桐生院知花の憂鬱

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桐生院知花の憂鬱

「はじめまして。多治見(たじみ)カンナです。」  千里(ちさと)の幼馴染だという、その女の子は。  あたしと千里が復縁して半年後の一月末に現れた。  あたしと同じ21歳。  ここ三年間はローマで暮らしていたそうだ。 「ちーちゃんって、わがままで大変でしょう?」  プライベートルームの階の廊下で、カンナさんは笑った。  …ね。 「今は…そうでもないかな…」  あたしも、笑顔で答える。  千里は復縁してからというもの…とても人が変わった。  相変わらずぶっきらぼうな所もあるけれど、表情豊かになったと思う。  …まさか、婿養子に来てくれるなんて思わなかった。  桐生院家でみんなと同居したい、って言われた時は…すごく嬉しかった。  子供達に対しても、いいお父さんだし…家族にも優しい。  でも…  気を使ってないかな…?って、ちょっと心配はある。  今までは篠田さんに気を使ってもらう立場だった千里。  それが今では、おばあちゃまの厳しい言葉遣いや生活態度のチェックに疲れてないかなあ…なんて… 「えっ、本当?すぐ上から目線で物を言って、自分は座ったままで人を顎で使うタイプでしょ?」  カンナさんは丸い目をして、あたしにズイッと近付く。  …上から目線…人を顎で使うタイプ…  確かにそんな所はあったかもしれないけど、今は… 「そんなには…」  うーん…やっぱり気を使ってるのかなあ… 「あっ、そうなんだー。やっぱり結婚すると変わっちゃうものなのね。」  千里が桐生院家に入って気を使ってるかもしれない。と気になると同時に。  直感だけど…この人、千里のこと…好きなんだなって思った。  幼馴染としてではなく…  特別に。 「千里には、もう会ったの?」 「ううん。さっき上に行ったらレコーディング中だったから。それで、ちーちゃんの奥さんに先に挨拶しとこうかなって思って。」 「ありがとう。」  それにしても…綺麗な人。  身長は聖子ぐらいあるかな。  出るとこ出てるし、顔立ちなんて、まさに「美形」って感じ。  …あたしなんて童顔だし、胸も小さいし…  隣にいると、引け目感じちゃうな… 「あっ、ちーちゃん!!」  ふいに、開いたエレベーターから千里が下りてきて… 「…カンナ?」  千里が、首を傾げて眉間にしわを寄せた途端… 「会いたかったー!!」 「うわっ。」  あたしが後ろにいるというのに。  カンナさんは、大胆にも千里に抱き着いて頬にキスをした。 「おおおおおおおお。」  千里と一緒にいたF'sの皆さんが羨ましそうな声をあげたけど、あたしに気付いて口を押さえた。 「何だよ、おまえは…いきなり。」  千里が、カンナさんを引き離す。 「いいじゃない。久しぶりの再会なんだから。」  並んだ千里とカンナさんは…ちょうどいい身長差。  絵になってしまって、胸がギュッと締め付けられる気がした。 「ああ、知花。」  そんな、立ち竦むしかなくなってたあたしに気付いた千里が、髪の毛かきあげながらやって来て。 「カンナ、俺の嫁さん。」  あたしの肩を抱き寄せた。  その、いつも通りの千里に少しだけホッとする。 「…知ってる。今、話してたんだもん。」  そんなあたし達をに唇を尖らせたカンナさんを見て…やっぱり千里の事好きなのかな。って、改めて思った。  ううん…  もしかしたら、思い過ごしかも知れない。  今まで千里のそばにいた女性って、瞳さんぐらいしか知らないから…  あたし、こういう状況に過敏になり過ぎてるのかも? 「カンナ、俺の嫁さんにあまり近付くなよ。」 「えっ、何それ。どうしてよ。」 「おまえに毒されたくねーからな。」 「ひっどーい!!」  …千里がこんな風に話せる人って、すごく貴重。  うん…幼馴染って特別だよね。  好意的に受け取らなきゃって思うのに…それが女性っていうのが、あたしの気持ちをキューッと…絞ってしまってるのだと思う。 「あはは、おまえ、全然成長してねえじゃねーか。」 「胸はあの頃より6cm大きいわよ。」 「体だけ大人んなりやがって。」  …二人にとっては何気ないやり取りなのかもしれないけど、スタイルに関してすごくコンプレックスのあたしは…何だかズキズキしてしまう。 「ま、こいつは妹みたいなもんだから。知花、仲良くしてやってくれ。」  そう言いながら、千里はあたしの頭を撫でた。  そんな様子を見たカンナさんは… 「…そ。あたし、こっちに全然友達いないから。よろしくね、知花さん。」  右手を差し出しながら、同性のあたしが見てもドキッとする笑顔で言ってくれた。  ああ…やっぱり綺麗な人。 「あ…こちらこそ、よろし…」  右手を握り返しながら、あたしも笑顔を返そうとした瞬間。  カンナさんの視線は、笑顔からあたしを射抜くような物に変わって。  その挑戦的にも思える熱に…少しだけ身震いしそうになった。  …何…?  この…威圧的な…  怖い。  そう感じたけど…そんな視線さえもが美しいカンナさんから目が離せなくなっていると… 「知花ー、スタジオ行くよー。」  ふいに聖子がルームのドアを開けてあたしを呼んで。  その声にハッと我に返る。 「あ…じゃ、あたし行くから。」  カンナさんから手を離して、千里にそう言うと。 「ああ。」  東さんと何か話してた千里が、あたしを振り返った。 「…じゃあ、カンナさんも…また…」 「ええ。お仕事頑張って♡」  カンナさんは千里の腕を取ると、極上の笑顔をあたしに向けた。 「……」 「おまえ、これ鬱陶しい。」 「えーっ、いいじゃない。幼馴染のよしみでエスコートしてよ。」 「おまえ、どこ行っても一人でウロウロ出来るだろ。」 「昔と今じゃ違うのよ?ねえ、食事行かない?」  カンナさんと千里の距離が縮まる。  6cmも大きくなったという胸を、千里の腕に押し付けてるように見えて…胸の中のモヤモヤがより広がってしまう。  そんな光景を見るのがイヤで、あたしは二人に背を向けて歩き出した。 「…あれ、何?」  ルームのドアを開けっ放しにしたまま、聖子があたしの背後を指差す。 「あれって?」  あたしは振り返りもせずルームに入る。  そんなあたしと廊下を見比べた聖子は、何かを察したのか。 「知花ちゃ~ん、顔に出てるよ。さ、話して?」  ドアを閉めて、あたしの肩にもたれかかるようにして言った。 「…顔に出てる?」  上目遣いに聖子を見る。 「うん。出てる。知花の前で神さんに纏わりついてた、あの空気の読めない女は誰?」  笑顔なんだけど、目を細めてる聖子の言い方にはトゲがあって。  あたしはこんな事で、聖子さえもイライラさせてる自分に嫌気がさした。 「…ごめん。何でもないの。彼女…千里の幼馴染で…」 「神さんの幼馴染?」  聖子が、眉間にしわを寄せる。 「…うん。」 「あの、キャピキャピしたのが?」 「うん…」 「何で急に出現?」 「三年間ローマにいたんだって。千里も、妹みたいな子だから仲良くしてくれって。」  …千里は妹みたいに思ってても。  カンナさんは違うはず。 「三年間ローマってことは、その前はこの辺にいたんじゃないの?神さんに女の幼馴染がいるなんて、聞いた事あった?」 「……」  そう言えば…  カンナさんの事だけじゃない。  あたし、千里の事って…あまり知らない気がする。  だから、こんなに嫉妬しちゃったのかな。  だって彼女は、あたしの知らない千里を知ってる。  おまけにスタイル抜群で甘え上手。  …羨ましいな…  聖子は口をへの字にしたまま、そっとルームのドアを開けて外を見て。 『誰もいない』とでも言いたそうに、首を横に振った。 「なーんか、神さん最近ナイフのような鋭さがないから、ああいうのも受け入れちゃうの?って、ちょっとイラっとした。」 「ああいうの?」 「キャピキャピ系。」 「……」  聖子が肩をすくめて両手をヒラヒラさせながら、唇を突き出す。  物真似をしてるつもりなのかもしれないけど、カンナさんとはかけ離れてる姿に苦笑いしてしまった。   「そもそも、千里がそういうタイプが嫌いとは限らないんじゃない?」  あたしがバッグから譜面を取り出しながら言うと、聖子はあたしの距離を詰めて。 「昔、テレビのインタビューでさ、『好みのタイプは料理ができて言葉遣いがよくて控え目で金のかからない、やたら眉毛とかいじらない素顔のきれいな女』って言ってたよね。」  真顔で言った。 「そ…そうだっけ…?」  聖子の迫力に押されて、一歩退く。 「そうよ。ちょっと前の雑誌には、それプラス『タバコを吸わないピアスをしてないブランド志向じゃない女』って。神さん、すごく具体的に好みのタイプを言い連ねてたよね。」 「……」  確かに、千里は。 「俺には、こだわりがある。」  なんて、結構うるさいことを言ったりするけど…  まさか、たかだか好みのタイプで、そんなに並べるなんて。  …て言うか、聖子がそんな事を知ってるなんて。  あたしはそっちも驚き。 「でもさーあ。」 「え?」  突然、聖子はいつもの笑顔。 「その条件って、まるであんたの事言ってるみたいよね。」 「え……?」  つい…赤くなってしまった。  まさか千里が、あたしに合わせて言ってくれてる…わけないし…  …たまたま。  そう。  たまたま、そうなっただけ… 「知花。」 「…え?」 「知花のことだから、あの子と会って、何か落ち込んだでしょ。」 「うっ…」  するどい。  聖子の指摘に、あたしは少しだけうなだれて。 「…あたしにないもの…たくさん持ってる…と思って…」  小さくつぶやいた。  今思い出しても…羨ましくなってしまう。  目を奪うほどのスタイル。  自信に満ち溢れた目。  甘え上手な唇。  …誘うような仕草。  どれも…あたしには、ない。 「あら。」  あたしの言葉に、聖子は意外そうな顔をして。 「知花だって、あの子にないものたくさん持ってるじゃないのー。」  あたしの額をツンと人差し指で突いた。 「…どういうとこ?」 「素敵な親友、素敵な仲間。あ、ついでに素敵な旦那とか。」  そう言い切った聖子をキョトンとして見上げると。 「もうっ、そこは『そうだね』って笑うとこでしょ?」  ゲンコツをくらってしまった。 「あはは、そうだね。」 「もう遅い。」 「…ううん、本当にあたしが今こうして歌っていられるのも、みんなのおかげだもの。」  あたしがしみじみ言ってしまうと。 「…本当に愛しい奴!!」  聖子はそう言って、あたしをギュッと抱きしめたのよ…。
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