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第六話「聖なる祠の洞窟」
「ラドミラさんのナイフ、便利ですわねえ」
「モンスターの臓腑が欲しいなら、自分で刃物くらい用意しなさいよ!」
「あら! そんな危ないもの、私には持てませんわ。か弱い魔法士ですもの」
のほほんと言ってのけるペトラに、半ば呆れながら。
彼女のためにラドミラは、熊巨人の解体作業を行っていた。
全身の解体ではなく、肝と心臓を取り出すだけなので、その周囲だけ。それでも、モンスターの体内からは、鼻が曲がりそうな異臭が漂ってくる。
「やだ、この臭い……。ペトラ、魔法で何とかならないの?」
「そう言われましても……。鉄壁防御では、匂いまでは遮断できませんからねえ」
先ほどの鉄壁防御は、まだ効き目が続いているはず。つまり今、ラドミラは魔法の薄膜に覆われているわけだが、ペトラの言うように、この膜には異臭を遮る効果はなかった。
それはラドミラも理解している。戦場では、匂いで敵や罠を察知することもあるから、嗅覚だって生死を分ける感覚の一つ。そこを麻痺させるような魔法では、迂闊に使えないのだ。
わかった上で、それでも愚痴を言いたい心境なのだが……。なんだかんだ言いながらも、ペトラのために作業を続ける、優しいラドミラだった。
革袋越しでも臭う肝と心臓を、腰にぶら下げながら。
ラドミラとペトラの二人は、ヨスィーダ山の奥へと進んでいく。
しばらく歩くと、鬱蒼とした森の中から、ぼうっとした光が見えてきた。
「あれが問題の洞窟ね」
「そうみたいですわ。中から明かりが漏れているのでしょう」
洞窟内部の岩肌にヒカリゴケが生えており、それが発光現象を引き起こす。よくある話なので、魔法士である二人には、特に違和感もないのだが……。
もしかすると、昔の人々はこの『光』を神聖なものだと考えて、ここを女神の洞窟としたのかもしれない。ふとラドミラは、そんな想像をしてしまった。
誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、ラドミラとペトラは、光る洞窟へと近づいていき……。
入口近くで、まるで示し合わせたかのようなタイミングで、二人同時に足を止めた。
「ねえ、ペトラ。さっきの鉄壁防御、あれの遮断効果って……」
「守れ! 鉄壁防御!」
ラドミラに最後まで言わせず、魔法をかけ直すペトラ。
二人とも、洞窟内部で何が起こっているのか、もう察しがついたのだ。
「これで、しばらくは大丈夫ですわ。鉄壁防御が、きちんと遮ってくれますから……。さあ、行きましょう!」
安心したかのように前を歩くペトラに続いて、ラドミラも入っていく。
異臭の漂う、洞窟の中へ。
洞窟内の通路は曲がりくねっていたし、多少の分岐もあったが、それでも迷うほどではなかった。
やがて二人が辿り着いたのは、広々とした空間。天井も高く、洞窟の中とは思えないくらいだ。
中央が台地状に盛り上がっているのは、祭壇か何かのつもりらしい。『聖なる祠』だった時代には、そこに女神が祀られていたのだろう。だが今は、その代わりに、魔法式のストーブが――村から盗まれた高価な暖房器具が――、デンと鎮座させられていた。
そして。
ストーブの周囲には、倒れ伏したモンスターたち。
十数匹の猿ゴブリンと、二匹の熊巨人だ。そのうち一匹は、熊巨人にしてはサイズが小さいので、まだ子供だったのかもしれない。
それら全てが完全に事切れており、中央の魔法ストーブは、当然のように火が消えていた。
モンスターの死骸を見下ろしながら、ラドミラは嘆息する。
「はあぁ……。いくら広いとはいえ、洞窟の中だもんね……。こんなところで使い続けたら、そりゃあ酸素不足で、不完全燃焼にもなるわよ……」
魔法式とはいえ、ストーブはストーブ。酸素を使って燃焼する、という原理は同じ。だから換気に注意して使わないと、一酸化炭素中毒になるのだった。
そう。
ここで暮らすモンスターたちは、一酸化炭素中毒で全滅してしまったのだ。今も一酸化炭素が充満する洞窟の中で、ラドミラとペトラが平然としていられるのは、鉄壁防御に毒素を遮る効果があるおかげだった。
確か、一酸化炭素そのものは、無味無臭の気体のはず。ならば洞窟入口で感じた臭いは、これらモンスターの死臭だったのだろうか。
頭の中の知識と照らし合わせて、そう考えるラドミラの横で。
「ここの神様は、開運の女神のはずでしたのに……。このモンスターたちは、運がなかったのですね」
ペトラはペトラで、思うところを口にしていた。
それに対して、ラドミラが軽く首を横に振る。
「いいえ、運じゃないわ。知識が足りなかったのよ。一酸化炭素中毒のことも知らずに、ストーブなんて使うから……。しょせんは猿真似、猿知恵だったのね」
ペトラはラドミラの言葉など耳に入っていないのか、まだ女神に関して、何やら嘆き続けている。
「女神様は追い出されて、聖なる祠は、モンスターたちに占拠されて……。でも、そのモンスターたちも一酸化炭素に駆逐されて、今度は一酸化炭素が、洞窟の主になったのですね。何の因果でしょうか……」
ラドミラも、ペトラの言葉は聞き流すことにした。
一酸化炭素中毒でやられた熊巨人からも、ペトラは肝や心臓を欲しがるのだろうか。秘薬の原料として使えるのだろうか。
ふと考えながら、あらためて熊巨人の死体に視線を向けるラドミラ。
なんだか少し、この二匹の熊巨人が哀れに思えてきた。
本来ならば、自分の巣穴で冬眠しているはずだった熊巨人たち。ところが、猿ゴブリンたちと一緒に冬を過ごしたせいで、こんな結果に……。
「あなたたち……。冬眠どころか、永眠になってしまったのね」
ラドミラは、しみじみと呟くのだった。
(「冬眠モンスター」完)
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