第23話 荒ぶる龍の海と、ドワーフの魔導船

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第23話 荒ぶる龍の海と、ドワーフの魔導船

海では急激な天候の変化はよくあることのようだけれど、この雲行きはわたしの素人目にも尋常じゃない。 それはこの島での野営を撤収して、沖に碇泊した船へとそれぞれのボートで向かおうとしていた時。 頭のすぐ上の空は青く晴れているというのに、海の向こうが灰色に翳ってきたかと思うと、またたく間にその塊がこちらへと押し寄せてきた。 凪いでいた水面は不吉にざわめき、雨粒の混じった風が木々を揺さぶって唸り声をあげる。 司厨たちは最後の撤収グループだったため、わたしがボートに乗り込もうとした時には沖に白い三角波が立ち、この入り江にもその衝撃が伝わって恐怖を感じた。 「嬢ちゃん、そっちは手狭だ!こっちに乗んな。俺が船頭やるぜ」 勇作中尉がそう声をかけてくれ、資材ばかりが積まれた1隻にもぐりこませてもらう。 彼が櫓を漕ぎだした頃にはもう、さっきまで青く静かだった入り江は灰黒色の荒波となり、横殴りの雨と強風でもはや嵐の様相だ。 「身い低くして、その辺に掴まってろ」 「陸軍さんなのに、ボート漕ぐのお上手なんですね!」 風波の音に負けないよう、わざと大声で軽口を叩くと、 「ほんとは軍艦に乗りたかったからなあ!!」 と、笑いが返ってきた。 でも、加速度的に勢いを増す暴風雨と、激しく揺れながら上昇と下降を繰り返すちっぽけなボートは心底恐ろしかった。 ほかのみんなは無事に船に乗れたのだろうか。 「もう少しで入り江を抜けるぜ!絶対に顔を上げるなよ!」 勇作がそう言ったとき、暗い灰色になっていた空が突然真っ白になった。 次の瞬間、特大の轟音が耳をつんざき、わたしは悲鳴をあげた。 固くつむったはずのまぶたの裏には、天から海へと貫く紫色の稲妻がネガのように焼き付いた。 ひときわ大きな波がボートに打ちつけ、手がかりを掴んでおれずにわたしは船底に投げ出されてしまった。 「伊緒!掴め!どこでも!あとちょっとで……」 勇作がそう叫んだ瞬間、今度はすぐ目の前のように思われる距離で紫電が炸裂した。 不思議なことに、それは古い映画のフィルムがコマ送りで映し出されるかのような、ゆっくりとした動きに見えた。 鋭く屈曲した紫の稲妻が空から海へと突き刺さり、風と波と雨と熱がボートをもろともに薙ぎ払っていく。 爆発するように広がる白い光に視界を覆われながら、わたしはその向こうに、何か途方もなく巨大な蛇のような生き物の影を見た気がした。 あれはまるで………龍……? わたしは、そのまま意識を失った。       ~~~~~ ――潮騒の音が聞こえる。 わたしは、仰向けに寝ているのだろうか。 ふわふわと心地よい揺れは、まるで船の上にでもいるかのようだ。 夢をみているような覚醒しているような、まどろみのあわいで、まぶたを通して日の光に照らされているのを感じる。 そして胸の上には、なにやらずっしりと温かなものが――。 はっ、と意識が自分の元に戻ってくる。 わたしは、どうしたんだろう。 さっき海で大きな光にまきこまれて……それから……? みんなは……? 陽光のまぶしさに顔をしかめつつ、うっすらとまぶたを開ける。 と、まっさきに映ったのはなぜかネコ。 大きな三毛猫がわたしの胸の上でまるくなって、あまつさえ喉をゴロゴロ鳴らしている。 なんで、ネコ……。 そう思って身を起こそうとした瞬間、頭の上からやわらかな女の子の声が降ってきた。 「まって!急に動いてはだめよ」 わたしの額に、そっと手が置かれた。 慌てたような声とは裏腹に、とてもやさしい動作だった。 「ドク、どんな様子?」 女の子は、心配そうな声でそう問いかける。 「うむ、大事ニャい」 わたしの胸で、ネコがそう答えた。 「脈拍・心音・呼吸、すべて異常ニャい。 体温がすこし高いのは、直射日光のためニャろう。 軽い擦過傷以外には、目立った外傷もニャい。 つまりもう、起き上がってよろしい」 ネコはそう言うと、わたしの胸からピョーンッと飛び降りた。 後肢で蹴る力が意外と強くて、わたしはちょっと「おふっ」と呻いた。 世の中には不思議なことがたくさんあるので、ネコがしゃべることもあるのかもしれない……。 ぼんやりと靄がかかったような頭でそう思っていたのだけど、少なくともいまの衝撃は夢ではない。 わたしは混乱しつつ、とにもかくにも上体を起こすべく身体に力を込めた。 「あ、無理しないで。 ちょっとずつ、ちょっとずつね」 さっき目を覚ましかけたとき、額に手を置いてくれた女の子の声だ。 こんどは背中に手を添えて、起き上がるのを助けてくれる。 完全に身を起こして、ぺたんと座り込んだわたしは、まばゆい陽光に視界をならすように少しずつ焦点を合わせていった。 そこはやはり海だった。 青く凪いだ海の上に、わたしはいる。 座っているのは細い木の板が整然と敷き詰められた、船のデッキのようなところだ。 波に呑まれたはずなのに不思議と身体は濡れておらず、服も陽光の熱でカラカラに乾いている。 「だいじょうぶ? わたしが分かる? どこか痛いところない?」 声の方を向くと、フードをかぶった色白の女の子が、心配そうな様子でこちらを覗き込んでいる。 うっすらと碧がかったような、不思議な瞳の色の子だ。 彼女は両手の人差し指を立てて、わたしの目の前で軽く振ってみせた。 「指は何本?」 ちょっと小首をかしげるような仕草で、そう尋ねてくる。 「指は……10本?」 自分でも意外なほどはっきりした声で、わたしは答えた。 彼女は一瞬きょとん、とした後、すぐにころころと笑い出した。 「そうだね。指は10本、だよね」 よかった、意識もはっきりしてだいじょうぶそうだね、そう言いながら彼女は、かぶっていたフードをふわりと脱いだ。 三つ編みにした豊かな赤髪。 陽を受けて複雑にきらめくグリーンの瞳。 そして、わたしともエルフとも違うまるくかわいらしい耳。 「わたしは、"水銀窟のプリュオギュール"。見てのとおりのドワーフよ。プリュオって呼ばれてるわ。 この船の司厨士……というか、雑用係りかな」 プリュオと名乗った少女は、そう言ってはにかむように笑った。 ドワーフ……! その人たちもファンタジーでおなじみだけど、イメージよりもずいぶんかわいらしい感じだ。 「で、こちらが船医さんの"ドクトル・ミモ"。 あなたを最初に見つけて、ここに引き上げたのもドクなのよ」 うにーん、と大きく伸びをしていた三毛猫が、こちらを見上げて「ニャい」と言った。 わたしは丁寧に会釈を返した。 「ところで、あなたのお名前を聞いてもいい?」 遠慮がちに、プリュオがそう尋ねてくる。 そうだ、助けてもらって名も名乗らないなんて、失礼にもほどがある。 「わたしは、伊緒。助けてくれたのに、ぼんやりしてしまってごめんなさい。 本当にありがとうございます」 ぺこりと頭を下げるわたしに、どういたしまして、とにこやかに返しつつ、 「イオ、さん。きれいなお名前ね」 そう言って屈託なく笑った彼女は、あどけない表情を見せた。 ドクトル・ミモと呼ばれた猫も、満足げに毛づくろいを始めている。 「そうだわ、プリュオさん。他に、海に投げ出された人は見ませんでしたか?」 ボートで母船に向かっていたみんなや、最後に一緒だった勇作は無事なのだろうか。 「いいえ、わたしたちが見つけたのはイオさんだけよ。もし貴女の仲間なら、きっと同じくらい強い海難よけの魔法がかかってるはずだから、滅多なことでは沈んだりしないはずだけど……」 そうか。わたしがこうして無事なのは、リジュがかけてくれた魔法のおかげだったんだ。 依然不安は去らないけれど、少しでも希望が見えた。 どうかみんな、無事でいてほしい。 祈るような気持ちで、わたしは立ち上がるべく両の脚に力を込めた。
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