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第29話 備蓄食糧
プリュオが言った「持ち場につく」というのは、まったく文字通りの意味だった。
エスカリオネの命懸けの演奏と全クルーの巧みな操船で、辛くもサーペントを退けて海峡水門を突破したものの、すでに食糧が底をつきかけているのだ。
種族間の関係性や風習から、基本的な食べ物は各自で調達しているのは前に教わったとおりだ。
もちろん、緊急時に備えて多めに用意してはいるけれど、今回のトラブルはそのキャパを遥かに超えるものだったのだ。
サーペントとの遭遇で持久戦を覚悟したとき、それぞれギリギリまで食糧を切り詰めて対応したけど、このままでは次の港に着くまで危険な飢餓状態を耐えねばならない。
「みんなの糧食残量と、船内の備蓄食糧を確認しましょう」
プリュオの指示に従い、全クルーの手持ちの食料を調べる。
いずれもどれだけ節約しても、飢餓は免れない微々たる量だ。
クマのファミリアたちは浮上航行の際に、大気中から魔素子さえ補給できれば動けるため、最低限の操船は不可能ではないという。
だが、特に深刻なのは命を懸けた龍弦の演奏でサーペントを撃退した、エスカリオネだ。
大量に魔力を消費して昏睡した彼女は、ドクトルの治療で意識を取り戻したものの、充分な栄養補給が難しくなっている。
エルフたちの携行食は"コイマス"や"レンバス"と呼ばれる焼き菓子で、わずかな量で必要な栄養と満腹感を得られるすぐれものだ。
そういえばわたしも、ファンタジー映画で見たことがある。
この船に救いあげられてからというもの、わたしもレンバスを分けてもらって主食としていた。
カロリー補給に便利なブロック状の栄養行動食によく似て、とてもおいしいものだった。
が、その頼みの綱であるレンバスがもうなくなりかけている。
他のクルーにしてもヨルディン船長は固干しのパンを、チェリオ副長はナッツの類を、ドワーフのゴドルとムーゴは塩漬けの脂身を、それぞれほんの僅かずつ囓っては飢えをしのいでいる。
「船内の備蓄は、これで全部ね」
船倉からも引っ張り出してきた食材や調味料を、リジュと厨房に並べてざっと見渡す。
小麦粉が少し。
塩漬け肉が少し。
豆が少し。
干し野菜が少し。
しなびかけたリンゴが少し。
溶けた乳酪が少し。
タマネギがひとカゴ。
「あと、調味料はじゅうぶんあるのね。
これは、スパイス?」
驚いたのは香辛料の種類が豊富なことだ。
聞くと、南方海域からの輸送を主な任務としているこの船には、さまざまなスパイスが積み込まれるのだという。
それで北国の王都にも、たくさんの香辛料が流通していたのだと得心する。
もうひとつ、わたしを密かに喜ばせたのは「お米」があったことだ。
見せてもらうと古米のようではあったが、タイ米のような長粒種ではなくて日本米に近い形をしている。
王都で初めて市之丞と出会ったとき、彼が大切にたずさえていたのを思い出す。
ところが、プリュオたちもあまり米を食べる文化がないらしく、
「いよいよのときはお粥にするわ。
でも、みんな食べてくれるかなあ……」
と、顔を曇らせていた。
飢餓状態であれば大概のものは口にするのではないかと思っていたが、この世界での食文化の保守性は、わたしの想像以上に根強いらしい。
ある船でいまと同じような食糧難に陥った時、それぞれの種族が自分たちの用意した食べ物以外を口にすることを拒否し、餓死者が出た例もあるという。
この船ではそこまでのことはないと信じたいけれど、プリュオは万が一に備えての仕込みを怠らなかった。
「これは"まさかのときのスープ"よ。
おなかの足しになるわけではないけど、どの種族でも口にしてくれるはず」
彼女が作っているのは、これまでの調理で出たにんじんやタマネギの皮などの野菜くずを干したものと、骨や魚介の殻を煮出したスープ。
わたしも王選御前試合でベジブロスをカレーのベースにしたけれど、こちらは動物性の旨味もしっかり抽出された見事な一品料理だ。
水平が保証された航行中しか作れないけれど、食材を無駄にしないという姿勢は司厨の鑑だ。
「うわっ、すごくおいしい」
一口味見させてもらったわたしは、そのスープに思わず唸ってしまった。
芳醇な香りと深いコク、滋味あふれるおいしさだ。
「少しだけ海水を使って、よくアクをすくうといい味になるのよ」
そう言って笑ったプリュオだったけど、さすがに長期の食糧制限と船務で、頬がこけてしまっている。
「イオさん、スープが煮立たないように見ててくれる?
エスカリオネに食事運ぶから……」
と、言いながら振り返ったプリュオが、ぐらりとよろめいた。
慌てて受け止めたわたしは、そのあまりの軽さにいたたまれない気持ちになる。
「今日はわたしが持っていくから。
プリュオさんはここにいてくれる?」
レンバスの欠片とお茶を携え、わたしは医務室へと向かった。
「伊緒です。
プリュオに代わって食事を持ってきました」
ノックの後、そう声をかけて入室する。
思ったよりも狭い医務室にはベッドが置かれ、目を閉じたエスカリオネが横たわっていた。
傍らには黒・白・茶、3色の不思議な髪色をしたグラマーな白衣の女性が腰掛け、こちらをじいっと見上げている。
「あっ、はじめまして。
伊緒と申します。
あの、遭難したところをこの船に助けていただいて……」
まだ知らないクルーがいたことに意表を突かれ、わたしは挨拶にもしどろもどろだった。
「わたしがわからニャいか?」
その人は何やら聞き覚えのあるような声でそう言い、ぷるぷるっ、と頭を振るとぴょこんと猫の耳が飛び出した。
「えっ?あっ!
……ドクトル、ですか……?」
「さよう。
いかにもこの船の医師、ドクトル・ミモであるぞ。このわたしがわからニャいとは、いい度胸しているではニャいか」
ええ!だって猫だったでしょう。
それで、いまは人型なんですか。
この世界のことにさんざん驚いたけれど、これにはさらに意表をつかれたというかなんというか。
ドクトルは"獣人"という種族で、普段は動物の姿をしているが魔力を通じて人の姿をとることができるのだという。
魔導潜水艇の船医はほとんどがラベットで占められていて、緊急時以外は小柄な猫などの状態で活動し、省資源・省スペースを心掛けているそうだ。
「エスカリオネの状態はなんとか安定してきた。
でも、できればレンバスだけではニャくて、もっとストレートな栄養をつけさせたい。
肉や脂がもしあれば、少しでいいから優先的に回してやってくれニャいか」
ドクトルの言葉に頷きながら、ベッドに横たわるエスカリオネを見やる。
急に何年も歳をとったかのような憔悴の仕方で、俺にも彼女が生命を削って龍弦を奏でたことが伝わってくる。
ブランケットから出た両手の指には包帯が巻かれていて、全ての爪が割れて剥がれてしまったのだという。
いつだったか、マニキュアのようなものを塗っていたのは、万が一の激しい演奏に耐えるよう爪を保護するものだったのだ。
と、エスカリオネがうっすらと目を開いた。
わたしの姿を認めると、何かをしゃべりたそうに口を動かしている。
彼女の言葉をよく聞こうと、わたしはそっと耳を近づけた。
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