第27話 海峡航路と待ち伏せの海龍(サーペント)

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第27話 海峡航路と待ち伏せの海龍(サーペント)

「まずいな」 みんながブリッジに集まっての定時報告(ブリーフィング)のとき。 ソナーのエスカリオネからの知らせに、厳しい表情で耳を傾けていたヨルディン船長がぼそりとつぶやいた。 水晶半球(ディスプレイ)に映し出されているのは、本来進むべき航路を表す矢印、そして実際にこの船が選択してきた航跡のドットを線で結んだものだ。 それぞれ異なる色と形で、その差がよくわかるようになっている。 が、問題は予定航路のその先にわだかまる無数の赤い点だ。 見るからに禍々しく、事情がよくわからないわたしですら、これが極めて深刻な障害であることを直観的に理解させられる。 「……信じがたいことですが、海龍(サーペント)は一定の距離を保ちながら、当船に追随してきました……。 ランダムな迂回航路をとったにも関わらず、です……。 ……さらにご覧のとおり、"海峡"の入口付近に先回りするような動きをみせ、航路上にそのまま居着いた状態を保っています……」 急速潜航を余儀なくされる原因となったサーペントが、どうやらこの船を追跡してきたようだ。 しかもルート上を先回りして、いわば待ち伏せのように居座っているという。 「振り切って海峡を通ることはできないの?」 わたしは思わず、隣のプリュオに小声で質問してしまう。 と、 「……あなたに、発言は許可していません……!」 キッ、とエスカリオネに睨まれ、一蹴されてしまった。 「いや、構わねえ。 イオのためにも状況をまとめよう」 ヨルディン船長がすかさずとりなして、クマの使い(ファミリア)たちに海図を掲げさせた。 「いま俺たちの船がいるのは、この辺だ」 船長が長く伸ばした指示棒で、ピシリと図の一点を示す。 そこへチェリオ副長が、紡錘形の駒のようなものをピン留めした。 「そして、その両側の海流が"緩衝水脈(ノーマンズ・トレイル)"。 この世界を潜水艇で航行できる、唯一の航路だ。 で、俺たちが通らなきゃならねえのが、この海峡」 ちょうど岬の突端同士が向かい合うように狭まった海域を、再び指示棒で指す。 いわば水門のような地形だ。 そしてチェリオが、船の進むべき水門の前に、赤い三角の印をピン留めする。 サーペントが、航路に立ち塞がっているのが嫌がうえにもわかる。 「この海峡付近は、極端に水深が浅くなっている。 だから潮位の高いタイミング、大潮から少なくとも中潮の頃には通過しなきゃいけねえ。 何事もなければ余裕で通過できたんだが、問題はサーペントだ。 連中の好物は"王无貝(オウムガイ)"、つまりこの船の外殻に使ってるバカでかい貝なんだよ。 やつらは深く潜ることはできねえが、途方もなく長え尾で、浅瀬に揚がってきた王无貝を捕まえて食っちまうのさ。 普段の潜航深度ならまず見つからねえが、水門直前の水深は間違いなくサーペントの間合いだ。 あっという間に絡め取られて、みんな仲良く喰われちまう。 それで、いま困ってるっつうわけさ」 ヨルディンは伸ばしていた指示棒を畳み、ことんと置いて大きく伸びをした。 「まっ、根比べ、だわな」 わたしが勇作中尉のボートから投げ出された時やデッキの上で最後に見たのは、やはりサーペントの巨大な尾だったのだ。 普通はサーペントには探知できないという深度を航行してきたこの船を、どうやって追ってきたのかは謎だという。 しかも「そこしか通れない」というルートを塞ぐように待ち受けるなど、熟練の船乗りたちにも前代未聞だそうだ。 もっとも穏便な方法は、海峡手前の安全な深度で着底し、サーペントが去るのを待つこと。 ヨルディン船長のいう「根比べ」とはそのことだ。 海峡を通らずに他の迂回ルートをとる、というのは現実的ではないという。 そこはより危険な海域であり、距離も長大であるため、この船の装備ではそもそも不可能とのことだった。 もう一つ深刻な問題として、海峡を通過するタイミングにリミットがあることも聞かされた。 ただでさえ水深が浅いため、満潮から中程度の潮位のときしか航行できないことは、さっきの説明通りだ。 そして、まさしくいまは満ち潮の時期であり、これから潮位は日一日と下がっていく一方となるのだ。 航行可能なギリギリの深度になるまでに、サーペントが去ればよし。 もしそうでなければ、次の満ち潮まで待機するか? 否、予備の食糧はそれまでもたない。 引き返す、という選択も距離と残燃料の関係上、不可能だという。 期限(デッドライン)を迎えても、なおサーペントがそこに居座るならば、覚悟を決めて強行突破を試みるしかない――。 はっきりそう誰かが言ったわけではないけど、誰しもそれを当然のこととして受け止めるよりほかない空気が蔓延している。 わたしたちは海の底で、じっと機を窺うだけの時間を過ごさねばならなくなった。 ただ船の構造上、音にはさほど神経を使わなくてすんだのは幸いだった。 潜水艦の映画なんかではよく息を潜めてわずかな音も立てないように注意している様子を見るけれど、魔法力による防音機能が作動しているという。 じりじりと過ぎていく時間は、苦痛をともなう長さだった。 船内に施された空圧魔法で、空気循環はある程度保たれてはいるものの、徐々に酸素の薄さと室温の上昇を実感するようになってきた。 しかし依然として水晶半球(ディスプレイ)の赤い点は消えることがなく、サーペントが海峡の前から動いていないことを示している。 それでも、やがて来たるべき期限(デッドライン)はやってくる。 その時が刻一刻と近付くにつれ、クルーの緊迫感も高まり、皆がピリピリと神経を尖らせていく。 特にエスカリオネの苛立ちは激しく、わたしもプリュオも一度ならず「…ぬるい……!」と、お茶を突き返されたりした。 淹れ直して持っていっても、何かマニキュアのようなもので爪の手入れをしたまま目を合わせてもくれない。 けれどまあ、さすがの危機では無理もないことかもしれない。 「はあ……。ごめんね、イオさん……。 とんでもない船に乗せちゃったね……」 プリュオが憔悴した様子で、しきりにわたしに謝ってくる。 彼女がそんなことを言う必要なんかないのに。 あのままこのユズラグル号に引き揚げてもらえなければ、わたしはいまごろ海の藻屑だったかもしれない。 いまの逼迫した状況に対してわたしの実感が乏しいのは、めくるめく展開に心が追いついていないせいもあるだろう。 けどむしろ助けてもらった命、拾った命という達観がこの短期間でわたしの中に根付いたことも大きい。 だから、プリュオがわたしに謝ることなんて、何一つない。 そう彼女に伝えようとしたその時、伝声管から船長のダミ声が、厳粛な響きをもって聞こえてきた。 「全クルーに告ぐ。 こちらは当ユグラズル号船長、西岬のヨルディン。 当船はこれより後、"海峡"の強行突破を試みる。 第一当直の使い(ファミリア)、および機関部員を除く総員はただちにブリッジに参集せよ」 船長からの通達に、わたしは思わずプリュオと顔を合わせる。 とうとうその時が来たのだ。 わたしたちは黙って力強く頷き合うと、連れ立ってブリッジへと足を踏み出した。
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