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第19話 王の成人式と最終御前仕合。心も体もあったまる、渾身の異世界カレー
後ろの高い位置で髪をくくり、腕まくりをした。
前掛けの紐をぎゅっと締めると、なにやら果たし合いに向かう武芸者のような心持ちになる。
いよいよ最後の試合、本当の「王選」に臨んでわたしはいつになく気合いが入っていた。
これはいわゆる「勝負」というわけではない。
でも、持てる力の限りを尽くしてこの闘厨の舞台で腕を振るおうというのは、これまで観てきた戦いの数々に感銘を受けたからにほかならない。
市之丞と、十五代目の無陣流を名乗った勇作という男の立ち合いは、ある種の美しさすらを会場に印象付けた。
相打ちになったかと思ったその刹那、両者の木刀が半ばから折れ、そのまま静止したため引き分けかと思われた。
ずっと耳を済ませていたリジュが、
「"ニスン"外れた、ってユーサクが言ってる」
そう言って不思議そうな顔をする。
ニスン?二寸のこと?
すると瑠依ちゃんがすっと指さして、
「見て、ユーサクの手元。わずかに正中線じゃない」
目を凝らしてみたけど、わたしにはその違いはわからなかった。
瑠依ちゃんの解説によると、相打ちの太刀筋ながら市之丞の斬り込みがまっすぐ通り、勇作の軌道はほんのわずかに逸れたのだという。
「二寸外れた」というのはそのことで、つまりは木刀が折れていなければ自分が斬られていた、そう勇作は言ったのだ。
試合場を見やると、先に剣を引いたのは勇作の方だった。
折れた木刀を作法通りに納め、初めより深く礼をする。
市之丞も同じく丁寧な礼を返し、二人同時に正面、つまり臨席しているはずの摂政宮に向き直って綺麗に頭を下げた。
会場全体も、そしてレフェリーも勝負の行方を理解しきれなかったみたいで、ざわ、ざわ、とささやきだけが伝播してどう審判したものか戸惑っているようだ。
と、そこへ正面席の薄絹の幕がするすると上がり、栗色の髪をなびかせてすらりとした若い女性が進み出てきた。
とっさに周囲の人たちが片膝をついて頭を垂れ、申し合わせたように市之丞と勇作もそれにならった。
「驚いた……。摂政宮殿下だわ」
リジュが目を丸くしてその様子を見守っている。
あの人が……。幼王の補佐をして王都の政を司ってきた、摂政宮。
装飾のほとんどない衣装は華美ではないが、えもいわれぬ凛とした気品が漂っている。
けど、どこかで会ったことがあるような、不思議な既視感を感じさせる女性だ。
摂政宮は会場より二段ほど高くなった壇の際まで歩み寄ると、二人の黒髪の剣士を交互に見下ろし、ふわりと笑みを浮かべた。
そしておもむろに、ゆっくりと手を打ち鳴らした。
ぱち、ぱち、ぱち、ぱち、と小さく鳴るその拍手はやがて会場全体に波のように広がり、ほどなく万雷となって響き渡った。
止むことのない喝采のなか、二人の男は黙ってわたしたち観衆に向き直り、もう一度丁寧な礼を捧げた。
市之丞と勇作の試合から数日後、図書館の帰り道で久しぶりにウォルがひょっこり現れた。
「まあ、ウォル!しばらくぶりね。顔見ないから心配してたのよ」
そう言うとウォルは照れくさそうに頭をかいた。
「ねえ、こないだの市之丞さまの試合は見た?あなたの先生はすごいわね」
「うん、ちゃんと見てたよ。おれ、感動して涙出ちゃったよ」
そうか、やはりこの子もどこかで試合をみていたんだ。わたしたちと一緒に見たらよかったのに、と言うとウォルは少し寂しそうな顔をし、真面目な表情でまっすぐわたしの目をみつめた。
「実は、家の都合でもうイオのところには来られないんだ。"こんな形"ではこれが最後になると思うんだ」
えっ?
急なことに驚き戸惑うばかりだけど、「お家の手伝い」とは前から聞いていたはずだ。
どこか違う街にでも行かなくてはならないのだろうか……。
「今まですごく楽しかったよ。どうか元気で、旦那さんとまた会えるように毎日祈ってるよ。あと……この世では無理だけど、生まれ変わったらぼくと結婚してください。イオさん」
びっくりした。
まさか異世界の少年から、来世での結婚を申し込まれるとは。
でも、ちょっと思い詰めたような、真剣な様子は決して茶化してはいけないものだと直感する。
「ウォル」
わたしは彼の目線までかがみ、ちゃんと目を見て返事をした。
「今ここで、来世の約束はできないわ。でももし生まれ変わって出会ったら、もう一度プロポーズしにきてくれる?そのとき縁がつながるならば、あなたの妻になりましょう」
ウォルはニコッと笑うと、
「わかりました。ありがとう」
そう言って、ぺこんとお辞儀をした。
そしてくるりと踵を返し、跳ねるように走り出した。
そのまま緩やかな狭い坂を駆け、突き当りの長い石段を一息に駆け上っていく。
頂点まで上りきったウォルは一度だけ振り返り、大きく手を振るとその身を街に溶け込ませていった。
わたしはかなり長いこと、その場で小さく手を振り続けた。
――最後の試合、正真正銘の"王選"の取り組みがついに始まる。
出場者は王都でもっとも広い王宮前の練武場に集い、その場で行われる幼王成人の儀に陪席することになっていた。
周囲には武装した騎士や儀仗兵が整然と並び、クラシックのような曲を楽隊が奏でている。
わたしはどこからかリジュが調達してくれた白い礼装に身を包み、なんとなく落ち着かない気持ちで前面の壇を眺めていた。
司祭のような教皇のような、聖職者とおぼしき老人が佇み、その前には小さなクッションが置かれている。
映画なんかで目にする戴冠式や、騎士叙任のような儀式を想像してちょっとわくわくしてしまう。
やがて司祭がふんわりと手を上げて何かの祈りを始め、楽隊の曲がおごそかなものに変わった。
会場の全員が一斉に片膝をついて頭を垂れ、わたしもあわててそれにならう。
どうやら、幼王が登壇したようだ。
見てはいけないのかなと思いつつ、こっそりと視線を上げて王の姿を視界に捉えたとき、あやうく声が出そうになった。
――ウォル。
栗色の巻毛、そばかすのある少し生意気そうな横顔。
司祭の前にひざまずき、頭を垂れて祝福を受け、一回り大きなあらたな王冠を頂いているのはまぎれもなくあの少年だった。
でも、その様子はもうわたしの知っているウォルではない。
いままさに成人の儀を迎えた彼は、その器に王としての歴史と重責を宿したのだ。
それまでのわずかな時間、あまりにも短い少年時代をウォルは精いっぱい過ごそうとしていたことにようやく気が付いた。
胸に迫るものを感じつつ、わたしはもう一度、深く頭を垂れた。
この世界にやってきてからまだわずかな時間だけど、出会った人々の鮮烈な生き様が胸に去来する。
わたしは夫を探すという個人的な目的が心の大半を占めているけど、それでもいま目の前のことに全力であたるための力を、そんな人々から授かった。
髪をきつめに結び終わったとき、審判から最後の料理のお題が発表された。
"調理が簡単で、大勢が食べられて元気の出る料理"
あまりに大まかなオーダーに、会場から低いどよめきがあがった。
まったくお任せで、その命題をクリアする料理をつくる――。
おもしろいじゃない。
今回ばかりは食材は余り物ではないようだ。
日常的に手に入るものばかりだけど、野菜や香辛料・調味料はしっかりと用意されている。
食材に目を走らせ、貴重なはずのお米があることを確認した瞬間、わたしの腹積もりは定まった。
試合開始の宣言とともに、頭の中で描いていた食材を集めに行く。
以前からこの世界で手に入るものでも作れるかと考えながら、今日が初の挑戦だ。
まずはお米。
わたし以外は誰も手にしなかったので、ありがたく使わせていただく。
にんじん、じゃがいも、そしてたっぷりの玉ねぎ。
お肉は一番多いチキンを選んだ。
小麦粉ににんにく、しょうが、数種類のスパイスは味見をしながら見繕う。
ありがたいことに、ホールだけではなく粉末に挽いたものもある。
ターメリック・コリアンダー・クミン・レッドチリ、と思しきものを中心に気に入ったものをいくつか。
かまどの火を調整して、先にご飯を炊く準備をしておく。
わたしのひいおじいさんやひいおばあさんの時代は毎日これが当たり前だったのだと思うと、おごそかな気持ちになる。
ご飯を火にかけている間、野菜の下ごしらえ。
皮をむいて食べよく切るが、その皮はちゃんととっておく。
特に玉ねぎの皮をたっぷり使い、それらを一緒にして水から煮出しておく。
これはもとの世界でもよく作った、ベジブロスだ。
玉ねぎの皮が風味と色を出し、まるでコンソメスープのような味わいになる。
薄くスライスした玉ねぎを多めの油で炒め、しんなりしてきたところに小麦粉を少しずつ振り入れていく。
ブラウンソースの素のようなものが出来上がり、すでに美味しそうな香りだ。
そこに用意したスパイスを順に加えていくと、えもいわれぬ懐かしい香りが立ち上ってきた。
そう。もちろんこれは、カレー。
夫についての記憶が封印されているにも関わらず、彼がこの料理を大好きだったことがはっきりとわかる。
塩だけでは味が弱いと思うので、玉ねぎ皮のベジブロスがきっといいダシになってくれるはずだ。
お肉と野菜を炒め、カレーペーストと合わせてベジブロスで煮込めば、わたしの異世界カレーの完成だ。
おたまでほんの少しカレーをすくい、わたしは味見のためにそっと口をつけた。
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