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第3章〜プロローグ〜 妖面の精と魔導具の騎士団
――聞こえるかね?
傷は癒えたはず、死んだのではあるまい。
そろそろ、動いてみてはどうかね。手足が固まってしまうぞ――
頭の中で女の人の声が聞こえる。
ぼくがいつから、どれくらいの時間、こうしていたのか何もわからない。
全身が痛いような痛くないような、夢を見ているようなはっきり目覚めているような、何もかもが曖昧な感覚。
「あなたは……誰」
ようやく絞り出した声はかすれ、耳の奥が塞がったような不快感で頭が重い。
――私は"誰"でもない。
だが、君の敵でもない――
声は相変わらず頭の中に響いてくるが、意識がはっきりしてくるに従い、それがちょうど顔の上半分に覆いかぶさった何かが発していることに気付いた。
――理解したかね。私のことを人間たちは、"妖面の精"とも呼ぶ。仮面に宿った、千年の妖霊――
言っている意味がわからない。
でもわからないながらも、自分の置かれた状況がただならぬ危機に瀕していたことを本能が告げていた。
目を開けているつもりなのに真っ暗で何も見えず、身体の感覚はあるが全身に大きな傷を受けたような違和感がある。
――君は危ないところだったのだよ。
偶然にも私が見つけなければ、そのまま魔物の餌になっていただろう。
生きて、なすべきことがあるのではないのかね?――
ああ、そうだ。
ぼくは、探しに行かなくちゃ。
あの人を、探しに。
「妻を……妻を探さなくちゃ……」
――妻?どんな?――
「それは………」
そんな……。
思い出せない。妻のことを。
頭にフィルターがかけられたかのように、妻のことを思い出そうとすると強制的にその記憶から遠ざけられるような……。
――魔法で封じられているのだよ。大切な者の記憶を。
趣味の悪い、古代の魔法さ――
そんな、ばかな。
どうすれば……どうすればいい?
――取引をしよう、青年――
妖面の精の声が少し優しくなり、頭の中でやわらかく響いた。
――君の大切な人を探す手助けをしよう。その代わり、君の身体をしばらく私に貸してほしい。
なに、君の意識と人格はなくならない。
君という肉体に相乗りさせてもらうだけさ。
言葉の通り、私はただの仮面でしかない。
世界を知覚する機会がほしいのだよ。
互いの目的を達するその時まで、君の顔に張り付いて生きていく力を貸そう。
どうかな――
にわかには信じられないことだが、残念ながら夢ではないことははっきりわかる。
そして、ぼくには他に選択肢がないことも――。
――よろしい。契約成立だ。
賢明な判断に敬意を表そう。
これから海を、風を、能う限り私に世界を見せてくれたまえよ!――
すっ、と顔に何かが密着する感覚があり、ぼくはぼんやりと視覚が戻ってくるのを感じた。
薄暗い、神殿のような場所だ。
正面に誰かが座っているのが目に入った。
が、視力が完全に戻った瞬間声を上げそうになった。
そこには白骨化した、鎧姿の騎士の姿があった。
――私の先代のパートナーだ。
君は"彼"を継ぐのだよ――
頭の中で仮面の声が響くとともに、周囲から無数の鎧擦れと足音が近づいてきた。
暗闇から溶け出すように次々と現れたのは、目の前の白骨と同じような装備の騎士たちだった。
だが、亡者ではないようだ。
ただし、いずれも顔の上半分を無機質な仮面が覆って表情はうかがえない。
――ようこそ。魔導具の騎士団へ。
皆似たような境遇の者たちだ。
せいぜい仲良くするのだな。
命を預け合う仲間になるのだから。
ふふっ……はははは………――
薄闇に息づく無数の騎士たちを前に、妖面の精の笑い声がいつまでも頭の中に木霊していた。
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