2.ステルス人間

5/10
前へ
/18ページ
次へ
まだ、この世界に俺以外の……… それも、小さな子供の生き残りが居た事に驚きながら、身を隠す。 壊れたコンクリートの壁の隙間から、 様子を(うかが)うと……… 年の頃は、7、8歳位の少女が『(ワームズ)』と直面していた。 腰を抜かした少女の足元に、のそのそと1匹の『(ワームズ)』が迫る。 (…………あの『(ワームズ)』………… 俺を勝手口から襲って来たヤツじゃないか…………?) …………くすんだ鼠色(ねずみいろ)のシャツには覚えがある。 …………しかし、俺を襲おうとした時ほどの勢いは無い―――――。 弱っている…………?それとも……… (…………まさか………… ………喰うか、どうか…………… 躊躇(ためら)っている訳じゃないよな………?) ――――――『(ワームズ)』に、そんな 複雑な葛藤を抱える知性など無い。 それは理解しつつも……… ぎこちない動きに、一瞬、そんな事を考えた。 (………どうせ、相手は只の化け物だ。 狙いが何かなんて、どうでも良い。 只、殺してしまえば良い) 以前の俺なら、何も出来ずに脅え、 少女を見殺しにしただろう。 (だが…………今の俺は――――――) 静かに標準を『(ワームズ)』に合わせ、引き金に指を掛ける。微塵(みじん)も震えは無い。 …………酷く、静寂で…………… 自分でも驚く程、落ち着いていた。 乾いた風が、辺りを流れる。 砂塵(さじん)の舞う中………… 指を引こうとした、その瞬間、 『(ワームズ)』の(からだ)に付いた印象的な(あざ)が目に付いた。 (…………嘘…………、 ………だろ……………) 一瞬にして、冷静そのものだった俺の体中を動揺が駆け巡る。 俺の引きこもりが始まった頃………、 事情をしつこく詮索(せんさく)するババァに嫌気が差して、強く突き飛ばしてしまった事がある。 手加減出来ずに怪我を負わせた事を後悔した。しかし、その時は素直に謝る事も出来ないまま、逆ギレしたのを覚えている。 (――――あの時の……(あざ)だ…………) 心臓も…………呼吸も…………… 一瞬、止まったような気がした。 あの印象的な(あざ)のある『(ワームズ)』が………… 何故、わざわざ狭い勝手口から入ろうとしたのか、今更ながらに理解する。 (…………そうか…………… 帰って来たんだ。 ………俺しか居ない家に、帰って来たのか、 あのババァ……………) 玄関を通らず……… 勝手口から台所に入るのは、 ババァの習慣だったじゃないか………… 何で気付かなかったんだよ、俺……………。 あれだけ邪魔臭く感じていた母親に………… 死んでも何とも思わないと思っていた(はず)の相手に対し………… 思慕の念が、胸の内でどうしようもない程、 溢れ返る。 「…………見捨てたんじゃない………… 俺を見捨てて消えたんじゃなかった―――」 殺していた息から、漏れ出るように……… 俺の微かな声が、震えた…………。 鬱陶しい筈のババァが……… …………俺の、たった一人の母親が………… 目の前で………幼い少女(こども)に掴みかかる。 信じられない光景が、目の前で繰り広げられようとしていて………… 俺は、半狂乱になり、泣き叫んだ。 「………何やってんだよ、ババァ………! …………ふざけんなよっ!!!」 …………きっと、もう………… ―――――――その耳には届いていない。 ………………もう……………… 俺の声は、届かない――――――。 母親の、大きく開かれた口は……… 蛙を丸飲みにする蛇そのもの―――――。 小さな蛙は、細い髪を振り乱し、 大蛇の牙がその額を(かす)めた瞬間、 けたたましいサイレンのような叫び声を上げた。 「…………おいっ!止めろ! …………止めてくれ―――――!!!」 鼓膜を震わす絶叫の中――――― 霞んだ視界に、山吹色の陽が差した―――― 若い頃の母親の笑顔が浮かぶ。 「ゆう君はママの宝物だからね………。 ゆう君がピンチの時は……… ママが絶対に守ってあげる――――」 見上げた母の笑顔は……… お姫様のようだった。 小さな騎士(ナイト)を気取った俺は、 繋いだ手をギュッと握り締め、 母に約束した。 「ママがピンチのときは……… ぜったい、ぜったい、ぼくがまもるから!」 ――――――本気だった。 例え、小さくても………… 子供でも…………… 俺は、いつだって本気だった。 俺にとっての初恋は………きっと――――。 「………止めてくれ…………、 ―――――――………母さん…………」 水面(みなも)のような、歪んだ視界の中で………構えた両手の指先が震える。 思い出すには、遅過ぎる。 ………きっと、もう……あの約束は……… ……………永遠に―――――― 「止めろっつってんだろ! くそババァ―――――!!!」 ―――――――パァン! 乾いた破裂音がして、母はグラリと揺らめいた。 関節が砕け、下顎がダラリと垂れた母は、 ようやく視認した俺の方に首を傾ける。 焦点の合わぬ、その目には………… 最早(もはや)、『息子』の姿が映る余地など無かった――――――。 に狙いを定めた母は……… 体をくねらせ、シュルリと一瞬で視界に迫る。 パァン、パァン、パァン――――――! 乾いた空の下…………… 空気を引き裂く音が、3回響いた。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加