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第25話 緩衝水脈(ノーマンズ・トレイル)
「……水測手、"高原のエスカリオネ"です」
磁器のような白い肌に、長く尖った耳。
彼女はエルフのようだ。
けれど、リジュと比べると怜悧というか、ツンとしてなんとなく近寄りがたいような雰囲気をまとっている。
エスカリオネの席には、バスケットボール大の水晶玉を上半分だけ切り取ったような半球が置いてあった。
彼女が手をかざすと、球体の端のほうに赤く細かい点が浮かび上がり、まるで大雨のときの天気予報図みたいな図が表示された。
「……換気・天候観測のため浮上航行中、"客人"の漂流を確認。
救助のため、ドクトルらを派遣しました……。
直後、3時方向・距離6000に高密度の魔素子凝集が発生……。
パターン解析の結果、"海龍"の出現と判明しました……」
「サーペント!?この海域に、そんニャ……」
エスカリオネの報告に、ドクが驚愕の声をあげた。かたわらでは、プリュオも緊迫したな面持ちで立ち尽くしている。
やはり、王都の船団を突如襲ったのは単なる自然現象ではなかったのだ。
「そんで緊急事態ってわけだ。
これまで、この海域にサーペントが現れたことはねえ。
"緩衝水脈"の中でも、もっとも安全な航路のひとつといわれてきたからな。
こりゃあ、海図も描き直さなきゃなんねえな」
ヨルディン船長が後を受け、最後は冗談めかした口調だったがブリッジの誰一人として、笑いはしなかった。
船長以下の上位船員と面通ししたわたしは、今度は機関部員に挨拶することになった。
船は深度を保ってサーペントの動きに警戒しつつ、微速航行で当初予定をやや迂回するコースをとるとのことだ。
ドクは一旦医務室に戻らねばならないそうなので、後のことはプリュオが面倒を見てくれることになった。
そして今、わたしたちを機関室へと先導してくれているのは、なんとしたことか水兵姿のクマのぬいぐるみのような生き物だ。
「天井の低いところがありますので、気を付けてお進みください」
トコトコ歩きながら、つぶらな瞳でわたしを見上げるこの愛くるしい存在は、いわゆる"使い魔"だそうだ。
魔法力で生命を吹きこまれたぬいぐるみで、何体も船に乗り込んでおり水夫の役割をはたすという。
確かにさっきから小さなクマたちが、バルブを締めたり計器を点検したり、きびきびと立ち働いている。
やばい、めちゃくちゃかわいい。
いまわたしたちを案内してくれているのが"水夫長"で、彼だけが自我をもって船内のファミリアを統括しているのだという。
「当船は、魔素子機関搭載の"甲殻魔導潜水艇"です。
船体外殻は200年生の王无貝、機関出力は……」
かわいい見た目と声だが、チーフが縦板に水、という感じでスラスラと船のスペックを説明してくれる。
「そんな急にしゃべったら、イオさんだって困っちゃうわ。
でもチーフはこの船が大好きだもんねえ」
プリュオが苦笑しながらも、助け舟を出してくれた。
出力や速度などの単位はさっぱり分からないが、この潜水艇がやや旧式化しつつある、小型の快速輸送船であることは理解できた。
そして、これまでほとんど把握していなかったこの世界の地理と事情についても、みんなからの説明でその概要を知ることができた。
この世界で大陸と呼べるのはわたしが最初に迷い込んだ王都と、これから向かおうとしていた帝都のある地域だけだそうだ。
そのほかは大小の島々が点在する地形をしており、実はほとんどが海で占められているという。
そのため船や航海術が発達したが、ある日突然、海上に多くの魔物や怪異が出現するようになり、島と島をつなぐ船が自由に航行できなくなってしまった。
これを"海封禍"という。
島同士の交易や人の流れを遮断されたこの世界は、たちまちのうちに枯渇してしまった。
一握りの諸島の範囲だけでは、完全な自給は難しかったのだ。
それに長期化した結果、限られた地域内だけではやがて婚姻の問題も表面化した。
なんとしてでも、海を渡らなければ、ほどなく人々が滅びに向かうのは明白だった。
王都でしきりに聞いた「先の大戦」もそういった情勢が生み出した戦災であり、これが種族間の対立をさらに煽る結果になってしまったのだという。
そんな時、異世界から一隻の船と一人の男が客人として流れ着いた。
その男の船は見たこともない鉄造りで、海の中を潜って進むことができた。
男は潜水船の構造を熟知しており、この世界の船大工たちに、余すところなくその技術を伝えた。
再現することのできない機構も多かったが、固有の魔法力を組み合わせ、そしてこの世界での魔導潜水艇が進水した。
そして幾多の勇敢な船乗りたちによって、やがてこの世界を一周する、比較的安全な海流の航路があることが発見される。
それが"緩衝水脈"だ。
わたしを救ってくれたのは、まさしくそのノーマンズ・トレイルを航行中の潜水艇だったのだ。
やがて案内されたのは、いつか映画で見た蒸気船のボイラー室のようなところだった。
ここが船の心臓部、機関室だそうだ。
と、扉が開いて一人の男性が現れた。
「君がイオだね?
ブリッジから聞いてるよ。
僕は一等機関士、"赤磐のムーゴラナム"。
ムーゴ、と呼んでおくれ。
マレビトとは、災難だったねえ……。
でも、怪我もなさそうで何よりだよ」
人のよさそうなこの若者は、チェリオ副長のように小柄だが、見るからに頑強ながっちりした体躯をしている。
若々しく、髭もきれいに剃っているためそうは見えないが、彼もドワーフの一族なのだという。
物語の中ではドワーフというと豪快で陽気な反面、気難しい職人気質の者が多そうなイメージだが、ムーゴの物腰のやわらかさは安心感を与えてくれた。
「待ってて。一番偉い人呼ぶから。
師匠!
さっき伝達があった、マレビトさんですよ!
マイスター!」
ムーゴは部屋の階下へと続いているであろうタラップに向けて、大声で呼びかけた。
すると、わたしたちのすぐ足元にあったハッチがガバッと開いて、焼け付くような熱気とともにヌウッと男が顔を出した。
ものすごく立派なヒゲ、いかにも頑固そうな四角い顔、小型に凝縮したレスラーのような、いかつい体格。
これぞまさしく、ザ・ドワーフといった風格の持ち主だ。
「"黄銅坑のゴドレウール"じゃ。
親しい者は"ゴドル"と呼ぶ」
低く重々しい声でそう名乗り、ゴドルはすっ、と右手を差し出した。
「(でも、"マイスター"って呼んであげてね)」
プリュオがそっとわたしに耳打ちする。
「伊緒ともうします。遭難したところを助けていただきました。しばらく船にごやっかいになります」
わたしも挨拶し、ゴドルの差し出した手をしっかりと握った。
驚いたのは、その手の大きさだけではない。
固く、分厚く、それでいてなめし革のような強靭さを感じさせる。
所々には真っ黒なオイル染みや、細かい無数の傷跡があり、とことん手仕事で生きてきた人物だということがわかる。
そして何より、日なたのように温かい。
本物の職人の手だ。
握手をしたまま、ゴドルが片眉を上げて不思議そうにたずねてきた。
「イオ、君はいったい何の職人なのだね」
わたしはびっくりして、王都では料理の仕事をしていたこと、大叔父が軍艦乗りで海の料理人だったことなどを、たどたどしく話した。
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