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第21話 異世界の船旅、魔導船団と海のコックたち
王のキャラバン。
そう聞いて勝手に長い長い陸路をイメージしていたのだけど、わたしたちは今、船の上にいる。
大きくて真っ白な帆がいっぱいに風をはらみ、すべるように海原を走る船団は次々と島影を追い抜いていく。
北国の王都に対して、帝都は南方の大陸にある。
けどそれらは陸続きではなく、途切れ途切れに島嶼が連なり、海路でなければわたることができないのだ。
潮の香りをかいだのは、いつ以来だろう。
わたしの育った北国の町は海が近く、夏ともなれば必ず遊びに行ったものだった。
そんなことを思い出してしまうくらいに、南への海路は穏やかで平和だ。
もちろん、腕ききの船乗りたちが風と潮を読み、王の御座船に万が一のことがないよう細心の注意を払ってのことだけれど。
船団は、最初のうちは広い浜のある島の近くに碇泊して、陸地で野営をしていた。
かつてはもっと頻繁に王都と帝都との往来があったそうで、そこかしこの島に古いけど立派なかまどや、キャンプに適した平坦地などが残っている。
こまめに水や薪などを補充しつつ、船団は快調に一路帝都を目指していた。
船団には一国の使節としての人材だけではなく、実に様々な職掌の人々が乗り組んでいた。
これだけ大規模な旅は貴重な調査のチャンスであり、資源や産物、あるいは文化面でも新しい発見をおおいに期待されてのことだ。
わたしたちは基本的に王の客分という扱いではあったけれど、働かざる者なんとやらでそれぞれに仕事を見つけて、しかるべきポジションに収まっていた。
リジュは船を守る結界魔法の営繕と整備。
「これからの海域には魔物が出るから」
と、さらっとこわいことを言っていた。
瑠依ちゃんは調査目的で乗り組んでいる各分野の研究者に交じり、嬉々として異世界の民俗・風習を中心にフィールドワークを続けている。
特に船乗りたちの言葉や信仰に思うところがあるようだ。
市之丞は護衛と剣術の教授のため、ほとんどウォル……王に近侍している。
帝都に着くまでに外交儀礼や独特の風習、また式典でのスピーチ等々、いくらでも訓練すべきことがあるのだという。
だから、船に乗り込んでからは一度もウォルとは親しく話などできていない。
軍人の勇作は、キャラバンの補給や兵站管理の中心として別の船を指揮している。
「陸軍も、船を持っていたのでありますよ」
何か心得があるようで、少し誇らしげにそう言ったものだった。
わたしはというと、船の司厨、つまりコックさんたちにまぜてもらって食事作りをメインの仕事にしていた。
けど、とにかくもう、わたしなんかの家庭料理とはわけが違う。
出港時にはもちろん、なるべく新鮮な野菜や肉類を用意していたけど、船に積める量には限りがある。
それらを使い切る前に寄港した場所で新たな食材を仕入れ、保存食をつくり、しかも栄養バランスにも細心の注意をはらってメニュー計画を立てている。
わたしたちの世界史では、大航海時代にビタミン不足で数多くの船乗りが壊血病に倒れたことはよく知られている。
この世界でビタミンという概念はまだないみたいだけれど、それでも経験的に生鮮野菜やフルーツが健康管理に重要なことが認識されているみたいだ。
その証拠に、王都の路地でウォルがよくかじっていた小さなりんごが大量に用意され、さらにもうひとつ途中の港で懐かしい果物が積み込まれた。
「これを毎日1個食べれば、医者が国からいなくなるってね」
そう言って笑ったのは、この船団の司厨長であるベシュニア女史だ。
宮廷料理人でありながら、下町食堂のおかみさんのような快活さをもったこの人が、わたしは大好きだった。
彼女が手にしているのは、見紛うことなく「柿」。
わたしが生まれ育った北国では自生していなかったけど、熟れるほどに甘くとろとろになるこのフルーツが大好きだった。
「わたしの故郷でも、柿が赤くなると医者が青くなるっていう格言がありますよ」
そう言って笑いあうとおり、確かに柿は他量のビタミンCをはじめとする栄養素が豊富で、船旅には実に心強い食物となるだろう。
さて、海のコックたる司厨さんたちの働きぶりは、それはもうものすごいものだった。
各船ごとに数人の司厨がいるが、クルーは昼夜3交代の24時間稼働のため、朝・昼・夕・夜・夜中の一日5食を用意せねばならない。
昼食と夕食がもっともボリュームのあるメニューで、ほかは作り置きのスープや保存食、フルーツなどが供される。
とはいえ厨房は控えめに言って戦場で、特に真水は貴重品のため少しでも粗末にしようものなら上長から特大のカミナリが落ちてくる。
しかも上陸してからの調理ならまだしも、徐々に船上での作業が増えてきていた。
主婦として多少腕に覚えがある程度ではまったく太刀打ちできず、わたしは当初足手まといでしかなかった。
「おいっ!皮剥くのになに真水使ってんだ!!」
「包丁置きっぱにしてんの誰だあっ!船揺れたら危ねえだろうが!!」
「火の番欠かすなっつってんだろうが!船ごと燃やす気か!!」
全部が全部わたしに向けられた言葉ではないけれど、怒号が飛ぶたび首をすくめた。
きつい言い方だけど、すべてまったくそのとおりだと思う。
食べ物と水を大事にすること。
急に船が揺れても道具が飛び散らないよう、常に整頓すること。
火の扱いには片時も注意を怠らないこと。
これらは海のコックとして、クルー全員の命を預かることに直結している。
むしろ、わたしは奮い立った。
何を隠そう、わたしの大おじさんにあたる人は海軍の主計兵として、軍艦の烹炊員をしていたそうなのだ。
つまり、わたしにもいくばくか海のコックの血が流れているということだ。
それに、実際に船に乗り組んで初めてわかったことだけど、わたしはどうやら揺れにとても強いみたいだ。
船酔いで命の危機に陥ることはないというけれど、三半規管が繊細な人には実はとてもおそろしいものだ。
激しい嘔吐が続いて立つこともできなくなり、脱水症状と延々続く回転性の目眩で死ぬ思いをするという。
しかも海が荒れている間、船の上ではどこにも逃げ場なんてない。
クルーのほとんどは屈強で船慣れしているみたいだけど、初めての者や乗り物酔いする者は魔導士が調合した薬を肌身離さず持っていた。
この船団には熟練者ばかりではなく、各部署に見習いの年少者が配属されていた。
経験を積ませるためにあえて登用されたものだけど、ほとんど初めての船旅にみんなおっかなびっくりの様子だった。
わたしが乗り組んだのは王の御座船でもあったけど、厨房には中学生くらいにみえる見習いの少女たちがいた。
昔の板前の世界なら「追い回し」と呼ばれたであろう見習いさんで、文字通りお皿洗いや食材の下拵え等々、次から次に仕事をこなす姿には目頭が熱くなる。
わたしは彼女らにまじって立ち働き、同じように上長から叱り飛ばされるという日々を送っている。
おっかない先輩もいるけど、司厨長のベシュニアさんがおおらかなのが若い子には救いのようだ。
それに、微妙な立場のわたしには逆に接しやすいのか「イオさん、イオさん」と何くれとなく慕ってくれるのもなんともかわいくて仕方がない。
この子たちのためにも、年長のわたしがしっかりしなきゃ!
そんな思いもあって、なおいっそう船上の日々に気合が入るのだった。
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