不思議な青年。

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不思議な青年。

 「すみません。私、史也と言います。ご迷惑かもしれませんが、よろしくお願いします。」  青年は深々と丁寧に頭を下げて入ってきた。  それほど長身ではないが、細身の身体が背の高さを感じさせた。    ずいぶん真面目な方。  史也?  私は、じっと青年の顔を見つめた。 「どうかされましたか?」 「いえ、あ、こちらこそ、よろしくお願いします。私は、里田と言います。よその泊まり客って言ってましたが、史也さんは、旅行か何かですか。」 「そうですね。気ままな一人旅行です。」 「へえ、で、なんでここに?」 「私は、妹から聞いてきました。大将と女将さんがいい人で料理も美味しくて。でも、ここいっぱいで泊まれなかったものですから。少しでも味わいたくて。」 「そうだったんですね。私が予約入れてしまったからかしら。」 「それは違うと思いますよ。たまたまですよ。」 「お待たせしました。」  高校生くらいの男の子が、つまみとビールを運んできた。 「さっき言ってたバイトの子かしら。私の前に置いていって、ビールなんて頼んでないんだけど。私、あまり飲めないんで。どうぞ。」  史也の前におつまみとグラスをずらした。 「私の分です。さっき、大将に言っておいたんです。」 「なんだ、間違えたのね。私、そんなに飲めそうに見えたって事?それにしれも、これだけですか?」 「実は食べてきたんです。でも少し誰かと話したくてお邪魔した次第で。」  テーブルの上のランプの揺れる灯が、優しげな青年の顔をゆらゆらと照らしていた。  私は、最後にデザートの羊羹を口にしながら、青年の包み込むような物腰に、初めて会ったにも関わらず、いろいろと話してしまっている自分がいた。 「子どもですか。そうですね。5人かな。」 「子だくさんなんですね。」  優しそうな笑みを向けてくれる青年に、私は、今まで他人に話したことがなかったことまで話していた。 「ううん、この世に生まれることが出来なかった子もいるから。」 「優しいお母さんですね。」 「いいえ、優しいだなんて。最初の子はね、私が23歳くらいだったかな。まだ結婚前で、相手のお母さんが産むのを猛反対されてね。息子の稼ぎがあまりないのに子どもなんて育てられないって。私も、つわりも酷くて、相手のお母さんにはそう言われるし、堕ろしてしまったのよ。しばらく、お母さんを憎んでた。でも最後の決断は私がしたことだからね。その後はその人と結婚出来たんだけど、2度流産が続いて。あの時は泣いたわ。もう無理かもって。最初の子は多分男の子、流産しちゃった子は男の子とと女の子って勝手に思ってるんだけどね。その後仕事を辞めてから、やっと授かった娘が美保と香里なのよ。」 「里田さん、苦労したんだね。頑張ってきたんだね。」  暖かい史也の言葉が、嬉しかった。 「ありがとう。年月が過ぎてみて振り返ったとき、波瀾万丈だったかもって思うくらいで。無我夢中だったから苦労したとか、頑張ったとか、あまり分からなかったわね。」 「美保ちゃんはどんな子なの?」 「美保はね、香里も手を焼いてたわ。なかなか人付き合いが苦手で、喜怒哀楽もほんとに分かんなくて、香里が亡くなった時も、泣かなかったのよ。それからしばらくして、美保の職場、週に1回しか行かないんだけどね、そこに挨拶に行ったら、今まで見たこと無いくらい大泣きしたことがあったのよ。まあ、ここが、美保にとってこころのよりどころなんだなと、初めて感じたわ。そんな感じで彼女を理解する事は難しくてね。香里がいてくれたらもっと違ってたのかなって。」 「香里ちゃん頼りにされてたんだ。」 「でもね…。その香里を病気で亡くしてしまったんです。20歳まで生きたのに。やっぱり、私はダメな母親よ。ごめん。あなたにこんなこと言っても仕方ないのにね。」 「もっと話聞かせてください。わたし、話聞くの好きですから。でもなんでダメなんですか。」 「えっ、なんでって…。香里は、私への不満が大きくてそのストレスから病気になったとしか考えられなくて。」 「それは、お母さんのせいではないと思いますよ。」 「そんな、分かったような事言わないでよ。」  私の少し強めの口調にも、冷静に青年は答えた。 「自分が香里さんの立場だったら考えてみたんですが、上手くいかない人生を、お母さんにぶつけるしか無かったんだと思いますよ。きっと甘えもあったんだと思いますし。」 「なんで、そんな事分かるのよ。」 「ずっと見てきましたから。」 「えっ?」 「自分の妹もそんな感じでしたからね。」 「そ、そうなんですか。でも、私への不満をノートに書き綴っていたんですよ。」 「書くことで、前向きになろうとしてたんでしょうね。」 「史也さんって不思議な人ですね。ほんとに見てきたように言うんですもの。私ね、あの子がお腹にいる時からそうだったのかもって思ってて。当時、旦那が仕事しなくて不満だらけで、あの子が1歳になる前に、結局、離婚したんです。胎教としては最悪よね。だから、香里の人の目を気にする性格になってしまったのかもしれないとって。」 「どこまで、子ども思いなんですか?お母さんの人生もあるんだから。」 「だって、母親ですもの。美保が生まれたとき、自分の命より大事と言えるものに初めて出会ったって思ったのよ。もちろん香里もね。」 「ほら、やっぱりお母さんじゃないですか。けっしてダメな母親なんかではないですよ。そんなに自分を蔑むのも、香里さんの気持ちを考えてのことでしょ。たぶん、ご自分を責めることで、香里さんは悪くないって思うようにしている。」 「でも、私は香里が亡くなった事を利用してるんです。悲劇のヒロインになって自分に酔ってるんです。」  一番知られたくないことを話してしまった。  私は顔を覆って、泣き出してしまった。 「泣かないで。それは人として当たり前のことだと思います。香里さんがいなくなって寂しくて寂しくて、構って欲しいんでしょ。それは悪いことではありませんよ。さ、笑ってください。香里さんが悲しみますよ。」 「史也さんって、なんて人なの?私が、でも、でも、っていくら言っても、暖かいのね。」 「あなたが、良いお母さんだからですよ。」  大将が入ってきた。 「どうですか?話盛り上がってますかな。」  と差し出したのは、笹で作った舟だった。 「わ、懐かしい。父に教わって、子どもの頃よく作ったわ。」 「聞いたんだけど、里田さんのお父さんって網代で漁師してたんだって?」 「漁師て言っても、父親の手伝いをしていただけみたいだけど。」 「その話ね、母屋の小川家に聞いてみたんだけど、一回会いに行ってるよね。」 「そうです。嬉しい。覚えててくれたんですね。小川和夫さんて方が、父と一緒に仕事したこと覚えてくれてて。」 「それ、うちの親父だよ。もう亡くなったけどね。」 「そうなんだ。で、親父が亡くなった時に、この笹の舟を作ってお棺に入れたんだ。」 「そういう風習があるんですか?」 「その話知ってます。」 「まあ史也さんが?」 「人が亡くなると、舟に乗って月に逝くと言われていて、魂が迷って困らないように舟を作って棺に入れるんだって。満月なら困らないんだけど、あまり明るさが無い時は、行き先がわからないと困るから、舟を入れるって言うことですよね。」 「よく知ってるね。今は満月でも入れてあげるんだ。」 「あ、それで、この居酒屋の名前って月舟っていうんですか?」 「そう、親父と息子がたまには戻って来れるようにって仏壇にはこの笹の舟を置いてる。でもそれだけでは迷うかもしれないし、笹船には浜波町月舟行きって書いてあるよ。そんでまた月へ帰れるように、月行きの笹舟を店にも置いてあるよ。」  レジ横の飾り棚には、満月の写真と『月舟』という屋号の入った色紙とともに、笹船が二艘置かれていた。 「大将って、顔はちょっと怖いんですけど、優しいんですね。帰りのことまで心配してる。息子さんのこと女将さんに聞きました。きっと来ますよ。月舟なんてすてきな場所他にないもの。それにこんなに賑やかにしていたら、和夫さんも大輔くんとここに来たくなるわよ。」 「ははは、ハッキリ言いますね。ダチにも、よくこの顔でって言われますがね。この笹舟、里田さんにあげるよ。月舟の地名を目印に来た方にお渡ししてますから。」 「そう言えば、私も教えてもらったの本当の地名でなく、月舟でした。でもなんでだろう。」 「ま、そのうち分かるんじゃない?ね、大将。」 「なんで、史也さんが分かるのよ。ほんと、変わった人ね。でもこれで、娘と、父の魂も戻って来れるかしら。」 「そうしたら、小川の父と、里田さんのお父さん、また会えるかも。」   「あ、それ良いわ。なんか嬉しくなってきました。ありがとうございます。」 「大将ぉ~たこわさ、頼む。」 「呼ばれたよ、人使いが荒い連中ばっかなんで。じゃ、ごゆっくり。」  大将と入れ替わるように女将が入ってきた。 「あ、里田さん、ごめんなさい。」 「女将さん、どうしたんですか?」 「お風呂場に、落ちてたから。これ。」 「あら、ほんとだ。なんで?」  娘の写真を入れたストラップであった。  私、これ持ってきてたきたかな…。 「女将さん、あり…。もう行っちゃった。聞きたいこともあったのに。」  それにしても、私の娘の写真って何故分かったのかな…。    史也の微笑む視線を感じた。 「なんか、首をかしげてばっかりの里田さん、可愛いですね。」 「やだ、やめてよ。おばちゃんに可愛いなんて言わないの。」 「舟、もらえて良かったですね。」 「そうね、この写真と一緒に置いておこうかしら。なんか、出来すぎね。こんなに上手く繋がってくなんて。ね、史也さんは、人が死んだら、魂ってどこ行くと思う?ここでは月に行くんでしょ。かぐや姫は、この世の記憶をすべて忘れて月に行くでしょ。お墓に私はいないって歌もあるしね。」 「それは、誰にも分からないから、残されたものがどう思うかだと思う。こういった風習とか、儀式とか、亡くなった方の鎮魂というより、残った人たちの心にその人に死を受け入れるためのものだし。人の魂がどこへ行くかを決めておけば、安心するというのもあるしね。」 「史也さんって、なかなかのこと言うのね。私はね、死後は全くの無の世界。魂も時間も、宇宙も、存在する物すべてを意識しない『無』になるって思ってた。だから死ぬのは怖かった。でも、香里が亡くなってから、香里は生まれる前に戻ったって思うことにしたの。そして来世で幸せになるためにまた生まれ変わるって。そうね、史也さんが言ったみたいに、魂の行方を決めておいて自分に言い聞かせてる。そう思わないと、自分の気持ちが暴れ出して収まらないのよ。それでも時々、無性に会いたくなったり、私のせいで死んだのよって、騒がしくなったりするんだけどね。私ね、そう思うようにしてから、死ぬことが怖くなくなったの。自分の分身が先に逝ってしまっただけだから、全く知らない世界でないような気がして。でも積極的に死にたいってわけではないのよ。」 「それだけ、ちゃんと考えてたら、もう大丈夫だね。」 「えっ。」 「ほら、さっき、泣いちゃったから。」 「あ、ごめんなさい。本当に嫌ね。ここ、友達から紹介されてきたんだけど。その友達も友達から教えてもらったって。悩みが解決するとこだって。私、あなたが大将から雇われた相談員かと思ったわ。でもなんかよくわかんないけど、違うわね。いろいろ聞いてくれてありがとう。良い気分よ。」 「いいえ、相談員としては、お役に立てて嬉しいかぎりです。」 「またあ。ねぇ、史也さんて、誰かに似てると思ったら、私の兄、いや、父の方かな。高い鼻と目が似てる気がして。だから、初めてなのにこんなに喋ってしまったのかしら。」 「光栄です。疲れたでしょ。もう休みましょうか…。」   見ていた風景がおぼろげに消えていく。 声も、史也さんの声も…。 どこに行くの。どこに…。
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