その1

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その1

──アナタには二つの選択肢があります──  いつも通りの仕事の帰り、スーパーで割引のお惣菜を買って自宅のアパートに着くと、階段の脇の錆びた郵便受けにこの手紙が突き刺さっていた。 ──1つは今まで通り、スーパーで割引されたお惣菜を狙って買う生活を続け、いずれ糖尿病で死ぬ事──  手紙を読んでドキッとし、思わず辺りを見回した。当たり前だが、俺のボロい部屋に隠しカメラなんて設置されているはずはないが……テーブルの上に並べた割引されたお惣菜のフルコースを食う気が失せた。  なんで解ったんだ。  確か、この前の会社の健康診断で『糖尿病の疑いがある』と再検査の通知が来ていた。お惣菜はともかく、俺本人が忘れていた事を、この手紙の差出人はなぜ知っている? ──もう一つの選択肢。それは、私の言う通りにして、人生を変えること── 「人生を……変える?」  手紙はその後に『十日後に、返事を聞きに伺います』と締められていた。  差出人は書かれていないが、俺の周りの奴には到底書けそうにない達筆。育ちの良さが見える手書きの文章だった。 「何のイタズラだよ」  カッとなり紙を投げ捨てたが、ヒラヒラと蝿のように辺りを漂い続けて、余計にイライラした。  とりあえず、テーブルの上の缶ビールを一口飲んだ。仕事の疲れで頭は回らないが、この手紙の意味を考えなければいけない。それには酔うしかない。  と言うか、なんだこの冒頭の一文は? ──アナタはブラック人間です── 「ブラック人間って、なんだ?」  ブラック企業とかブラックバイトとかはよく聞くが、と言うか俺の勤めている会社がまさにブラック企業だが。  ブラック人間じゃ、まるで俺が安いお惣菜の栄養だけで自分の体をこき使っているみたいじゃねぇか。しかも、そのせいで糖尿病で死ぬって言うのかよ。  寂しくて電源だけ入れていたテレビのバラエティが終わり、数分、地元のニュースが流れた。  俺と近い中年の男がアパートの部屋で死んでいたそうだ。孤独死。原因は糖尿病によって動けなくなったこと。聴けば聞くほど、未来の自分への戒めみたいで、食欲は完全に失せて、また酒だけで夕飯を終わらせることになりそうだ。  亡くなった男の顔がテレビに写った。  とても他人には思えない。俺に似てる気がする。歳も四十過ぎで近い。仕事も派遣社員だと言う。まるっきり俺じゃねぇか。  はぁ〜あ  ため息が癖になってしまって、最近では何かの区切りを付けるたびに吐いてしまっている。  部屋までが湿った疲れた匂いをして来た。  二十年前、親会社の経営不振が原因で会社を解雇され、系列の子会社に派遣社員として再雇用になった。そのせいで給料は前の半分近くにまで落ちた。  それから十年で経営は回復したが、加齢が原因で俺の立場は変わらず、後から入って来た年下どもは正社員なのに、俺は相変わらず派遣社員のままだった。  それからまた十年。  自分より腕のない奴よりも早く仕事をこなしても、そいつの半分しか給料が貰えない。「やってられるか」と怒りもこみ上げてくるが、いざ再就職を考えると、下手すれば今以上に条件の悪い所に泣きつくかもしれないと思うと、体が動かない。  結局、俺より年下の無能にこき使われる生活を選んで数年が経過した。「コイツらが自分より倍の金で働いてる」と考えるだけでイライラする。  そもそも、うちの会社は今、遺伝子事業が成功して儲かっているハズだ。そのお零れが末端の俺までなぜ届かないんだ。  二十年前の社長の事業の失敗で被った大赤字を俺たちが血眼になって返してきたのに、俺には何の恩恵もないのかよ。 ──もう一つの選択肢。それは、私の言う通りにして、人生を変えること──  天井を見上げて鼻で笑ってしまった。  変えられるもんなら変えてみろよ。  せめて、今の倍の給料にしてくれよ。
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