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第28話 水門のデッドライン、龍弦の奏者
ブリッジには、ヨルディン船長・チェリオ副長・エスカリオネ・ドクトル・ファミリアたち、そしてプリュオとわたしが集まった。
さすがにブリッジが狭く感じるほどの密集具合で、文字通り肩を寄せ合う一蓮托生の状態だ。
そして、船長が重々しく宣言した。
「各自周知の通り、当海域にサーペントが出現、海峡直前の水門を塞ぐように蟠居。
間もなく航行可能潮位のデッドラインを迎える」
しん、と静まり返ったブリッジでは、みんなが固唾を飲んで訓示に耳を傾けている。
「本船はこれより、海峡水門の強行突破を敢行する。
ついては、エスカリオネ嬢の意見具申をいれ、音響兵装"龍弦"を使用。
サーペントの強制退去を企図する」
船長の宣言に合わせて、エスカリオネがすっ、と立ち上がった。
すると彼女の座席と水晶半球が前後に移動し、半畳ほどのスペースが出現する。
「りゅうげん……?」
思わず疑問を口にした俺に、プリュオが小さく答えてくれる。
「龍弦っていうのは、龍属の魔物が苦手な音を出せる魔法楽器よ。
船体外部に音響装置があって、唯一の武装といえるものなの。
でも、奏者は大量に魔力を消費するから、演奏は一度きりの命がけ。
彼女はいま、その覚悟で奏でるのよ」
ぎゅっ、とかたく両の手を握りしめ、プリュオが瞳を潤ませてエスカリオネを凝視している。
気付くと、ブリッジにいる誰しもが同じだった。
龍弦の演奏とは、エスカリオネにしかできない身命を賭した最終手段だったのだ。
ヨルディン船長とチェリオ副長が進み出て、首から下げていた鍵を船壁のキャビネットに挿し入れ、二人同時に回して解錠した。
キャビネットの中には、まるでヴァイオリンを思わせるような弦楽器が収められていた。
ただし、楽器の端からは無数の蔓のようなものが伸びていて、船そのものに繋がっているようだ。
エスカリオネは船長から龍弦を受け取り、左肩に乗せて弓を構え、小さく頷く。
席に戻った船長が合図を送ると、それを受けてチェリオがおもむろに舵輪の横に下がった紐を引いた。
船内に鳴り渡ったのは、汽笛のような音だ。
それは、長く響く"ラ"の音階で、エスカリオネがそれに合わせて弓を操り、調律を施していく。
やがて準備が整い、エスカリオネは伏せていた顔を上げてまっすぐに船長を見つめ、もう一度頷いた。
「……龍弦のためのパルティータ、第1番……。
……“龍追う人の火矢”」
エスカリオネがそう呟いて水晶半球に向き直り、スッと大きく息を吸い込むと、彼女の足元から幾重もの魔方陣が浮かび上がり、青い輝きを放った。
重く、低く、弦が震える。
琥珀色に積み重なった時の痛みに耐えるかのように、呻吟する龍追いの旋律。
だが、繰り返されるよく似たメロディーラインは徐々に音階を上げていき、深い霧の向こうに仄かな明かりが見え始めたかのようだ。
と、急激な転調が起こり、激しく何かを打ち付けるかのような速く勇壮なリズムへと変化した。
ああ――。
これは。
魔龍に立ち向かう、人々の小さな力を讃える曲だ。
強大な龍に、ある者は石礫で、ある者は投げ槍で。
時折聞こえるピチカートは、火矢の爆ぜる音だろうか。
人智を超えた圧倒的な災厄に、ほんのわずかな棘でちっぽけな抵抗を続ける。
だが、夥しい数の命をかけた全身全霊の抗戦に、やがて龍はじりじりと後ずさりを始める。
さらに加速していくリズムに身を委ねるように、上体を大きくうねらせながら龍弦を奏でるエスカリオネ。
まるで全身が楽器になったかのような、美しくも鬼気迫るその姿に、皆我を忘れて魅入られていた。
魔方陣の舞台で奏でられる、軽快なアップテンポの主題がたたみかけるように続いていく。
その時だ。
水晶半球の赤い部分が、ざわざわと蠢くような変化を見せたのは。
エスカリオネの演奏に合わせて、それは少しずつ大きく激しくなり、やがてのたうつような動きとなっていった。
サーペントが、龍弦の音色に苦しみ始めているのだ。
エスカリオネの瞳が鋭い光をたたえ、曲はそこからもう一段の加速をみせた。
さらに二段、三段、およそ生き物に許された速さとは思えない超絶技巧の暴風に、サーペントを示す赤い無数の点はもがき苦しむかのように激しく振動を始めた。
だが、エスカリオネは追撃の手を緩めない。
まるで止めを刺すかのように最高速度の音を奏で続け、いつの間にか両手の爪は割れ、そこから鮮血がにじんでいる。
苦痛に顔をゆがめ、固く引き結んだ唇の端からもひと筋の血が流れ落ちた。
一際高く鋭く龍弦が悲鳴を上げた時、限界を超えた演奏に耐えかねて、弦がバツンッと音を立て断裂してしまった。
だが、それとほぼ同時に水晶半球の赤い点が、ざあーっ、と横へ散っていくように消滅した。
「いまだ!
魔導機関、出力全開!!
アップトリム30°、進路0-0-0《トリプルオー》!!
直進全速ッ!!!」
「アイ・サーッ!!」
ヨルディン船長の大音声の操船号令に、伝声管越しの機関部ゴドルとムーゴ、そしてチェリオ副長のアンサーバックが間髪入れず響き渡った。
オォォォォンッ、と機関が回転数を上げる音が鳴り響き、ググーッ、と身体が後ろへと引っ張られるような圧が生じた。
演奏を終えた姿勢のままのエスカリオネが、ぐらりと上体を傾け、ファミリアたちがあわててその身体を支えた。
「総員、加速と衝撃に備えよ!」
もはや誰の号令かもわからない絶叫のなか、船はどんどん加速し、しかも急坂をのぼるような角度で海面を目指していく。
まるで振り落とされるかのようなGがかかり、皆必死で手近な突起や手すりに掴まっている。
「間もなく海面!
海峡水門まで、距離500!」
いつの間にか、エスカリオネに代わってソナー席に着いた水夫長が、ディスプレイの光点を見据えてナビゲートを果たしている。
急角度で海面に浮上したためか、船体がバウンドしたかのような衝撃が走り、身体が上下に手痛く揺さぶられる。
ファミリアたちの中には、振り落とされてブリッジを転げてしまうものもいた。
「距離300……250……200……150……」
水門までの距離を読み上げるチーフの声が、カウントダウンのように静かに響き、隣でプリュオが祈るようにぎゅっと目を瞑った。
「100……50……海峡水門、通過します!!」
その瞬間、船底からギャギャギャギャッと軋むような音が響き渡り、船体が上下左右に激しく振動し、やがて静寂が訪れた。
「ぃようしッ!!
抜けたあぁぁッ!!」
ブリッジに歓声が沸き起こった。
窮地を脱した安堵に、情けないけれどわたしはもう、膝の震えを止めることができなかった。
「あと距離1000まで、浮上航行のまま前進全速。
強制換気および魔素子補充。
船体ダメージと船内システム、速やかにチェック」
「エスカリオネ嬢を医務室へ!
使い魔医療班は応急処置の準備を!」
その間にも、船長やドクトルが次々に指示を出し、ファミリアたちがてきぱきと動き始めた。
「わたしたちも、持ち場につきましょう」
わたしが我に返ったのは、振り絞るように囁かれた、プリュオの震え声のためだった。
まっすぐ見つめてくる涙の浮かんだまなざしに、わたしはしっかりと頷き返した。
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