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第17話 始まりの王選第2ステージ。小さな弟子ともう一人の"市之丞"
わしがいったい何の因縁で、かような世界に迷い込んだのかは皆目わからぬ。
よほど先の世での行いがようなかったのか、あるいは御仏がわしを試されておるのか。
ただ、この世界に来てひとつ確かに分かったことは、己の身につけた武術が人助けの役に立つということであった。
我が無陣流は古い流儀によくあるように、太刀だけではなく槍・薙刀・居合・柔・弓等々、あらゆる得物の術を伝えておる。
無論、馬術・泳法・砲術・軍学も学ばねばならず、つまりは戦場に放り込まれようが、どのようにでも戦える備えをするのが武士の心得であった。
わしはたいそう武術が好きで、物心つくかつかぬかの頃には、昼夜火の出るような稽古に励んだものだった。
先人たちが遺した精妙なる武の道筋。
それを辿ることは、日々心が震えるような喜びに満ちたものであった。
しかし、それらの多くは既にずいぶんと古くなっていた。
いや、戦場そのもののあり方が、とっくに変わっていたのだ。
上野の戦では、維新政府軍の大筒がそこかしこで火を噴き、太刀を振るうどころの騒ぎではない。
先祖伝来の甲冑も、ライフル弾の前にはものの役には立たず、かえって動きを妨げる体たらくだ。
弾に当たってしまえばそれで終いゆえ、当たらぬように身軽にして身を伏せ、一所に留まらぬのが肝要と気付いたときにはもう遅い。
それで維新政府の連中は侍大将を除いて胴も着けておらぬのかと、合点がいったものだった。
無我夢中で己に宿した、夥しい武の技とはいったい、何だったのか。
そんな問いかけをするまでもなく、わしはこの世界へと迷い込んだ。
だが皮肉なことに、古い時代の南蛮のようなこの国土で、わしを助けてくれたのはほかでもない無陣流の術であった。
折れた大刀は使えぬが、元来武器も戦場も選ばぬのが我が流儀。
己の身一つを守るには十分な得物が、そこかしこに満ちておった。
いつの間にか、喧嘩沙汰の取りなしやら人助けやらが生業のようになって、街から街へと流れているうちにいお殿と出会った。
わしより先の世の日の本の人というのはまるで戯作だが、いまさら驚くほどではあるまい。
それよりも、聞くと生き別れた#良人__おっと__#殿を探しておられるとのこと。
しかもその思い出を妖術で封じれているという。
なんと可憐なことか。
わしはあの時、あの米の飯を炊いてくれたのがいお殿と知った時から、なんとかこのご新造のお役に立ちたいと思い続けておった。
無論、やましい気持ちがあるわけではない。
せめて良人殿の行方を探す手伝いなりとできれば、そう思って此度の御前仕合にも出ることとしたのだ。
幸い、いお殿にはえるふのりじゅ殿や、従姉と仰せのるい殿、白夜のご亭主等々多くの味方がおられる。
さらばわしはこの無陣流を振るい、ここに日の本の心ありと名乗りを上げよう。
いお殿の良人殿にまで、その風情が届くとよいと切に願う。
間もなく王の御前での仕合の段が組まれようという頃、いお殿が「お好み焼き」なるものを皆に振る舞ってくれた。
りじゅ殿たっての望みとかで、皆が店仕舞の天幕に集って卓を囲ったのだった。
久方ぶりに白夜のますたあ殿も顔を見せ、賑やかな会合だ。
本舗の方を切り盛りされて、あまり王都の出見世にはおいでになれないとのことであったが、仕入れやら皆の寝食の世話やら、細やかな心配りをされていたのをわしは見てきた。
るい殿は顔貌こそいお殿と瓜二つだが、あまり多くを語らぬ方で学者が本分であるという。
心身が頑健で、この世界の歴史を学ぼうとする意欲には頭が下がる。
杖術をよく遣われるとも聞いたゆえ、いずれ演武を拝見したいものだ。
りじゅ殿はいつもの如く明るく振る舞い、それでいていお殿をまるで妹御かのように気遣っておられる。
旅の途上では幾人もえるふ族と出会ってきたが、いずれもあまり心の内を表に出さず、かように人情味あふるる方をわしは知らぬ。
此度の会食も、りじゅ殿がさりげなく肝煎りしたのであろう。
そしてもう一人、いお殿のご友人の「をる」という少年が一緒だ。
この王都のことをよく知っており、先頃はわしの仕合もいお殿と観たという。
「黒髪の剣士さん!おれ、あんたのファンなんだ!」
をるは会うなりそう言って、きらきらと目を輝かせた。
(兄上!)
ふいに、歳の離れた末の弟のことを思い出す。
いお殿がこしらえてくれたお好み焼きは、実に旨いものだった。
きやべつなる蔬菜も初めてだが、大根葉の芯をもう少し歯ざわりよくしたような、面白き味わいだ。
麦の粉が主だそうで、これなら鉄造りの陣笠か甲冑の胴ででも焼けるかもしれぬ。
幕府と維新政府との戦があれからどうなったのか、いお殿にもるい殿にもわしはあえて聞かぬことにしておった。
されど、先の世でかような一品が生まれることに、無量の感慨が湧き起こるのだった。
「イチさん、ねえ!おれにも剣術教えておくれよ!」
食事が終わって、をるが突然わしにねだった。
「市之丞」とは申しにくいのか、いつの間にか「イチさん」だ。
市井に親しく交わったというかつての南町奉行のようで、何やら面映い。
をるはその辺りに立て掛けてあった棒切れを手にして、ヒュッと振ってみせた。
む?
この坊……?
「をる、と申したな。そなた、剣術の心得があろう」
ぎくっ、とをるが首をすくめた。
やはり。
棒切れであろうと、心得のある者が手にすればそれは既に武器だ。
ますたあ殿は気付いておられたようでさして驚きもせぬが、他の皆は意外だったと見え、驚きをもって成り行きを見守っている。
すっと近付いて、をるの利き手をとってその平を見た。
これは剣術たこに間違いなかろう。
日の本の剣とは異なる術であろうため、その位置は見慣れぬものだ。
だが、これは正当な師について鍛錬を積んでいるものとみた。
「そなたに剣を教えるにやぶさかではない。しかし、まずは師に許しを得よ。ご流儀の妨げになってはよくないゆえな」
やんわりとそう諭したが、をるは真っ直ぐこちらを見つめてこう言った。
「はい、たしかにおれは剣術を学んでいます。でも先生からはいっつも、あらゆることをどん欲に学ぶよう言われています。もちろん剣以外のことも、他の流儀のことも。"縁と機会"を、絶対にのがすなと教えられています」
(兄上!)
ふたたび、弟の面影が瞼に浮かんだ。
いつも稽古をせがんではわしにまとわりつき、夢中で打ちかかってきたものだった。
「あいわかった。さらばそなたを今より、無陣流の門人となそう」
わしは木刀をとって立ち上がり、をるには先程の棒切れを持たせた。
この少年の言う"縁と機会"は、さして長い稽古の時を許してはくれぬような気がする。
「今から当流のもっとも大事とする技を授ける。わしと同じように動いてみよ。初めから全てできずとも構わぬ」
わしは木刀を左手に提げ、浅く一礼して抜刀の動作で中段に構えた。
視界の端で、をるが動きを真似るのを確かめる。
心気をととのえ、切っ先が背中につく位大きく振りかぶり、一歩進んで呼気とともに地面まで振り下ろす。
再び中段に戻し、納刀。
浅い礼で動作を終えた。
「これだけ……?ですか……?」
「うむ」
そう、たったこれだけのことが当流の大事だ。
かつては入門すると、三か年はこれだけを行ずるのが習いだった。
だが、今は言葉を尽くして伝えるべきであろう。
「日の本の剣術は、"振り上げて振り下ろす"ことが礎となる。一見単純だが、どれ位振り上げるか、どんな速さでどこを目掛けて振り下ろすか。間合いは如何ほど詰めるか、呼吸はどのように行うか。常にそれらを考えながら剣を振るのだ」
さても喋り過ぎたか、そうは思ったが少年の目は見る間に輝きを増していく。
「この技の名は、水剋火・水分。当流の基本にして……奥義じゃ」
「はいっ!……師範っ!!」
わしの小さな弟子は、弾けるような笑顔で元気よくそう言った。
――かくて、ついに「王選」の第二幕が始まった。
此度の仕合では王のご出御はまだであるものの、これまで幼王を支えてきた摂政殿下が来臨なさるという。
仕合の場はこれまでの円い闘技場と変わらぬが、いや増しに増した物見の客が鈴なりになっておる。
まことに相撲の興行かのごとき有様。
立ち合いの場をはさみ、東西両側には幔幕が張られてその内側が武者溜まりの控えとなっておる。
れふぇりー殿が口上のあと、わしの名を読み上げた。
幔幕から出ると、割れんばかりの拍手と囃しの声が沸き起こる。
相手方の名も読み上げたはずだが、その歓声でよく聞こえぬ。
しかし、相手方の幔幕からぬっと出てきた男の顔に、わしは息を呑んだ。
まびさしのある立烏帽子のようなものを被っているが、誰あろう末の弟に瓜二つであったのだ。
されど、上野の戦に出陣した頃の歳恰好よりは幾分年かさであろうか。
それにくすんだ草色の、維新政府の兵どものような面妖な装束に身を包んでおる。
「小十太……?」
わしが思わずそうつぶやくと、奴はぴくんと片眉を上げてこちらを睨みつけた。
「あぁ?小十太ぁ?あんたまさか、ひいじいさんと知り合いかい?」
何……?
ひい……じいさん……?
「俺ぁ小十太じゃねえ。勇作。無陣流十五代・木守"市之丞"勇作」
わしは、今度こそ、心の底からたまげてしもうた。
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