第11話:そして迎えた限界

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第11話:そして迎えた限界

 偽装恋愛で繋がった二人の物語は、どのような結末を迎えるのか。  最近、一人で食事をしている時や、菜園の手入れをしている時に考えこむようになった。  翔流が想像する未来の一つは、冬馬が進めるプロジェクトが成功したと同時に、契約終了を言い渡されるというもの。これは至極単純で、一番可能性のあるものだ。  二つ目は、この関係を続けたまま春になり、翔流が専門学校に通い始めたことで自然消滅となる未来。こちらは冬馬の性格からして考えにくいが、全くないとも言いきれない。  そういった風に三つ、四つと様々な未来を想像する。  情けないと自覚しながらもこんなことばかり考えるのは、終わりを想像しておけば、その瞬間がきた時に自分を失わずにいられると思ったから。  先日、冬馬は最後まで「翔流を遠ざけたりしない」と言ってくれた。でもやはり現実問題として、それは無理だと思っている。だからこそ別れを覚悟しておかなければいけない。  そう考えて心の準備をしていた――――その矢先だった。 『では、次の話題に参りましょう。次はあの噂のイケメン社長、不動冬馬氏に新たな熱愛発覚? お相手はモデルでありファッションデザイナーもしている――――』  まるで翔流の心を読んだかのように、暇つぶしに流していたテレビの情報番組から、心臓が止まりそうな話題が飛びこんでくる。 「えっ……」  翔流は驚いて画面にかじりついた。 『お二人の出会いは撮影の現場らしいですけど、お互いが会社を経営しているという共通点からすぐに意気投合したみたいですよ』  画面の中で芸能記者と番組のキャスターが、スクープされたという記事を差して語り合う。どうやら冬馬とその女性が二人でホテルに入ったところを、カメラマンが写真に収めたらしい。大きく引き延ばされた記事には、荒い写りだが女性と並ぶ冬馬が確かに写っていた。 『早速、彼女の所属事務所に今回の件を問い合わせてみたんですが、事務所側は『当人同士のことだから見守ります』と、交際に反対していない様子でした』  普通なら否定することの多い芸能事務所側が認めているということは、二人の交際を認めていると言っているようなもの。  流れる映像に、心臓の鼓動が嫌なほど大きく鳴った。指先が不自然に冷たくなっているのも分かる。  『え、でも確か不動社長には同性の恋人がいると発表されていますが?』  話の中、あたかも台本でもあるかのごとく、できた質問がキャスターの口から出てくる。  同性の恋人とは間違いなく、自分のことだ。  胃の辺りがギュッと締まる。 『それなんですが、不動社長に近い関係者の話では、やはりその相手との関係はビジネスが絡んでいるとのことです。ホラ、不動社長の会社は男性用化粧品を取り扱っている会社でしょう? ですから、そういった方面の方も取りこみたいと考えているみたいで』  キャスターの問いに対して、記者が「私は全てを知っています」と言わんばかりの顔で話す。そんな風に見ず知らずの他人に語られると、まるで二人が大切にしてきたものを汚されたように思えて悔しくなった。 『つまり、彼女が本命ということですか?』 『そう断言して、間違いないでしょうね。噂によると、もう近しい関係者には結婚の報告も済んでいるようですし』  近しい人物と聞いて、一番に梶浦の顔が浮かぶ。だが彼からは何も聞かされていない。  まだ伝えられていないだけか、それとも伝える必要がないと思われているのか。悪いことばかりが頭を過った。 「っ……」  何もできずにテレビを見つめていたが、途中で胸の痛みに耐えられなくなり、テレビの電源を落とす。  途端に無音になる中、大きく吸った息を吐き出し、緊張を外に逃がそうとしてみたが駄目だった。  見る間に全身が震え出し、次第に息が上手く吸えなくなる。そんな浅い呼吸に耐えていると、今度は勝手に涙が溢れ出した。 「う……っ……う……」  いやだ。 恋心を自覚してしまった翔流の心が、無言のまま泣き叫ぶ。  冬馬の一番の目的が会社を盛り上げることなら、あの女性との関係を祝福しなければならない。けれど本心は言うことをきいてくれなくて。  人を好きになることが、こんなに辛いことだなんて知らなかった。 「冬馬……」  胸の苦しさを名前にありったけ乗せて、吐き出す。と、その時突然、翔流のスマートフォンが鳴った。  驚いて液晶画面を見ると、そこには冬馬の名前が表示されている。  翔流は慌てて通話ボタンを押した。 「も……も、しもし?」 『俺だ』 「あ、うん」 『……どうした、声が少しおかしいぞ』 「え、あ……いや、えっと、ちょっと空調きかせすぎたみたいで……」  それならいいと安堵される。が、翔流の方は心臓が飛び出そうなぐらい驚かされた。唐突の電話も勿論だが、たった一言でそこまで見破られるとは思ってもいなかったからだ。 咄嗟に誤魔化しが出たからいいものの、もう少しで動揺を悟られるところだった。 『そうか。それでその……テレビは見たか?』  しかし安堵も束の間、いきなり核心に触れられ、鼓動がさらにビクンと跳ねる。 「ね、熱愛報道……のやつ?」 『ああ』 「うん、見た。オレは…………おめでとうって言えばいい?」  恐る恐る聞く。と、すぐに溜息交じりの返答が戻ってきた。 『そんな言葉はいらない。あれはデマだ』 「デマ? でも、ホテルに行ったって……」 『ホテルに行ったのは確かだが、仕事の話をしていただけだ』  あの報道は真実ではないと聞かされ、心が半分だけ安堵する。しかしもう半分は、まだ不安が残ったままだった。  これは本当の言葉なのだろうか、それともこちらを安心させるための空言だろうか。自分でもおかしいと分かるぐらい気持ちが不安定になっている翔流は、冬馬からの言葉だけでは判断が出来ず、言葉を止めてしまう。  すると、少し間を置いてから冬馬が問いかけてきた。 『翔流、俺の恋人は誰だ?』 「今のところは、オレ……かな……」 『今のところ、というのは気に食わんが、まぁいい。それなら俺が愛を注いでいるのは、翔流だけだ。……まさかとは思うが、俺の愛を疑っているとかではないだろうな?』 「い、いや、そんなことは……」 『嘘をつくな。翔流のことなら大抵予想がつく。さっきの報道で不安になったんだろう?』 「っ……」  冬馬の問いかけに何かを繕おうとするも、やはり返すことができなかった。しかしそれは、適切な言葉が見つからなかったからではない。今、声を出してしまうと心の乱れが一気に外へ出てしまう気がしたからだ。 『俺を信じろ。俺が愛しているのは、翔流だけだ。それ以外の人間など目にも入らん』  愛している。心地好い言葉が身体中に染みこんでくる。けれど、すぐさま現実が後を追ってやってきて、翔流の胸を軋ませた。  勘違いをするな、この言葉を信じてはいけない。スマートフォンを持っていない方の手を力いっぱい握り、痛みと共に自分へと言い聞かせる。 『翔流』 「……なに?」 『俺のこと、嫌いになったのか?』  冬馬の声に懸念が混ざる。驚いた翔流は見えるわけでもないのに、ブンブンと首を横に振った。 「そんなことないっ! けど……」  言い切ってお終いにしておけばいいものを、思わず憂慮を口からつい滑らせてしまう。マズイと思って声を上げたが時既に遅く、冬馬の耳に届いてしまった。 『けど、何だ? 思ってることがあるなら、言ってくれ』 「えっと……あの……」  狼狽した翔流は、必死に話を逸らそうとする。だが電話越しからそれは不可能だという空気がひしひしと伝わってきて、早々に翔流の中で白旗が揚がった。こんな圧迫の中で隠し通すなんてできるはずがない。  ゆっくりと覚悟を噛み締めて、口を開く。 「そのさ、冬馬がオレのこと愛してるって言うのって、本当の気持ちじゃない……だろ?」 『どういう意味だ?』 「だってオレ達、テレビで言ってたとおりの関係……じゃん。だから……冬馬がオレのこと大切にしてくれるのは嬉しいんだけど、今みたいに優しくされる度に嘘だって思い知らされて……辛くなる」  握りしめた手が、その力の強さで小刻みに震えた。 『嘘? 辛い? 何故そんな風に考える?』 「そ、れは……」  嘘が辛いのは、恐れていることと反対のこと心が望んでいるから。演技ではない本物の優しさが欲しい。ずっと一緒にいても許される関係になりたい。偽りなく、本気で愛して欲しいと願っているから。  言いたいことは両手の指で収まりきらないほどあるが、それを形にしてしまっていいのだろうか。迷っていると、電話の向こうから何故か大きな溜息が届いた。 『やはり、俺の愛情が足りないせいで、不安になってるんだろう?』 「……へ?」  男の台詞に理解が追いつかず、思わず首を傾げてしまう。 『今回のことは、俺も悪かったと思ってる。だが何度も言うように俺達の関係は終わらないし、俺が愛してるのは……』 「ちょっ、ちょっと待って」  話が別の方向に向いているような気がした翔流は、焦りながら冬馬の言葉を遮った。 「別に愛情不足とか感じてないよ。冬馬はちゃんと恋人らしく、振る舞ってくれたし」 『でも落ちこんでいるのは確かだろう? それとも今回のこととは別に、何か悩みがあるのか? それなら、そちらを話してくれ。でないと俺も対処法を考えることができない』 「冬馬、いや、だから……」  まるで話が噛み合わない状況の中、何と返せばいいのか分からず、翔流は固まる。 元はといえば自分の失言が原因なのだから、きちんと説明するのが筋だ。けれど隠している気持ちを告げれば、十中八九、関係を続けることができなくなる。  どうすればいい。逃げ道が見つからず、焦りだけがどんどん募っていく。しかし、その緊張が極限状態に達した時、ふと翔流の中に一つの手段が生まれた。 「っ……!」  今、ここで告白しようが、逆に言い訳を並べて逃げようが、二人の未来に変わりはない。 なら、いっそのことここで全てを終わらせてしまってもいいのかもしれない、と。  この先、今日みたいな報道が出る度に心を痛めて泣く生活なんて、耐えられそうにないから。 「そこまで言うなら話すけど……冬馬、絶対に後悔するし、気持ち悪いって思うぜ?」 『聞かないでいる方が、ずっと気持ち悪い』 「なら……言う」  覚悟を決めて、想いを形にする。 「オレさ、冬馬のこと……好きに……なっちまったみたいなんだ」  さぁ次に返ってくるのは、きっとここまで全て計画どおりに物事を進めてきた男の、困惑と嫌悪に染まった声だ。翔流は腹に力をこめて、振り落とされる拒絶を待つ。  が、現実は翔流をサラリと裏切った。 『……それのどこが気持ち悪い話なんだ? ただ単に俺達が両想いなだけだろう』  瞬間、翔流は電話を持ったまま項垂れた。  彼の恋愛音痴は熟知しているつもりだったが、まさかこんな時まで、とは思わなかった。どうやら見通しが甘かったようだ。 「ううん、多分……いや、百パーセント、冬馬とオレの好きは違うよ」 『どうしてそう言い切れる?』 「だって冬馬、前に言ったじゃん。人を騙すなら、自分すら騙すつもりでやるって。冬馬はあの言葉どおり、自分に騙されてるんだよ」  告白したことで色々なものが吹っ切れたのか、自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てきた。と、その直後、電話の向こうで息を呑む音が聞こえ、たったそれだけで冬馬が自身の勘違いに気づいたことを翔流は悟る。 「ほらな、違うだろ?」 『いや、だが俺は……』  途中まで声に出して、言い淀む。混乱しているのが、手に取るように分かった。 「なぁ、冬馬……こんな時に悪いんだけど、一つオレの願いを聞いて欲しい」 『なん……だ?』 「もうさ、終わりに……したい」  この契約を。翔流は静かに願う。 「契約不成立でいいから……お金もいらないし、信用も回復してくれなくていい。違約金払えっていうなら、一生かけても払うから」 『翔流、ちょっと待て。何を……』 「ごめん、オレ……怖いんだ。今はまだ、自分の中に理性があるからとどまれるけど、冬馬を好きって気持ちがこれ以上大きくなったら、いつか契約終了なんて認めないって、わがまま言いそうで……」  恥も外聞も棄てて、冬馬の足に縋りついてしまう姿は、さぞ不様なことだろう。 できることなら、そんな見苦しさに嫌悪を覚えているうちに自分を制したい。 「人間ってさ、人を好きになると周りが見えなくなる生き物なんだよ。でも、それじゃ冬馬が描く将来の邪魔になる。オレ、そんな迷惑な奴になりたくないんだ。だから……」  離れるのなら、せめていい思い出しかない今がいい。その願望をこめて請うと、それから長い沈黙が続いた。  だが、その静寂は不意に電話の向こうから聞こえた梶浦の、『冬馬様、そろそろお時間です』という言葉で唐突に終わりを向ける。 「梶浦さん呼んでる。仕事だろ……行けよ」 『だが……』 「オレのことなら気にするなって。それよりも仕事優先させろって」  こんなことで冬馬の仕事の邪魔をしてはいけないし、冬馬自身も翔流を理由に立ち止まってはいけない。心を鬼にして突き放す。 「じゃあ、もう電話切るから。――――冬馬……次の恋では幸せになれよ」  冬馬なら、もう恋愛指南書なんてなくても大丈夫だから。そう告げて電話から耳を離す。そしてゆっくりと通話終了ボタンを押した。  途端に周囲が無音に包まれる。何もない世界で一人だけになったような感覚に苛まれながら、翔流はおもむろに天を仰いだ。  あれほどいくつもの別れを想像していたというのに、結局一つとして当てはまらなかった。最後の瞬間だって大分先の話だと思っていたのに、まさかそれが今日だったなんて。  けれど、さっきも考えたとおり、今なら綺麗な思い出だけで終われるのだから文句はなかった。あとは一人になる寂しさに打ち勝って、元の生活へと戻っていくだけ。  少しの我慢だと覚悟を決め、翔流は一つ大きく頷く。それから誰もいない室内にそっと「今までありがとう」と告げると、荷物を纏めるために歩き出した。
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