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第18話 時を超えた対決、無陣流vs無陣流。輜重兵・木守勇作と水剋火の太刀
「瑠依ちゃん……あの人」
「ええ、伊緒。間違いないわ」
市之丞の試合を観に来たわたしたちは、目の前の闘技場で彼と対峙した相手に釘付けになった。
「黒髪の剣士が、もうひとり……?」
リジュも目を丸くして、この不思議な勝負の行く末を見守っている。
市之丞の相手の男の姿は、教科書で見るような旧軍の軍服そのものだ。
よくは分からないけれど、くすんだ緑色は陸軍のものではないか。
目深にかぶった軍帽でその容貌はよく見えないが、市之丞と同年代くらいの若さに感じられる。
腰には軍刀を吊り下げ、手には木刀を携えている。
お互いかなり時代は違うが、おそらく同じ日本人同士が異世界で剣を交えようとしている構図は、改めて不可思議としかいいようがない。
「何か会話してるみたい」
リジュが長い耳をぴくん、と動かして二人のやりとりを聞きとろうとしている。
エルフは聴力にも優れているというので、わたしたちの耳には届かない音も拾えるのかもしれない。
それにしても……。
市之丞と軍服の男、なんとなく雰囲気がよく似ているような……。
「ええっ!うそっ!?」
リジュがびっくりして大きな声を出したので、わたしたちもびっくりしてしまった。
「なになに、どうしたの!」
「リジュ、私と伊緒にも落ち着いて教えてちょうだい」
リジュはびっくりした顔のまま、耳を澄ましては二人の会話を同時通訳みたいにして語り出した。
「……で?そういうあんたはどちらさんだい?俺の見間違いじゃねえなら、アタマのそれ。チョンマゲだよなぁ。どちらの家中でござるか?お侍さま」
道化たような口調だが、刹那の間すらも気攻めを緩めない。
こやつはーー強い。
無陣流十五代?
木守勇作……木守"市之丞"勇作?
まさか、まさか。なんということじゃ。
今更なにが起きようと驚きもせぬと思うておったが、心得違いであった。
御仏よ……!
大小神祇よ……!
なんたる巡り合わせ!!
「ご無礼いたした。貴殿に先に名乗らせてしもうた。許されよ」
わしは心の昂りを悟られぬよう、わざと鷹揚な態度でそう言って密かに呼吸を整えた。
「それがしは、木守……"市之丞"光政。無陣流・十代目でござる」
勇作と名乗った男はぽかん、と呆けたような表情を見せたが、見る間に笑みを広げて片手で顔を覆ってしもうた。
「くっ…かっ……あは、はははははっ!!こいつぁケッサクだ!だからこの世界はおもしれえ!!」
勇作はひとしきり笑い転げると、浮かんだ涙を拭いながらわしに向き直った。
「ったく……冗談もここまで続きゃあ大したもんだぜ。こんなとこで、まさかあんた……あなた様にお目もじ叶うとはな」
そして急激に威儀をただし、カツーン!と音を立てて革長靴の踵を合わせ、右の手刀をこめかみに当てるような礼を示した。
「自分は元・帝国陸軍、木守勇作・輜重兵中尉であります!まことに不可思議なご縁ではありますが!無陣流歴代最強と名高い十代目様に、一手御指南お願い申し上げますっ!!」
口上を述べ終えると、勇作はふうーっと息を吐き、いっそ寛いだような様子すら見せてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「やろうぜ、十代目」
勇作はそう言い、腰に下げていた刀を外して膝を付き、傍らに丁寧に置いた。
左手に木刀を携え、仕合の始まりを待っている。
わしも同じように腰の小太刀を置き、木刀を左手に提げた。
しばらく呆気にとられていたようなれふぇりー殿も、ようやく気を取り直したのか仕合の差配を再開する。
「これよりの試合は、摂政宮殿下のご臨席のもと行う!それでは、はじめられよ!」
わしと勇作は正面に向き直り、来臨しているという摂政殿下に礼を捧げた。
薄絹のようなものに覆われて御姿は見えぬが、高貴な風情は伝わってくる。
向かい合ったわしと勇作は、同時に木刀を右手に持ち替え、体前で斜めにかざして浅く一礼した。
寸分違わぬ、無陣流の礼法。
再び左手に提げた木刀を、勇作は抜刀の動作で中段に構えた。
――なんと懐かしい!
をるという少年にみた末弟の面影は、いよいよ眼前の男の姿に現れてくる。
わしに妻子はない。
次弟はやはり上野の戦で散った。
されば無陣流は、あの身弱な末弟が継いだというのか。
勇作は十五代目の市之丞を名乗った。
わしの先代も、そのまた先代も代々受け継いできた宗家の名だ。
異なる時代の日の本からこの世界に迷い込んで来る者がおるのは、いお殿やるい殿との邂逅で分かっておった。
この勇作がわしの血に繋がる者とすれば、なんたる縁だ。
家が続くこと、流儀が継がれること、これらの喜びは異なる時代の若人にはわからんかもしれぬ。
が、今は立ち合いの時じゃ。
既に構えておる強敵に全力を尽くさぬとは、礼を失するというもの。
わしは同じく抜刀の動作でいったん中段に構え、そしておもむろに、高々と上段に突き上げた。
「初っ端から"水"に対して"火"で構えるかよ。さすがは最強の十代様だぜ」
剣術の定石通り、我が無陣流も剣の構えは"五行"を基本としておる。
木・火・土・金・水の、この世を形作る五つのものじゃ。
これらは性質ごとに相性の良し悪しがあり、相反する作用をするものを「相剋」という。
鎧のむすてがを制した"弌火"は「火剋金」、つまり火気はその熱で金気を制する。
をるに授けた"水分"は「水剋火」、水気は火気を消し止める。
無論、理屈の上での話なので必至の技ではない。
例え相剋となろうと、詰まるところ強い方が制するのは理じゃ。
勇作の構えは無陣流のすべての基礎となる中段、つまり「水」。
相剋の理論では不利だが、わしはもっとも得意とする「火」の構えで相対したというわけだった。
不遜とは思わぬ。
そなたの水とわしの火、最後に残るのはどちらか、それを決めるだけのこと。
互いに掛け声はない。
じりっ、じりっ、と間合いを詰めてくるのは勇作の方からだった。
乾いた地にじわりと雨滴が沁みとおるような、静かで有無を云わせぬ圧を感じる。
間合いが徐々に近づくに従い、切っ先を斜めに開いて上段に構えたわしの左籠手に狙いを定める。
平正眼の構え――。対上段の定石じゃ。
当流では「平星眼」と書く。
勇作は剣先をゆらりゆらりと振りながら、断続的な気攻めをかけて攻撃の糸口を探っておる。
そしてわしの視点から剣先と刀身が一直線となり、勇作の木刀が拳に重なる点となった刹那!
「ちえぇいっっ!!」
水分!
速いっ!!
わしは咄嗟に間合いを切り、両拳をさらに高くして勇作の太刀に空を切らせた。
正確に左籠手を狙って繰り出された太刀は、それでも剣先の働きを失わず、鎌首をもたげた毒蛇のようにわしへと牙を突き立てようとしている。
「えいっ、さあぁぁぁっ!!」
さらに二の太刀、三の太刀と追撃され、退くことが間に合わずわしは上段からその剣を打ち落とした。
おそろしく速い、水分の三連撃。
しかも後の太刀ほど速度を増していた。
「水分の"真・行・草"。あんたの頃にはねえよなぁ、十代様。まっ、小手・面・面だわな」
ニヤリと笑って、勇作は再び中段に構えた。
そうか。弛まぬ研鑽によって、先の世の無陣流には新たな技が加わっておるのか。そうか。
なんと………喜ばしいこと……!!
太刀を打ち落として中段に下げたままだったわし目掛けて、勇作は急激に間合いを詰めて気合いもろとも激しい連撃を浴びせてきた。
水剋火、"雩"――!
受けることすらままならぬような、速さと重さを兼ね備えた連続攻撃。
見事。ここまでの雩の遣い手は、見たことがない。
「っはあぁぁっ!!」
防御に徹して下段に隙ができたところを、過たず攻めてくる。
このゆらめくような軌道の突きは"澪標"……。
しかし剣先の捻りに独自の工夫があるとみた。
辛くもそれを捌いたわしは大きく間合いを切り、気を込めて再び上段に構えた。
「さすがだぜ、十代様。水剋火の太刀をすべて凌がれたのは先々代以来だ。いいなあ……あんた、最高だよ……!」
そう言うと勇作は笑みを消し、中段の剣先をゆっくりと上げていき、天を衝く位置でぴたりと止めた。
周囲の空気が重くなり、熱が押し寄せてくるような感覚に襲われる。
上段ーー。
わしの構えを姿見に映したかのような、同じ火剋金の太刀。
わしらは互いに、生き写しのさまで対峙した。
火と火。
五行でいえば比和の関係となろうか。
もはや相性云々ではない。
速くて強い方が勝つ。
至極単純。
勇作は正面からの真っ向勝負を挑んできたのだ。
「一手御指南」の言に偽りはない。
もっとも基本となる水剋火の太刀を披露し、いまだ一太刀も繰り出していないわしに、同じ構えからの太刀をぶつけようとしておる。
ならば、それに応えるまで。
わしらは上段に構えたまま、互いの刃圏深く同時に走り掛かった。
勝負は刹那のうちに決まろう。
この形は一刀両断、火剋金・"火明"。
随意の軌道で地まで斬り下げる大技であった。
互いの剣が交錯し、「斬った」と思ったと同時に「斬られた」とも感じた。
それほどまでに、完全に拮抗した技であった。
勇作も同じように感じたのではないか。
しかし面打ちの位置で止まった互いの木刀は、いずれも中ほどからもがれたように折れ飛んでいたのだった。
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