た大振りな葉っぱにタレ6本、塩6本を盛り付けた。
もうアツアツなので葉っぱの両端をひょいっと持って、リジュが差し出すトレイの上に置く。
「夜食の分は残りそうにないね」
ぺろっと舌を出して、リジュが軽やかにホールへと戻っていく。
タレ・シオ6本ずつお待ちどおさま!と元気な声が響き、男たちの歓声が上がった。
この料理の名前を聞かれたとき「ヤキトリ」と答えたけれど、実際は豚さんのお肉の串焼きだ。
わたしが育った北国の、ある地方では焼き鳥といえば豚肉を使うことで有名だった。
なんでもかつて軍靴に革が必要だったことから、養豚が盛んになった影響があるらしい。
それでこの酒場でのメニューとして思いついたのだった。
その日の仕入れにもよるけど、ここでもっともふんだんに手に入るのが豚肉。
売り切りの分だけ串にしておけば、調理も楽なすばらしい肴になると思ったのだ。
一から焼くと時間もかかるので、串を打ったお肉はあらかじめ熱すぎないお湯で火を通しておく。
そうしておけば傷みにくいし、炙ればすぐにオーダーに対応できる。
それにあとのお湯はいいダシが出て、スープのベースにもなるので一石二鳥。
お醤油がないのでどうしようかと思ったけれど、赤ワインを煮詰めてお砂糖とお塩で調味するとそれっぽいタレになった。
まずはこれで上々かな。
もちろん、エールに合わないはずがない。
わたしはこっそりと、布の仕切りの隙間からホールを眺めてみる。
キッチンの壁のすぐ向こう側はバーカウンターになっていて、マスターが忙しげにエールの注文に応えているのが目に入った。
お店はそんなに大きくはない。
入口から奥のキッチンにかけて細長い造りで、樽に板を渡しただけのテーブルが3つ。
無理して12~3人も入ればパンクしそうなホールだ。
「……うん、異世界ね」
酒盛りをする男たちを見渡して、わたしは思わずそう一人ごちた。
誰しもが例外なく屈強そうな体躯で、ブロンドや赤髪、金髪といったヨーロッパ人のような風体だ。
しかもいずれも鎖帷子や部分的な鎧を身に着け、よく言えば中世の騎士、ありていに言えばファンタジー映画の野盗みたいにも見える。
もちろんテーブルの脇には剣やら槍やら丸い盾やらが寄りかかり、年季の入ったそれらの武具は明らかに玩具の類ではない。
わたしは、ひょんなことからこの中世ヨーロッパ風な異世界に迷い込んでしまったのだ。
ふきのとうを採りに山に入り、いつの間にか霧に巻かれてしまった。
やがて目の前に不思議な光が満ち、それきりわたしは意識を失った。
その直前には、一緒だった従姉の瑠依ちゃんの声が後ろから聞こえていた。
そしてその時わたしは大切な人の手を――、夫の手をしっかりと握っていたはずだった。
知らない世界に投げ出されたわたしを助けてくれたのが、いまホールでくるくると立ち働いているリジュだ。
森で倒れていたところを介抱し、彼女が勤めるこの酒場に連れてきてくれたのだ。
マスターは口数が多くはないけれど、やさしい人柄でわたしを温かく迎え入れてくれた。
異世界から迷い込むものは「客人(マレビト)」と呼ばれ、時折そういうことが起こるのだという。
わたしは、どういうわけか夫に関する記憶のほとんどを失っていた。
大切な夫がいる、ということははっきり覚えているのに、顔や名前、細かい出来事などが墨で塗りつぶされたように思い出せなくなっていた。
リジュによると、「一番大切なもの」の記憶を封じる魔法がかけられている可能性が強いという。
マレビトとしてこの世界にやってきた者は、なぜかそうであることが多いそうだ。
確証はないのに、夫と従姉の瑠依ちゃんが同じ世界に飛ばされているという不思議な確信があった。
霧に巻かれるまで一緒にいたせいもあるけれど、なぜか二人の存在を強く感じるのだった。
すぐにでも二人を探しに行きたかったけど、リジュとマスターは首を横に振った。
この世界では10年ほど前に大きな戦争があり、政情はいまだ不安定で異世界人の女が独りで旅をするのは命がいくつあっても足りないという。
それに、わたしのような"黒髪"はこのあたりでは珍しいため、より目立ってしまうとのことだ。
この世界ではほとんどの国で弱体化した軍事力を補うため、「傭兵」が重要な戦力として求められているという。
彼らは有期契約で正規軍に編入されたり、城塞都市の治安維持にあたったり、腕さえよければ騎士身分に取り立てられることもあるという。
そんな傭兵たちが集まるのが「傭兵酒場」で、わたしを助けてくれたリジュとマスターの店、「白夜(びゃくや)」はまさしくそういう場所だった。
――傭兵酒場には実に様々な人や物の情報が集まる。
あなたの尋ね人がもしこの世界に飛ばされたのなら、いつか必ず誰かの耳にはいるはず。
危険を冒してやみくもに探し回るより、ここでお客さんに聞き込みをしながら待ってみてはどうか――。
そんな申し出に、わたしはありがたく甘えることにした。
店舗の3階にリジュの部屋があり、わたしはお店の手伝いをしながら屋根裏部屋で寝起きさせてもらうようになった。
わたしの得意な料理が、二人の耳にも届くことを祈りながら。
キッチンの熱源は薪や炭がメインで、寒冷なこの季節でも結構暑いくらいの温度に上がる。
香ばしい煙と炭の匂いに少しむせ込み、天窓をもう少し大きく開いた。
信じられないほどの密度で星々がまたたき、瞬間的に吹き込んだ冷気が頬の火照りにひんやりとやさしい。
「イオ、喉が渇くだろう。水分補給」
バーカウンターの端から、今度はマスターが顔を覗かせた。
短く刈り込んだ白髪と左目を覆う眼帯がいかめしいが、柔和な人柄が全身からにじみ出るような安心感がある。
ことん、と置いてくれたのはジョッキ状の小さな樽。
中にはなみなみとエールが注がれていた。
「マスター、ありがとう!のどカラカラだったの」
クラフトビールや地ビールを思わせるこのエールは、アルコールは強くないけどキレとフルーツのような香りがあってとてもおいしい。
マスターが差し入れてくれるということは、そろそろ店仕舞いにするのだろう。
「イオ、いまのお客さんで仕舞いだって。オーダーもストップだよ」
再びリジュがキッチンに入ってきて、作業用の小さな椅子に腰掛けた。
手には小さな樽のジョッキ。彼女にもマスターから差し入れがあったのか、それともいつものように要領よくせしめてきたのかも。
オーダーストップの後、余った料理は賄いとして食べていいことになっている。
マスターの分を取り置いて、残りの串をリジュと分けた。
「やったあ!もう大人気でぜんっぜん余らないんだから。あふっ、はふっ、んーっ!おいしーい!!」
さっそく頬張っているリジュとジョッキを打ち合わせ、お行儀は悪いけれど立ったままわたしも塩の串にかぶりついた。
炭特有の、芳しくも清涼感のある薫香が口いっぱいに広がり、鼻を突き抜けていく。
炙られた豚肉の脂が甘くとろけて、直後に流し込むエールの滋味は快楽というほかない。
ふいに、ある日の記憶の残像が脳裡をよぎった。
わたしはきっと、まったく同じようなことを大切な人と体験している。
でもその記憶には手が届きそうで決して届かず、掴もうとしてもいたずらにすり抜けていってしまう。
「……イオ、泣いてるの」
リジュが心配そうに覗き込んできて、わたしは初めて自分が涙を流していることに気付いた。
胸の奥をかきむしりたいような、甘くもどかしい記憶の手がかりが遠のいていく。
「旦那さんと従姉さんのことを思い出したのね。かわいそうに……なんて酷い魔法……」
リジュはゆるく巻いていたバンダナキャップをとり、わたしの涙をやさしく拭いてくれた。
「大丈夫よ。二人ともこの世界にいるという、あなたの直感はきっと正しいわ。イオのことすぐ見つけてもらえるように、ここで一緒に手がかりを探しましょうね」
「うん……リジュ、ありがとう……」
涙と炭火の煙で霞む視界にグリーンの瞳と豊かな金髪が映り、リジュの細く長い耳は困ったように垂れている。
ああ、エルフってこんなに温かい人だったんだと、そんなことを思いながらより一層涙が溢れてきてしまうのだった。
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