第7話 リジュの過去と白夜との出会い。王府大学跡と魔導の図書館

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第7話 リジュの過去と白夜との出会い。王府大学跡と魔導の図書館

わたしはリジュと知り合ってまだいくらも経っていないけれど、ずいぶんとこの人に救われている。 白夜のマスターももちろんだけど、同じ女性として実生活でも気持ちの面でも、両方の意味においてだ。 でも、ぜんぜんリジュのことを知ってはいない。 あたりまえ、なのだろうけれどリジュが"漂泊の学僧団"に所属していたことを聞いて、改めて彼女の歴史が未知であることを思い知る。 学僧といっても特定の神に奉仕する聖職者というわけではないという。 強いて言えば知識と学術こそが信じるものであり、旅する研究者グループというほうがしっくりくるみたいだ。 リジュは学僧団時代、古代に実在したという大規模な自然現象を再現する魔法の研究をしていたそうだ。 それは失われた術であり、現在残る魔法とは比べものにならないほどの力だったと伝わる。 リジュいわく、エルフにはその長命を持て余して厭世的になるか、あるいは学究活動に身を捧げる者が多いという。 彼女が選んだのは学究の方だったが、とても長い間探し求めた古代魔法には到達することができなかった。 旅することが当たり前になってしまい、発見に対する感動を感じなくなってしまった頃、世界を巻き込んだ戦が起こった。 広原も街道も戦場となって国は荒れ、学究の徒が放浪生活を送ることは不可能になった。 エルフたちも例外ではなく、それぞれ故郷に帰って戦火を逃れたり、人間やほかの種族たちと共に市井の生活に溶け込んだりして生きてきたのだ。 命にも国土にも大きな傷跡を残して戦乱が終息した頃。 この街に流れ着いたリジュは、魔法学と薬学の知識を活かして戦争で傷を負った兵や人々の救護団に参加していたという。 そこで、傭兵たちが集まる小さな酒場の噂を聞いた。 その頃はお酒はおろか、温かいスープだけでもある店は珍しかった。しかも戦後補償もなく、当時どこでも爪弾きにされていた傭兵を受け入れる酔狂な店だという。 興味をもったリジュは、患者の人数が落ち着いたある晩、ふらりとその酒場を訪れた。 小さな店内では傷ついた傭兵たちが、肩を寄せ合うようにして大切そうにそれぞれの一杯を抱えていた。 女一人が、しかもエルフが来るような場所ではないが、カウンターバーに立つ眼帯の白髪男は軽く会釈をして、 「何にされます」 と、当たり前のように尋ねた。 リジュは面白くなって、 「ライ麦の蒸留酒はある? できれば何回か蒸留した強いやつ」 と、大戦中に消毒液代わりによく使われたお酒を、冗談半分に注文してみた。 「2回もののエイジレスでよろしければ」 こともなげな返答に、リジュはびっくりしたという。 そのお酒は国中から供出され、もはや枯渇していたはずだ。 エイジレスということは新酒だろうが、いったいどこで仕込んだのだろう。 小さな金属製のタンブラーで差し出されたそれは透明で荒々しく、口に含むと鼻に抜けるような煙の香りがした。 聞くと、店主らしいその男が自分で醸して蒸留したのだという。 戦場で兵たちが消毒用にと軍医からせしめては、そのまま飲んでしまったという有名なお酒。 「看板出てないけど、このお店はなんて名前?」 すっかり面白くなったリジュは、上機嫌で尋ねた。 「"白夜"、にしようかと思っています」 こんなやりとりがリジュとマスターとの出会いで、ほどなく世の中が落ち着きを取り戻そうかという頃。 救護の手が十分足りてきたこともあり、やがてリジュはお気に入りになった白夜でウエイトレスとして働き出したのだ。 「……崇高な研究をしている、なんて驕慢に信じていたのね。でも、戦争を止めるどころか目の前の一人を助ける力さえなかったの。それでもね、学僧団を抜けてからがわたしの人生の始まりだったって、今はそう思う。こうしてイオとも会えたしね」 リジュはそう言って、ちょっと照れくさそうに笑った。 「明日はお店の休息日だから、早起きして出かけましょう。学僧団とコンタクトをとれそうな場所に案内するわ。"黒髪の学僧"の手がかりも、得られるかもしれないし……。あっ、でも近くにはもうカフェもないから食べ物もってかなきゃ。茹で馬鈴薯と干し肉でも、って旅みたいだね」 ――翌日。 リジュの言ったとおり早起きし、軽くお弁当のようなものを持ってお店を後にした。 マスターには前日に断りをいれたけど、市之丞はまた早朝に出かけて会えなかった。 リジュもわたしも深くフードをかぶった姿だが、外出する女性はみな同じような格好だ。 表通りをどんどん進んでいって、食材を仕入れる市場も過ぎて、わたしは初めてこの街の端っこまでやってきた。 どうやらここは高い城壁が周りをぐるりと囲っているようで、その向こうと行き来する門が設けられている。 リジュは衛兵に交通証のようなものを見せ、門前から出ている乗り合い馬車にわたしをいざなった。 馬車の出立に合わせて門が上げられ、ポカラッ、ポカラッ、と小気味よい蹄の音と共に走り出す。 晴天のはずだが早朝のためか濃い霧が立ち込めていて、周りの景色は杳として窺えない。 ただ、大きな川が流れるような水音が満ち、どうやら長い石橋の上を渡っている感じだ。 しばらく荷台に揺られていると、やがて道の向こうがはっきりと明るくなってきた。 そこを境に突然霧が晴れると、そこに広がる光景に息をのんだ。 「うわあ!」 目の前には巨大な円形の島のようなものが浮かび、無数の石造建築が折り重なって遠目にはひとつのドームが聳えているかのようだ。 まるでこどもの頃に見た映画の、空中を漂う古代都市みたいだ。 いま馬車が走っている石橋はその島へと真っ直ぐに続き、気が付くと随分高いところを通っている。 右手の方にはこれまた巨大な滝が轟々と流れ落ちており、出発直後の霧ははるか下の水面から湧き立っているのだった。 「あそこが"王都"よ。この国の、中心だった街」 リジュは金色の髪を風に委ねながら、歌うようにそう教えてくれた。 馬車はやがて巨大な門へと至り、王都の内部へと進んでいく。 精巧な白い石造りの建物がならび、敷石もタイルのように平滑でぴたりと車の揺れがおさまった。 でも、人の姿がほとんど見当たらない。それにそこかしこに蔓が這い、石の隙間からは草が生えている。 ところによっては石材が剥がれ落ちてそのままになっており、ずいぶんと荒廃した様子だ。 わたしたちは、長い石階段が上へと続いているところで馬車を降りた。 かつてはここにも門があったのか、根本の方で折れた立派な石柱が上がり口の前に残されている。 リジュについて階段を登っていく。何かに似ていると思ったら、山の上の神社のような雰囲気だ。 息が軽くはずんできた頃に途中で振り返ると、さっき馬車で通ってきた長い石橋と大瀑布、そしてわたしたちが暮らす街の城壁が一望できた。 その向こうには青々とした山脈が連なり、わたしは初めてこの世界の地理の一端を垣間見た。 階段を登り切るとそこは広場になっており、正面に体育館くらいの大きさはあろうかという神殿のような建物が鎮座していた。 「ここは王都の図書館。大学があった場所よ」 少しまぶしそうに神殿を見上げ、リジュがそう言った。 「もっとも、使える者は限られているのだけれど」 彼女は神殿の入口へと歩を進め、石造りの門扉へと手をかざした。 すると表面の紋様にピンクの光が浮かび上がり、中から優しげな女性の声が聞こえてきた。 「ようこそ、学究の徒よ。名と、専攻と、学位をお知らせください」 リジュは頷き、背筋を伸ばして朗々と答えた。 「我、つつじ谷のリジュナリオ。専攻、古代魔導論。学位、博士(ドクトル)」 扉の光がピンクからブルーに変わり、リジュがわたしを手招きした ……リジュって博士(はくし)号を持ってたんだ。 「今日は学究の徒をもう一人、引率してきました。彼女にも入館の許可をお願いします」 リジュに促されるまま、わたしも扉に手をかざす。 するとさっきの女性の声が語りかけてきた。 「あなたの学位は、この世界のものではありませんね。しかし学究の徒よ。名と、専攻と、学位を、あなたの言葉でお知らせください」 その質問に、わたしも背筋を伸ばして回答した。 「わたしの名前は、伊緒です。専攻は日本文化史。学位は、学士です」 数瞬の沈黙の後、扉の声は優しく答えた。 「よろしい。あなたをこの世界の学士(エフェンディ)相当と認めます。ドクトル・リジュナリオ、エフェンディ・イオ、どうぞお入りください」 すっ、と音もなく扉が開いて神殿……いや、図書館の中への道が示された。 暗い館内に次々と明かりが点り、奥へといざなうかのようだ。 リジュはにっこり笑うと、わたしの手をとってともに中へと足を踏み入れていった。
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