第20話 あらたな旅立ちのとき。王のキャラバンと"遣帝都返礼使"

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第20話 あらたな旅立ちのとき。王のキャラバンと"遣帝都返礼使"

それは不思議な光景だった。 すべての王選御前仕合が終了した大きな練武場は、そのまま無礼講の宴の場へと姿を変えていた。 食べ物は最後の闘厨で作られた料理が供されたけど、もちろん量はぜんぜん足りない。 そこで、表彰直後に宮廷料理人のチームが押し寄せ、あれこれ聞きながら手際よく同じ料理を大量にこしらえてしまったのだ。 遠目に一度見ただけでよくぞこれだけと思うほどの技量で、さすがはプロだ。 「魔女どの!玉ねぎは薄いほうがよろしいか」 「小麦粉の量はいかほど?魔女どの」 「魔女どの、子どもらには辛味を抑えたほうがいいですよね?」 魔女どの、魔女どの、と何度も呼ばれてヘンな気分だけど、もみくちゃになってとんでもない量のカレーをつくるのは、なんとも楽しいことだった。 わたしのカレーは、たいへん好評だったようだ。 似たような料理はあるものの、ひとつの鍋でたくさん作れることや、火加減の難しいお米をおいしく食べられることなどが評価されたという。 ご飯には麦・粟・稗なんかも少し混ぜて雑穀米にしたのも、王都の人には新鮮に映ったとのことだ。 そのままでは食べにくい小さな穀物も、お米と一緒に炊くともっちりして本当においしい。 料理だけではなく、武芸や音楽などの各試合にはもちろん優勝者がいる。 けれど、出場したほとんどすべての人が何らかの勤めにつける見込みだという。 王選に残った者は近衛や王都付き、そうでなくとも周辺の衛星領や騎士家へと奉職するというのだから、大規模な雇用創造といえるだろう。 武芸試合で最後まで残った市之丞は、意外にも細剣を遣う女流騎士に一本をゆずり、準優勝となった。 相手が女性ということが影響したのか、それとも愛用の木刀が折れて急ごしらえのスペアで闘ったためか、敗因はよくわからない。 瑠依ちゃんいわく、市之丞の無陣流は戦場の乱戦でもっとも力を発揮する武術であり、フェンシングのように素早くピンポイントを攻撃する決闘的な技とは相性が悪いのではないかとのことだ。 でも、試合を終えた市之丞は実に清々しい顔をしていた。 まだ直接会えていないけど、後でゆっくり話を聞ける機会があるだろう。 「ご無礼、黒髪の魔女どの。しばし王宮までご足労いただけませぬか。ウォルムガルド国王陛下のお召しにございます。ご友人方も、あちらに」 音もなく近寄ってきた文官風の女性が、丁寧な物腰でそう声をかけてきた。 その向こうを見やると、リジュと瑠依ちゃん、市之丞も王宮への入口で待っている。 なんだろうと思いつつももしや、という期待もあり、わたしは彼女について歩き出した。 宮殿の回廊は狭いけど天井が高く、白い石造りの清潔な空間だった。 どこをとってもほとんど装飾のない質実剛健な建物だけど、侘びたような品はもしかすると日本人の美意識に近いのかもしれない。 突き当りに衛兵が6人で守る大きな扉があり、文官はそこで立ち止まった。 「王よりたっての願いでお越しいただきました。これより王の間ですが、ボディーチェックもせぬよういいつかってございます」 文官が小腰をかがめてすっと手をかざすと、衛兵はきれいに左右に分かれて剣を捧げ、大きな扉がゆっくりと開いた。 赤くくすんだアンティークな絨毯がまっすぐにのび、簡素な部屋の最奥に王が座している。 そして傍らには、あの摂政宮が寄り添うように佇んでいる。 いざなわれるままに王の御前へと進み、文官の作法にならって片膝をついて頭を垂れる。 今度は顔を上げて王の姿を視界にとらえる気にはなれなかった。 わたしの知っていた小さなウォルは、紛うことなくこの都の王となったのだ。 「マレビトの皆様方、エルフのドクトル。ご足労感謝します。文官も大義でした。さがってよろしい」 口を開いたのは摂政宮だった。深く通るような、凛とした声だ。 わたしたちを案内してくれた文官の女性は深くお辞儀をし、退出すると静かに部屋の扉が閉じられた。 「て、いうわけでさ」 文官が部屋を出た瞬間、王となったウォルはぴょいっと玉座から飛び降りて、照れくさそうにそう言い放った。 「みんなに膝なんかつかせてごめんよ。イチノジョー先生にまで。ああぁ、すっかり疲れちゃったよ。あっちに座ってお茶飲んでおくれよ!」 トコトコと歩いていく姿は、下町のいたずらっ子のような雰囲気そのままだ。 わたしたちは呆気にとられて顔を見合わせ、やがてついつい笑いだしてしまった。 わたしたちの前では、王ではなくウォルのままでいることを選んでくれたのだ。 「まあまあウォルったらお行儀のわるい。皆さまにもご無礼いたしております。弟がすっかりお世話になりながら、このような形でしかお目もじかなわず……」 さきほどまでの厳かな雰囲気とは打って変わって、摂政宮が気さくに声をかけてくる。 どうやらこの王族は素朴で居丈高なところのない人たちのようだ。 ウォルが王さまだったという事実以外、今までと何も変わらないかのような時間。 お茶を飲んで、市之丞の強さやわたしのカレーの味について楽しそうにしゃべるウォル。 けど、わたしたちをここに呼んだのは、決しておしゃべりをするためだけではないだろう。 ひとしきり談笑した後、ウォルはきりっと表情を引き締め、本題を切り出した。 「……みんなも試合場で見かけたかもしれないけど、"帝都"からおれのために祝賀使がきてくれてるんだ」 ああ、そういえば貴賓席にそういう人たちが列席しているのを目にした覚えがある。 この王都以外にも大きな国があるのかあ、と漠然と思っただけだったけど。 「彼らから聞いた話によると帝都でもなぜか近年、"黒髪のマレビト"が相次いで出現しているらしい。そしてその内の一人に、記憶をなくして妻を探している男がいるそうなんだ」 どきっ、と胸が強く脈打った。 それって、もしかしたら。 「ええ!その人って、まさかイオの旦那さんなの!?」 「なんと、いお殿の探し人かもしれぬな」 「その人の特徴はわかりますか?晃平さん……伊緒の旦那さんなら……」 まあまあ、とみんなの言を手で制したウォルは、 「情報はほぼそれくらいで、詳しいことはわからない。祝賀使も噂を耳にしただけで、実際に会ったわけではないそうなんだ。どうやら帝都周辺国の騎士団に所属しているらしいけど、一所に留まっていないみたい」 そう言って、わたしに真っすぐ目を向けた。 「探しに行こうよ」 今度はこちらから、探しに行くんだ。 ウォルはきっぱりと、真剣な表情で断言した。 「実は帝都でも新しい皇帝が即位するから、おれに対する祝賀への返礼も兼ねて、王都からも祝賀使を送らなきゃならないんだ。そこで……おれが直接行こうと思ってる」 一国の王が直接、他国に祝賀と返礼に向かう? 一番速い交通手段が馬車や船というこの世界では、おそらくそれは相応の危険を伴う大胆な行動なのだろう。 「留守の間の政は今まで通り姉上…摂政宮がみてくれる。帝都は先の戦で王都よりも手ひどく傷ついて、遷都先がようやく落ち着いてきた頃らしい。祝賀使も無理して送ってくれたんだ。この機会に直接新帝にお目もじして、両国の絆を深めたい」 そこで、皆さんにお願いしたい。 ウォルは居ずまいをただし、表情を引き締めてこう切り出した。 「帝都への旅に、同行してもらえないだろうか。"遣帝都使"のメンバーとして」 そうか。ウォルは、そういうことを考えていてくれたんだ。 現実的に、わたしたちのようなマレビトのもつ、この世界が知らない技術や知識は役に立つだろう。 でもそれを抜きにしても、わたしの探し人のためにも心を砕いてくれているのが伝わってくる。 「ドクトル・リジュナリオ、マギステル・ルイ。貴女方の学識の深さは、ラグロワール師からもうかがっています。道中ではあらゆる研究者の力が不可決になるでしょう。それにイチノジョー先生。旅の途上となりますが、ムジンリューの稽古をこれからも続けたいのです」 そしてウォルはわたしに向き直り、にっこり微笑んだ。 「イオさん、貴女の料理はたくさんの人の心を温める力があります。旅先でも帝都でも、その魔法のような味を、一人でも多くの人に知ってほしい。それに、"カレー"なら旅団の全員が平等に楽しむことができます。長旅では日の感覚も狂うでしょうが、貴女の世界の船乗りは、7日に一度のカレーを楽しみにしているのでしょう?」 え……?海軍カレーのこと? そんな話、ウォルにしたことあったっけ? すると、文官から来客を告げる声がかかり、ウォルが入室を促すと開かれた扉の向こうに、一人の男が直立不動の姿勢をとっていた。 「あっ!!」 その場の全員が、同じ声を出した。 そこには市之丞と素晴らしい闘いを繰り広げた、木守勇作中尉がいた。 「木守中尉、陛下のお召しにより参上しました。おお?これはこれは、十代様。それになにやら、美人がたくさんおられますなあ」 「"金曜カレー"の話は、ユーサク中尉から聞いたんだ」 ほんの少し少年らしい口調に戻って、嬉しそうにウォルがそういう。 「海軍さんには、輸送でずいぶんお世話になったでありますからなあ。おや……。ということは、皆さんも"遣帝都使"の一員でありますか」 勇作の質問に、ウォルは問うようにしてこちらを見つめた。 わたしたちは、それぞれがお互いに顔を見合わせ、そして全員が同時に頷いた。 リジュ、市之丞、瑠依ちゃん。 縁あって出会って、固くやさしい不思議な絆で結ばれた仲間たち。 わたしたちは、新たな旅へと足を踏み出す。
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