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第5話 漂泊の学僧団と尋ね人の手がかり。それと異世界の朝のグラチネ
「さようか……婿殿と従姉殿を……。
早う見つかるとよいな」
鮭雑炊を囲んでわたしの身の上を聞いた市之丞は、そう言って目頭を押さえた。
案外と涙もろい人のようで、短い間に皆すっかり彼のことが好きになってしまっていた。
仲裁者という仕事はいつの間にかそうなっていただけで、成り行き上喧嘩を止めたり、双方の言い分を聞いたりしているうちでのことらしい。
ともあれ、あれだけの剣の腕前は評判にならないはずはなく、先ほどの騒ぎでこの街にもあっという間に噂が広まるだろう。
現にこれまでも、仲裁を請われていくつかの村や街を漂泊し、その途上でこの街に立ち寄ったのだという。
市之丞は、しきりに「白夜」に迷惑をかけたことを気に病んでいた。
ぜひ埋め合わせをさせて頂きたい、そんな申し出にマスターは少し考え、こう提案した。
「ではどうでしょう。この店の"用心棒"になってはいただけませんか」
用心棒というのは文字通りの意味だけど、ただお客さんとのトラブルから店を守るだけではない。
この白夜を拠点として、仲裁者の要請があれば都度そこへ向かう。
食事と寝る場所はこちらが用意し、もちろん店の警護もしてもらう。
"黒髪の剣士"が用心棒についたという箔だけで、相当の抑止力になるというのがマスターの見立てだ。
「しかし……また不逞の輩がそれがしを狙ってくるやもしれませぬ」
市之丞は逡巡したけど、マスターはそっと店の外を手で示した。
そこには幾人かの傭兵たちがそれとなく店の周囲を警戒しており、わたしたちの話が終わるのをソワソワと待っているかのような様子だ。
「あなたに早速ファンがついたようですよ。傭兵たちには、気に入った店を自主的に守る気風があります。トラブルの直後はなおのことね。
だから、もし再び事が起こればあなたに加勢する者が少なくないでしょう。
私は今回、イオとリジュを危険にさらしたことをとても後悔しています。もし私がいても、今後このようなことがあっても老体は役に立たないでしょう。
厚かましいお願いですが、あなたのような方がいてくだされば店はより安全です」
マスターのこの言葉に、市之丞はようやく首を縦に振った。
実際、両者ともに実りある契約だろう。
正直言うとわたしも同じ日本人(時代は違うけど)の、しかも先輩のマレビトがいてくれるのは心強かった。
市之丞には、2階の食料倉庫か仕舞い後のホールを寝床に使ってもらうようマスターが申し出たが、
「ご婦人方とひとつ屋根の下というわけにはまいらぬ」
と頬を赤らめ、キッチン裏手の小さな庭に旅用の天幕を張ることで落着した。
マスターも今まで通りすぐ隣の宿屋で寝起きするし、夜警の傭兵たちも街を巡回しているので、心配せずに眠れそうだ。
店の建物には盗賊避けに、リジュが簡単な結界魔法をかけているというし、セキュリティは万全だ。
もっとも、どんな魔法なのかはわからないけど。
「よし!そうと決まればお店を再オープンしましょう。ほらほら、外の傭兵さんたち、黒髪の剣士様と話したくって仕方なさそうよ。マスター、イオ、イチノジョー様、いいよね?」
リジュの明るい声に、皆笑顔で頷いた。
どっと入店してきたお客さんたちにさっそく市之丞は囲まれ、詳しい話は明日まで聞けそうにないだろう。
そう諦めて、わたしは肴を用意するためキッチンに立った。でも心は今までにないくらい高揚している。
ようやく尋ね人への手掛かりをたぐりよせそうなのだ。
わたしは気合を入れて、焼き台に串を並べていった。
――翌朝。
朝食の支度と身繕いをしようと階下におりていくと、宣言通り裏庭に天幕が張られているのが見えた。
昔のキャンプで使ったような三角形のツェルト状で、その向こうでは市之丞が木刀のようなものを振っている。
朝の鍛錬が日課なのだろう。
「おはようございます。市之丞さま」
キッチンの勝手口から裏庭に出て、元気よく声をかける。
「おお、いお殿。早うござるな」
彼はきちんと木刀を納めて右手に持ち替え、すごく綺麗なお辞儀とともに挨拶をしてくれた。
あまりの折り目正しさに、こちらも自然と背筋が伸びる。
「よくお眠りになられましたか」
「おお。日の本の者に会えたのと米の飯がよほど嬉しかったとみえ、久々によう眠った」
「いつもこのテント……天幕でお休みなのですか?」
「む。旅の身空になってからはそうさな。宿をとれるときはそうせぬでもないが、"べっど"なる寝台は落ち着かぬ。周囲にさえ気を付ければ、天幕のほうがよほど気兼ねない」
そう言って笑った市之丞の天幕は、なるほど旅慣れているだけあってなかなか快適そうだ。
ちょっと楽しそう、とすら思ってしまう。
「ところで、いお殿。昨夜の客にさっそく仲裁を頼まれたので、それがしはほどなく出掛けねばならぬ。その前に、いま知る限りをかいつまんで申そう」
彼が話すにはこうだ。
異世界に飛ばされてからというもの、とにかく元の世界へ戻る方法を求めて旅を続けている。
その中で、"黒髪"の者の噂を何度も耳にしたため同じ日本人ではないかと期待したが、この世界にも遠い島国に黒髪黒瞳の人種が実在することがわかった。
そこでは元の世界と同じく米を育てており、時おり交易品としてもたらされるのだという。
里心もあり、せめてなんとか米だけでも手に入らないかと思案していたところ出会ったのが、"漂泊の学僧団"という人々だった。
彼らはいわゆる学術調査隊のようなもので、大小さまざまなグループで街から街を渡り歩き、各専門の研究に関するフィールドワークを行っているという。
市之丞が傭兵酒場「白夜」に持ち込んだおコメは、そんな学僧団の人脈から手に入れたものだったのだ。
そしてその時、ある噂を耳にしたという。
それは最近になって学僧団に加入した黒髪の人物で、その人もしきりに米を探していたのだそうだ。
「その時はそれ以上のことには考えが至らなんだが、いお殿の話を聞いてもしやと思うたのだ。学僧らはこのような街には必ず立ち寄るらしいゆえ、心に留めておかれるとよいだろう。したらば、りじゅ殿にもよしなに」
彼はそこまで言うと、小太刀のみを携えてマントを羽織り、仕事へと赴いていった。
入れ違うように、リジュが階下へとぱたぱたと下りてくるのに出くわした。
「おはよ、イオ。ごめんね、寝坊しちゃった。なんだか昨夜は目が冴えて」
そう言ったリジュは目の下にうっすらクマを浮かべて、確かに眠そうだ。
でも昨夜の騒動で、身を呈してわたしを庇ってくれた心労を思うと当然のことと、申し訳ない気持ちになる。
「イチノジョー様はもう出かけたのね。そうだ、今日はカフェで朝ごはん食べない?連れて行きたいお店があるの」
ぱんっ、と手を打ち合わせて、リジュが楽しげに提案してくれた。
いつもはお店のキッチンで残りのスープとバゲットなどの朝食をとるが、外食とはおもしろそうだ。
この世界でふだんお化粧なんかしないので、そのまま身支度を整えてリジュと外に出た。
街はもう活発に動き出しているので、短時間ならお店も施錠だけで大丈夫だという。
表通りだけは敷石が施されているけど、裏路地はいずれも地道だ。ぬかるみや滑り留めの砂利がほうぼうに見え、人一人とようやくすれ違える位の狭い道も多い。
旅人はもっと早い時間に出立するので、行き交う人は市場に仕入れに行ったり、これから開店する商店主などなのだろう。
リジュが連れて行ってくれたお店は、市場のすぐ近くの裏路地にあった。
すでにたくさんの人が食事をしていて、コンソメスープのようないい香りが充満している。
店内はいっぱいだったので、外に設えられた二人がけの席に腰を下ろした。
「ちょっと寒いけど。きっとすぐあったまるよ」
リジュがそう言うやいなや、注文もしないうちにミトンを手にはめた女将さんが陶器のマグを2つ、目の前に置いてくれた。
中にはこんがり焼かれたチーズがぷつぷつと泡立っており、差し込まれたスプーンの隙間からは琥珀色のスープが顔を覗かせている。
「うわあ!おいしそう!」
わたしは思わず大きな声を出してしまう。
これはきっと"グラチネ"、オニオンスープグラタンのようなものだろう。
元の世界で、わたしの大好物だった料理だ。
器ごと石窯か何かで加熱しているのか、マグ全体からすごい熱が発散されている。
「ヤケドするから、しばらく触っちゃだめよ」
そう言ってリジュがマグの底を返すようにスプーンでひとかきすると、チーズの焼ける匂いとさらに濃いスープの香りが立ち上った。
たっぷりのたまねぎと、多分下に固いパンを敷いてあるのだろう。スープを吸ってとろとろになったそれがたまらなく食欲をそそる。
「はふっ、あふっ」
ふうふう息を吹いて頬張ることを繰り返し、時おりリジュと顔を見合わせてはついつい笑ってしまう。
だんだんマグも手で持てる温度になってきて、しまいには両手で包むようにして最後の一滴まで飲み干した。
ああ、おいしい!
マグの内側にはこれまで取りきれなかったのであろうチーズの焦げがこびりつき、リジュいわく「こういう器のお店」がおいしいのだという。
すっかり身体の芯からあったまり、ひとときの幸せを感じる。
連れ出してくれたリジュに、感謝しなくては。
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