おとぎ話の英雄夫妻に見る結婚の考察

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◇◇◇◇◇◇ 「アデール、大丈夫か?」 「うん、まさかこんなひどい状態だと思わなかった……。先発隊は全滅なのね。私たち、やっぱり死ぬことになるのかな……?」 「死なせないよ。確かに、勝てる見込みはないって思ってたし、俺は死にに行くんだと覚悟してた。だから君が討伐隊に志願したと聞いた時も反対したんだ。だけど、今は君が来てくれてよかったと思ってる。」 「エリク……?」 「絶対に守らなければいけないものがあれば、生きる力も沸くんだって分かったからな。俺は絶対君を死なせないし、俺も死にたくない。君との未来に希望を持ってしまった今は、もう……」 「エリク……。私も約束するわ。あなたを絶対に死なせない。そして、私も死なない」 「あぁ、俺も約束する。そして無事に国に帰ったら、年を取って死ぬまで二人で生きていこう」 ◇◇◇◇◇◇  随分昔の話をアデールは思い出していた。  まだエリクとアデールの愛が始まった頃のことだ。 エリクに強引に外に連れ出され、緊急時しか使わない彼の馬で足早に自宅へと戻った。  そしていざ面と向かって対峙してみると、クロードの部屋での勢いはどこへ行ったのか、お互い最初の一言が思い浮かばずに黙りこくってしまうのだ。  口火を切ったのはアデールだった。 「――エリク、仕事は……?」  その言葉に弾かれたかのように、エリクも語り始めた。 「今日は君の仕事が終わる時間に合わせて無理やり早く上がってきたんだ。早く君と話をしなくてはいけないと思ったから。それでクロードの部屋にいると聞いたから迎えに行った」 「……あなたは私の不貞を疑ってるの? クロードとそういう関係になるために軍へ戻ったって、本当にそう思ってる?」 「あれは……済まない。君たちを見てつい激昂してしまった。君がそんなことをするわけがないって分かってる。大体、君が昔から魔導士団でやりがいを持って働いていたのは俺も知ってるから、君が戻りたいと言い出したのも当然だと思っているよ」 「じゃあ、どうしてあなたは最初に軍へ戻るのを反対したの?」  アデールにとって仕事が大事だと分かっていたなら、あそこまで難色を示されたことは余計にショックだ。 「そんなの……決まってるだろ、クロードがいたからだ」  エリクはふてくれされたような表情でふっと目を逸らす。  アデールはそんな子供じみた表情をするエリクにひどく呆れた。しかし、同時に少しホッとした。自分の浮気を隠したくて反対をしたわけでもなさそうだ。 「昔から仲が悪いとは思っていたけど、そんな理由で私が彼の配下で働くことを渋ったと言うの?」 「そりゃ、自分の好きな女を横から狙っているような男と仲良くなれるはずがないだろう。案の定、5年も経つのに君のことを諦めていなかったようだしな。それに……」  忌々しそうに吐き捨てた後、エリクはためらいがちに続けた。 「君が軍への復帰を望んだ時、君はそれまでの俺との結婚生活に満足していなかったんだと思ってショックだった」 「どういうこと? どうしてそうなるの?」  アデールはエリクから発せられた言葉に、信じられない気持ちで瞳を丸くする。 「俺は、君やコレットが安心して平和に生活することを最優先にこれまで努めてきた。自分の地位を確立して安定した収入を得ることも、君たちが二度と外からの脅威に怯えることのないような国を作るのも俺にしかできない役割だと思ってた。でも、君は自分も働きたいと言った。それは、これまでの生活に不満があったということだろ……?」  エリクは傷ついた目でアデールに訴えかけた。 アデールは唖然とした。  なんて自分勝手な男だ――。  自分一人で家族も国も背負っているつもりなのか。そして、アデールの役割はただ守られていることだと、本気でそう思っていたのか。 「エリク、あなたは確かに十分な収入と安全な生活を私たちに与えてくれているわ。でも、本当にそれが一番私たちのためになると思ってる? あなたはほとんど毎日家にいなくて、私はいつも孤独だった。一人で家事も育児も担うのは大変で辛いこともあったけど、私の側にいて話を聞いてくれたらそれでよかったのに。コレットだってそうよ。あなたのことを父親だと認識してるかだって怪しいわ。あなたは仕事が大好きで、それを正当化するために私たちを隠れ蓑にしてるだけでしょ? そして私たちを裏切って浮気までしたんでしょ? ……それの何が私たちのためよ……!!」  話しながら段々と興奮してしまい、終いにはもう枯れ切ったと思った涙が再び彼女の瞳から溢れ出した。  エリクはそれを拭おうと手を伸ばしかけ、一瞬ためらった後に自身の膝の上に力なく不時着させた。 「アデール、フィリアのことは本当に申し訳なかった。それに関しては……言い訳もできない。彼女には、もう二度と関係は持たないを伝えた。……もちろんそれで済むなどとは思ってはいないが」 「エリク……はっきり言ってよ。あなたこそ、私との結婚生活に不満を持っていたんでしょう? そうでなきゃ、彼女と関係を持つ理由がないわ」  とめどなく溢れる涙を止められずにいても、アデールははっきりと言った。  ここだけは明らかにしなければいけないのだ。2人の5年間が間違った選択であったのか、この答えにかかっている。  エリクは、泣きそうに歪んだ顔でアデールを見つめる。 「不満なんて少しもなかったよ、アデール。……どうしてあんなことをしたのか、俺も君にはっきり説明することができない。でも……。俺たちは親になり、国からも国民からも祝福され、普通の人間ではなくなってしまった。君も母親になり、より神聖で手の出せない存在になった。そんな感覚なんだ。それが何だか窮屈に思えてしまったのかもしれない……」  やはりエリクは勝手な男だ。  アデールの心の叫びにも気づかず、神聖で手の出せない存在などとのたまう――こんなにも彼は、自分本位で頼りなくて弱い人間だっただろうか?  しかし、同時にアデールは考えた。  自分もエリクの本当の心など慮ったことがあったろうか?と。  エリクはいつでもアデールを守り、アデールを一番に愛する。それが当たり前の彼の責務だと考えてはいなかったか?  エリクのことを自己中心的と罵ったが、自分にも依頼心の強さが確かにあった。アデールはそれに気付いてしまった。 「……エリクは自分勝手だわ。私は今でもあなたに一人の人間として愛してほしかったのに。勝手に女神様扱いするなんて……。でも」  アデールはエリクの頬に手を伸ばす。少しかさついた大人の男の皮膚の感触だ。  自分から触れたのは久しぶりだった。  いつもいつも、アデールは彼が自身に触れてくれることを期待する役割に徹していた。 「私も、変わらなきゃいけないのね。多分……。私はあなたに守られるだけの女じゃない。5年前、私言ったわよね? あなたを絶対死なせないと約束するって。私たちはお互いを守り合って生き延びたんだから、これからもそうでなくちゃいけないわ」 「アデール……」 「私は今も変わらず生身の一人の女よ。だから……」  そのままエリクの首に腕を回したアデールに、彼はその先を言わせず抱き上げて寝室へ向かった。
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