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第4話 黒髪の剣士、異世界のサムライと〆の鮭雑炊
騒ぎを聞きつけて、ほかのお店からもわらわらと人が出てきた。
普通の人が多いようだけど、傭兵らしい人たちは最前列で凶漢とフードの人を円形に囲み、通りはさながら決闘場の様相だ。
ようやく追いついたわたしに、リジュは「出てきちゃだめって言ったのに」と目で咎めながらも、すっと背中に庇ってくれた。
ギャラリーが増え、決闘の場ができたことでさらに昂揚したのか、凶漢が何やらフードの人を罵っているようだ。
でも聞き取りにくいうえに、意味がわからない言葉が多すぎる。
「フードのお客さんは"仲裁者"だったのね。それで先日の裁決結果を逆恨みして、命を狙いにきたんだわ」
リジュがそっと状況を教えてくれる。
この街にはいわゆる司法機関が存在しない。喧嘩や小競り合いが紛糾すると、"仲裁者"と呼ばれる腕の立つ第三者を介入させ、落としどころを模索するのだという。
場合によっては武力介入にも発展するが、あくまで治安維持を最優先したときの判断になるらしい。
「なんとか言わねェか!」
凶漢が一際大きく咆哮した。
距離をとって向かい合ったまま、一言も発しないフードの人に業を煮やしたのだ。
「……七柱だ」
ようやく、フードの人が口を開いた。
何のことかわからず、凶漢が「アァン!?」と苛立ちを募らせる。
「米ひと粒には、七柱の神がおわすというではないか。
天地の恵み、民百姓の汗、それを炊ぐ者の手間……わかっておればゆめ粗末にはできまい。
それをおのれは……足蹴にしおったのだ」
フードの人の言葉には、静かな怒りがこもっていた。
周囲の人たちも固唾をのんで成り行きを見守っている。
「それに何やら、聞いておると先ごろの諍いでの手打ちが気に入らぬようじゃな。
しかし皆で料簡したことではないか。喧嘩は両成敗と足利公方様の世より決まっておる。
何をうじうじと根に持つことがある。それでも男か。
まずは膳を足蹴にしたことを詫びよ。
天地に、神仏に、民に、あの飯を炊いでくれた者に、平身低頭して詫びよ!」
最後の一喝にびくっ、となったのはわたしだった。
リジュがくれたショールを頭からすっぽりかぶって人ごみに隠れているけど、わたしのためにも向けられた言葉だったから。
「ガタガタぬかしてんじゃあねェよォォッッ!!」
凶漢は絶叫しつつ、携えていたサーベルを大上段に振りかぶった。
最前列の傭兵たちが、示し合わせたようにあるいは剣の柄に、あるいは盾に手をのばした。
決闘の邪魔はしないが、一般の人に危害が及ばないよう守っているのだ。
凶漢は片手でサーベルを振りかぶったまま、じりっ、じりっとフードの人との間合いを詰めていく。
焼け付くような殺気が緊迫感となって、周囲に圧を広げていく。
「……是非もなし」
フードの人はそう呟くと、マントの下で左手をすっと腰の辺りに滑らせ、仁王立ちで正面から凶漢と対峙した。
しかし、剣などの武器を構えるような素振りはない。
そのまま彼我の間合いが縮まるに任せ、微動だにしない。
その場の誰しもが、息をするのも忘れて見入っている。
じりりっ、と最後の間合いを詰めた直後、凶漢は雄叫びと共に凄まじい速度でサーベルを振り下ろした。
斬られた!
そう思った瞬間、フードの頭上で一閃の光がきらめき、ギュキイィッ、と金属同士が衝突して擦り合わされるような音が響いた。
それと同時に、フードの人は一瞬で体を右に開き、凶漢の側面に回り込んでいた。
渾身の力で振り下ろしたサーベルを受け流され、凶漢は大きく前につんのめってあたかも自ら首を差し出すような体勢となった。
フードの人の手には短い刀のようなものが握られており、首に狙いをつけて上段に構えられていた。
あれは……どう見ても"日本刀"。
脇差や小太刀と呼ばれるものに違いない。
「無陣流、居合……"垂り雪"」
ヒュンっと小太刀を振り下ろし、凶漢の首のぎりぎり手前で止めると、フードの人はそう呟いた。
直後に観衆からどっと歓声があがり、周囲の緊迫感が一気にほぐれていった。
どちらも血を流すことなくこの場をおさめたフードの剣士に、惜しみない喝采が送られている。
だが、凶漢は忿怒の表情を緩めぬまま、睨め上げて呪詛の言葉をはいた。
「……殺せェ……呪い続けてやるからなァ……!」
フードの剣士は凶漢を一瞥し、
「む。さようか」
ただそう言うと目にも留まらぬ速さで小太刀を鞘に納め、直後に思い切り平手で頬を張り飛ばした。
バヂンッ、という気の毒なほど痛そうな音が通りに響き、凶漢は痛みを堪えかねたかのようにひざまずいた。
「酷いようだが恥を与える。もはや表は歩けまい。
粗末にするでない。
食い物も、命も」
完全に勝負あった。
緊張が解けて、わたしはへなへなとその場にへたりこみそうになってしまう。
凶漢はほかの傭兵たちに囲まれ、どこかへと引き立てられていった。
拘留されるのか追放されるのか、わたしには預かり知れない。
ふいに、フードの剣士がこちらへと近付いてきた。
まっすぐにこちらを見つめている。
反射的にリジュが半歩前に出て、わたしを守ろうとしてくれた。
「のう、もし。先ほど飯を炊いでくれたのは、そこもとではあるまいか」
やさしげ、というよりはむしろ、おそるおそるという位の様子で、そんなことを訪ねてきた。
リジュの背中越しにはい、と返事をしたけど、枯れたような声しか出てこない。
だがフードの剣士はわなわなと手を震わせ、
「ひ、日の本の……日の本の者であろうか」
と上ずった声で畳みかけてくる。
今度は声に出さずこくんと頷くと、
「お……おお、おお……おっ、おっ……」
と感極まったように顔を伏せてしまった。
どうやら、泣いているらしい。
「えっと、わたし……どうしたらいい?」
困り果てたリジュが思わず苦笑すると、フードの剣士はごしごしと袖で涙を拭い、決然と顔を上げた。
「何とも面目ない……。娘子の前で泣くとは。
そなたは先ほどの給仕殿であられるな。
こたびの騒ぎ、まことに相済まぬ。
それに後ろの日の本の方。よもやこの世界であのような飯を口にできるとは思わなんだ。衷心より礼を申す」
そう言ってするりとフードを外し、とっても綺麗なお辞儀をした。
「あの、あなた…様は、いったい……」
「申し遅れた。それがしは"#木守市之丞光政__こもりいちのじょうみつまさ__#"。
上野の戦より、気が付けばこの面妖な世界じゃ」
そう名乗った剣士はわたしと同じ黒髪に黒い瞳、そして頭には、立派なちょんまげが乗っかっていた……。
「……で、つまり。イチノジョー様はイオと同じ世界から来た、イオより前の時代の騎士様ってことなのね」
リジュが興味津々といった様子で、話をまとめた。
「そうみたい……。騎士ではなく、"武士"というのだけど」
不要な補足だったかな、と思ったけど市之丞と名乗った剣士は、力強く頷いている。
ともかくも店にもう一度入ってもらい、ひっくり返されたお膳を片付けたり、血相を変えて戻ってきたマスターに怪我の有無を聞かれたりしつつ、ようやくひと息ついたところだ。
彼は紛うことなき幕末の武士で、彰義隊士として上野戦争に従軍中、この世界に飛ばされてしまったとのことだ。
彼が封じられた記憶は、仕えるべき主君に関することだった。
慶喜公の名前を出しても、力なく首を振るばかりだ。
「私が迂闊に店を空けたばかりに……剣士様にもイオとリジュにも、お詫びの言葉もありません」
マスターが沈痛な面持ちで、わたしたち全員に頭を下げた。
市之丞は慌ててそれを遮り、
「いや、ご亭主。元はといえばそれがしが蒔いた種。詫びねばならぬのはそれがしでござる」
そう一生懸命に宥めている。
剣は凄腕だが、誠実ないい人なのだ。
「あの……お食事が途中でしたので、よろしければお膳を整えましょうか。ご飯は冷めてしまいましたが、蒸し直せば……」
わたしが思わずそう申し出ると、
「おお!それはかたじけない。
では、先ほどの汁物で雑炊に仕立ててはもらえぬか。実によい出汁であったからの。
多めに拵えて、皆もご一緒にいかがか」
ぱっと顔を輝かせ、屈託なくそう言ってくれた。
わたしはさっそくキッチンに立ち、スープを別鍋に沸かして丁寧にアクをすくい、残ったご飯を投入した。
味付けをどうしようかと思ったけど、焼いておいた塩鮭を思い出し、身をほぐして振り入れる。
たまごがあるとよかったけれど、これだけでも立派な鮭雑炊だ。
箸休めのピクルスを添えて、鍋ごとテーブルにでん、とおくと市之丞が感に堪えかねたように合掌した。
マスターとリジュも、この料理に興味津々のようだ。
本当に久々の米料理に、わたしは震えるほど感激していた。
それは市之丞も同じだろう。
異世界で傭兵酒場のマスター、エルフの女の子、そして幕末のサムライと一緒に雑炊を囲む縁というのは不可思議そのものだ。
でも、その一方でそういえば「ござる」って初めて生で聞いたなあと、そんなことを考えてしまうのだった。
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