覚めない悪夢。

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覚めない悪夢。

 その翌日。    それは突然だった。    何の前触れもなく、虫の知らせもなかった。    朝陽が窓から差し込んでいた。    さわやかな朝だった。    そんな普通の朝…。      今日は、短時間の職場への用事があるが仕事は休み。    私は、時間に縛られない朝の目覚めをゆっくりと味わい、しばらく布団の中で、今日の休日の予定を頭の中で巡らせていた。そして、思い切りの背伸びをしたあと、朝食のメニューを考えながらリビングに行った。    異様であった。何かがおかしかった。    カーペットの上に、香里が寝ていた。    なんでうつ伏せ…。    違和感でしか無かった。    寝ていた…のでは無かった。   「香里…何やってるの。」    私は、うつぶせのまま,  返答もなく無言の香里に、恐るおそる声をかけた。    娘の短めの緑色のワンピースの裾から覗く、ふくらはぎが、やけに血色が悪い。    最悪が、頭を過った…。    娘の肩と腰に手をかけ、仰向けに…した…。    香里の身体が…    ごろんと、転がった。      一気に、血の気が引いた。      棒のように硬くなった身体。    顔面は浮腫み、うっ血した紫色の皮膚、額には大きな瘤。薄く開いた瞼から覗く、白い目。    息をしていない。    死んでる…。    -うそ、うそでしょ、あんた、何やったのよ!   「美保!香里が、香里が死んでる!」    私は、今まで、出したことがないくらいの大きな声で叫んだ。    美保は、行動もスローで、会話もかみ合わない事が多い。表情も乏しく、喜怒哀楽の感情がわかりにくい。    そんな美保だったが、私の異常な声に、すぐ反応して飛んできた。   「えっ。」    妹の姿に、明らかに動揺していた。    一まさか、自殺…。    そう思ったのは、思い当たることがあったからなのだ。    長袖の裾から、見え隠れするアームカットの痕も知っていた。      香里は、神経内科で処方してもらった向精神薬も内服していたことも知っていた。      内服を服用せずに、溜め込んで一気に多量に内服をする患者もいるが、多量に内服すれば、嘔吐してしまい致死量には程遠いのである。    それでも、もしかして…と。      パニックになりながらも、腕や、首、ワンピースの中を確認した。    深い傷は見当たらなかった。    ゴミ箱を見ても、薬の空シートも無い。    何でなのよ。どうしてよ。    美保への不満を言い放ったあと、梨を食べたのか、テーブルには梨の皮があった。    窒息?いや、そんなはずはない。苦しければ、私に助けを求めてくるはず。    倒れて、そのまま意識を失ったのか。    考えられる、ありったけの原因を探した。    しかし、娘の身体に何が起こったのか、まったく分からなかった。             「どうしよ、電話、電話しなきゃ。」    私は看護師、患者の急変には、冷静な対応してきた。その自信もあった。    しかし、目の前の娘の異常事態に、それは全く意味を成さなかったのである。    ぶつぶつ言いながら、部屋の中を、まとまりなく無意味に動き回っている私に、美保が、私の携帯を持ってきてくれた。   「あ、そうだ、そうよね。ありがと。救急車、何番だっけ。」   「お母さん、119だよ。」   「そう、そうだった。」    私は震える指で、番号を押した。   「娘が、亡くなっていて…。」    住所は?名前は?    電話の向こうは、立て続けに情報を聞いてくる。   「住所?あ、えっと。」    私が、焦っている様子に、美保は落ち着いて隣でフォローしてくれた。      救急車を待つ間、心臓マッサージをしていてくれと言う。    もう無理だよ…。    もう、香里が戻ってこないのは分かり過ぎるほど分かっていた。    しかし、何もせずに、この残酷な時間を過ごすことも出来ず、美保と交互に、無我夢中で心臓マッサージをした。    少し弾む身体と同調する、香里の硬く黒くなった顔を見ながら、香里に叫んでいた。   「ばか、何やったのよ、何でよ、こんな事やっても、もう無理なのは分かっているのに、やってるんだから、何か言いなさいよ。香里!」    支離滅裂なことを言ってるのは理解しながらも、悪夢のような、目の前の状況の中でパニックを起こしている自分を止められなかった。    とにかく、パニックなのである。冷静さ、ゼロなのである。    自分が看護師だなんて忘れていた。    そんな中なのに、冷静な美保。    慌てている様子も無く、淡々と、すべき事をこなしている。    助けられた。    救急車が到着し、もう死亡して時間が経過しているのを確認した救急隊員は、自宅で亡くなったとのことで、警察を呼んだ。    現場のリビングで写真などを撮っているのだろうか、それらしき声とバタついた物音が聞こえる。    現場の隣の部屋で、刑事らしい人から、鍵はかかっていたのか、昨日の様子、私と、美保の昨日からの行動など聞かれた。    どうだっけ?と戸惑いをみせると、刑事の口調が強くなったのが分かった。    これって、疑われてると言うことなのか?    娘を亡くした親の気持ちを考えているのか。    考えてみると、涙が出ない。一滴も出てない自分がいた。    私は、親として、悲しい、辛いのに…。こんなに辛いのに。      一連の作業が終わり、香里は連れて行かれた。    3日前、一緒に並んで月を見た場所を通って。    行かないで!    遠くなっていく車に、心の中で、叫んで、必死に手を伸ばしていた。    自宅で亡くなった場合、死因を究明するために、行政解剖が必要であるとの事であった。    解剖なんて、嫌だ。切り刻むなんて…。でも死因が分からない。    最大の葛藤があった。    震える手。私は這うような字で、同意書にサインをした。      香里を見送ったあと、自分の兄や、職場に連絡をした。    みな、驚いていた。絶句し、何度も、聞き返された。    悪い夢を見ているようだった。    これは、きっと、長い夢の中だ。    早く目が覚めないかと、本気で思った。    しかし、現実という悪夢は覚めなかった。
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