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第6話 リジュと黒髪の妖精。旅することをやめたエルフと、賄い煮込みハンバーグ
グラチネの器を店内に返しに行くと、綺麗に食べきったのを見てさっきの女将さんがイオにウインクを投げかけた。
「あんた、"白夜"んとこの調理番だよね?ちょっとした評判になってるよ」
そう言って小さなリンゴを2つ、サービスしてくれる。
イオはどういうわけか、行く先々でいろんな人にいろんな物をもらってくるんだけど、わたしにもその気持ちはなんとなくわかる。
今だってもちろんわたしがご馳走するつもりで誘ったのに、食べてる途中でそういえばこの世界のお金を持ってないと慌てだしている。
そういうところが奥ゆかしくてかわいいのだ。
お客さんがはけてきたので、女将さんのすすめに従って店内のテーブルでリンゴを頂いた。
ハーブのお茶を追加で頼み、イオにイチノジョーからの話を聞かせてもらう。
"漂泊の学僧団"――。
なんという、懐かしい響きだろう。
イチノジョーが彼らを通じて、遠国のオコメという穀物を手に入れたというのは合点がいった。
イオたちの世界ではソウルフードとも呼べるものらしいので、それを探す"黒髪の学僧"は大きな手がかりになるに違いない。
先日のイチノジョーとの出会いからこの方、尋ね人である旦那さんと従姉さんへのヒントが見えてきて、イオも前より元気になってきたように思う。
わたしはリンゴを齧りながら彼女の話を聞いているうち、イオと初めて会った時のことを思い出していた――。
傭兵酒場「白夜」の休息日、特に用事を決めていない時はわたしは必ず町はずれの森に出かけた。
大きな樹には古い魔法の残り香があり、魔力を充填するにはそんな場所を歩くのが一番なのだ。
木の実をひろったり野生の果実をつまんだり、ぼんやりのんびり過ごすのが常だったけど、その日だけはいつもと違った。
一際大きな古樹の根元に魔力の集中があり、女の子が倒れていたのだ。
その子が違う世界から迷い込んだマレビトだというのは、すぐにわかった。
文献や言い伝えに聞く通りの、「いちばん大切なものの記憶を封じる魔法」の力を感じたからだ。
わたしは駆け寄って、息をしているか確かめようとした。
――なんてきれいな黒髪――。
その女の子の容姿に、わたしは思わず息をのんだ。
水を浴びた黒鳥の羽を思わせる、しっとり濡れたような真っ黒な長い髪。
少女とも大人の女性ともつかない、ややあどけない顔立ち。ふんわりと丸みを帯びたような雰囲気は、随分長く生きているわたしも初めて出会う人種だった。
まるでエルフの御伽話に出てくる、妖精のようだ。
――よかった、生きてる。
わたしは彼女に目隠しの結界をかけ、大慌てで白夜のマスターを呼びに行った。とにかくも介抱しなくては。
かつてはマレビトが現れると王府の役人が身元を引き受けたというけど、10年前の大戦以来この国にそんな力はない。
マスターが仕立ててくれた馬車で白夜へと連れて行き、とりあえずわたしのベッドに横たえた。
人間の一生からするとずいぶん長生きしていることになるはずのわたしだけど、こういう体験は初めてだ。
彼女が無事に目を覚ましてくれたら、最初になにを言えばよいのだろう。
そんなことを考えては、ずっと傍らで彼女の目覚めを待ち続けた。
雛が孵るのを待つ親鳥とは、あるいはこんな気持ちなのかもしれない。
やがて瞼をうっすらと開けた彼女の、その黒い瞳がわたしを捉えた。
「だいじょうぶ?わたしがわかる?急におきてはだめよ。痛いところない?」
あたふたと矢継ぎ早にありきたりのことを聞いてしまう。彼女はこくん、と頷いた。
「わたしは"つつじ谷のリジュナリオ"。
貴女のお名前を、教えてくれる?」
「……伊緒…です」
イオ。
それは神話に出てくる、月の妹神と同じ名前だった。
イオは自分が違う世界に迷い込んだこと、直前まで一緒にいた夫と従姉とはぐれ、夫に関する記憶をおそらく魔法で封じられていることなどを、冷静に受け止めた。
精神が強く、賢い子だ。
起き上がれるようになると、白夜でのキッチンの仕事を進んで手伝ってくれるようになった。
それまではマスターはバーカウンターと掛け持ちで、わたしは接客の合間にごく簡単な調理をするだけだったのでこれにはおおいに助かった。
作り置きのスープ、あとはせいぜい塩漬け肉を炙るくらいが関の山で、持ち込みの食材でリクエストがあっても応えられないことも多かったのだ。
スープといっても野菜くずとか肉をとった後の骨とか、とりあえずなんでも煮出しただけの熱い汁物だ。
ところが、イオの手にかかるとこれが絶品になった。
彼女は鍋のアクを丁寧にすくい、常に火加減をみて決して沸騰させないように気を配っていた。
コトコトと煮込まれたスープは美しく透き通り、上品でやさしい味に仕上がった。
いつもなら酒と何か身体の暖まるものさえあれば文句のないお客さんたちも、スープの変化には驚いたようだった。
「郷のお袋みたいな味がする」
と誰かが言い出し、白夜の新しい調理番の噂はすぐに広まった。
塩漬けのお肉も、大きいままなら塩水にさらしてほどよい味に調整して焼くなど、イオはとにかく丁寧に料理をする人だった。
ある晩、途中からすごい雷雨になって早めにクローズした日があった。
おなかも空いたのでお店の残りで食事にしようということになったけど、早仕舞いの割には肴がよく出て食材があまりない。
骨付き肉の余りや精肉した時の筋の部分、固くなったパンに常備の野菜等々。
「あの。もしよかったら、賄いをつくらせていただけませんか」
イオはそう申し出ると、流れるような手さばきで料理を始めた。
まずはたっぷりのタマネギとをみじん切りにし、少しの油をフライパンに引いて弱火にかける。
その間、骨にこびりついたお肉を丁寧にこそげ、食べられる部分を確保した。
タマネギが焦げないよう時おり混ぜながら、端肉を集めて包丁で細かくミンチにする。
別のフライパンで小麦の粉を夏狐の毛皮色になるまで炒め、しんなりと飴色になったタマネギに加えた。
このタマネギはある程度を別皿に取り分けてあり、平たく伸ばして粗熱を冷ましているようだ。
木のボウルにミンチ、冷ました炒めタマネギ、固いパンをミルクに浸したものを入れ、塩とニンニクのみじん切りも振り入れた。
ニンニクは最初に包丁の平で潰してから切っていて、そういう技があるのかと感心した。
イオはボウルの中身をよく揉み込むようにして混ぜ、ひとつがこどもの手くらいの大きさの、平たい楕円にお肉を整形していく。
もう一つ熱しておいたフライパンにそれらを並べると、じじゅうっ、と素晴らしい音とともに脂の焦げる匂いが湧き立った。
炒めたタマネギと小麦粉を加えたものは褐色のペースト状になっており、甘く魅惑的な香りが漂っている。
そこに赤ワインを少し、そしてスープの上澄みをすくって少しずつのばしていく。
こともなげにつくっているが、普通なら手間のかかるブラウンソースだ。
かと思えばさっきの肉を素早くひっくり返していき、蠱惑的な焦げ目を見せて並んでいく。
両面に焼き目が付いたとおぼしき頃、そこにブラウンソースを加えて味をみながらさらにスープと赤ワインを少し加えた。
わたしは思わずごくりと生唾を飲み込み、マスターと顔を見合わせる。
こんなに狂しく食べ物を「おいしそう」だと感じたのは、いつ以来のことだろう。
「どうぞ。"煮込みハンバーグ"です」
イオがつくってくれたその異世界の料理は、濃厚なソースの旨みがちゅるちゅると溢れ出す肉汁と絡み合う、初めての美味だった。
挽き肉なので食べやすく、スプーンだけで割り取れるのもおもしろい。
わたしとマスターが「おいしい」を連発しているうち、イオの目からみるみる涙が零れだした。
「あっ……ごめんなさい…なんで…なんでわたし、泣いて……」
その涙の理由はわかった。
きっとイオは、元の世界で大切な人のためにこの料理をつくっていたのだ。
その記憶を封じられても身体が覚えた動きと、愛して愛された思い出が息づいている。
わたしたちエルフからすれば、人間の一生はそう長くない。
でも、短いからこそ苦楽が凝縮された鮮烈な生き様に、わたしたちは憧れのような思いをもつ。
わたしは永遠ともいえる生命を倦むことに怯え、長い旅に出た。
そして旅することが日常になってしまった頃、縁あってこの白夜に流れ着いた。
思えば、そうでなければこの異世界から来た女の子と出会うことはなかっただろう。
大切な人たちと再会できるまで、きっとこの子を守ろう。
わたしはその時そう決意したのだった――。
追憶は一瞬のはずだったけど、なんだかしばらく旅にでも出ていたような不思議な気分だ。
目の前でイオの口から出た"漂泊の学僧団"という言葉の響きが、脳裡にこだましている。
やはり、「縁」としかいいようのない不思議なシナリオが用意されているかのようだ。
「じゃあ、コンタクトしてみましょう。彼らに」
わたしの言葉に、案の定イオはえ?と目を丸くした。
「わたしも昔いたの。学僧団に」
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