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第12話:初めて知った孤独
冬馬の屋敷を出て一週間、翔流は自宅の自室で何も手が着かない日々を鬱々と過ごしていた。
テレビを見てもつまらない、漫画を読んでも内容が入ってこない。ならば身体を動かそうとも考えたがそれも無気力に敗北した。
そろそろ進学する学校を決めて願書を書かなければいけないし、バイトにだって行かなければ。頭では分かっているのに動けないのは、十中八九冬馬と離れたことが原因だ。
どうやら思っていた以上に、自分は冬馬のことを好きになっていたらしい。
はぁ、と溜息を吐きながら翔流はベッドの上で寝返りを打つ。その時、ふと一冊の本が視界に入った。
『初心者でも必ず成功する、最高のデート教本』
遠目で見ても読み込まれた形跡が分かるあの本は、屋敷から出て行く際、いけないと思いつつ冬馬の本棚から持ってきたものだった。
一つでもいいから二人が一緒にいたという証が欲しい。たったそれだけの理由で。
翔流はベッドに手を着き身体を起こすと、惹かれるように本へと手を伸ばした。
指でパラパラとページを捲る。
「……本当、アイツって勉強家だよな」
中には、冬馬が書き込んだだろう文字がたくさんあった。
――――道を歩く時は、車道側にまわる。
――――歩調は相手に合わせる。
まるで難関試験の参考書を読んでいるみたいだった。
「っ……」
鼻腔の奥がやにわにツンと痛む。続けて視界も滲んだ。ダメだ。大切な思い出だけど、今は見ているだけで泣いてしまう。
翔流は本を閉じ、元にあった場所に置いた。そしてそのまま立ちあがると、外の空気を吸って涙を乾かそうと部屋を後にした。
・
・
玄関を出ると暑くも寒くもない、ちょうどいい風が吹いていた。
鼻を擽る風にキンモクセイの香りを感じ、翔流は大きく深呼吸をする。この心地好い空気を吸いながら散歩をすれば、少しは気分も浮上するかもしれない。そんな期待を抱いて自宅の門を出た瞬間――――。
「あ、君! 不動社長の恋人の子だよねっ!」
突然、翔流は見ず知らずの人間達に囲まれ、あっという間に逃げ道を塞がれた状態で門横の塀に追いやられた。
「え……な、何……?」
四十以上はあるだろう人間の目が、一斉にこちらを向いている。一体、この人達は何なのだろうかと混乱しそうになったが、向けられるマイクとカメラで、漸く彼等が報道陣であることを悟った。
「不動社長との関係のことで、少しお話頂けないでしょうか?」
記者達は翔流が狼狽していることをこれ幸いと、勢いよく質問で攻め込んでくる。
「先週、社長に結婚を約束した相手がいると報道がありましたが、真相はどうでしょう?」
「貴方は社長のビジネスパートナーで、交際は全て演技だったと言われていますが?」
「その社長が今日、何かの発表をするという噂ですが、内容はご存じですか?」
四方から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。まるでテレビでよく見る、芸能人の囲み取材だ。
だが、見ているのと実際にされるのとでは感じる圧迫感が一際違い、身体がさらに萎縮してしまう。言葉だって一つとして形にならなかった。
「あ……オ、レ……」
緊張がじわりじわりと恐怖に変わっていく。暴力を受けるとか、罵倒されるとか、そういった心配はないが、それでも指先から始まった震えが、肩、唇、膝とどんどん広がっていくのを止めることができなかった。
「すみま……オレ、もう……」
一秒でも早くここから逃げたいと、身体を横に動かして逃げ道を探すけれど、スニーカーの底が擦れた音を鳴らすだけで思うように動けない。
どうしよう。怖い。
向けられる期待の眼差しのせいで、どんどん息苦しくなっていく。まるで気道を押し潰されたみたいだ。
「だれ、か……」
助けて。唇だけで翔流は見込みのない救いを求める。その時だった。
「失礼、そこを空けていただけますか?」
不意に、懐かしい声が翔流の耳に届く。
「……え……?」
全く視界が及ばない場所から聞こえた声に、周囲の音が一斉に止まった。続けて目前の人集りが、あたかも魔法をかけられたかのようにサッと左右に割れる。
その先、五メートルもない距離に、翔流は信じられない人物の姿を見た。
「何で……」
双眸をこれでもかというほど開いた翔流と視線を絡ませた美丈夫が、極上の微笑みを浮かべながら優雅な足取りで歩み寄ってくる。
「すまない、俺のせいで怖い思いをさせたな」
紳士的な謝罪と共に手を取られ、柔らかな動作で引かれる。そのまま為す術もなく男の逞しい胸の中に収まった翔流の驚愕は、今まさに頂点を迎えた。
「冬馬、何で……」
「理由は後でちゃんと説明する。だから少し待っていて貰えるか?」
背中を撫でられながら頼まれた翔流は、誰も見られないところで短く息を吸った。
冬馬の口調がいつもと違う。これはプライベートではなく外向きのものだ。気づいた翔流は慌てて口を閉ざし、下手に邪魔をしないよう顔を下げた。
「不動社長、ここへはどういった理由で?」
「噂の方との進展は?」
「今日、何か発表があると聞きましたが?」
目当ての人物が現れたことで沸き立った記者達が、我先にと質問を飛ばし始める。それは先程同様、弾丸のごとき勢いで翔流は再び緊張に身体を固めた。
いくら言葉の矛先が自分に向いていないとはいえ、こんな風に次々と言葉をぶつけられるのはやはり苦手だ。
だが、臆病な自分と違って冬馬は凛々しかった。
「皆さんの質問に全てお応えしたいところなのですが、残念ながら次の予定が差し迫っていますので、ご容赦頂きたく思います。しかし皆さんが知りたいと思っていることを含めて本日、大切なお話をお伝えさせていただきますので、もう少々私に準備の時間を下さい」
数十もの視線を一身に浴びながらも余裕しか感じさせない口調で、必要なことだけを説明する。
「では、失礼します」
翔流の頭の上で、冬馬が小さくお辞儀をしたのが分かった。多分、冬馬はこれ以上、記者に何かを話すことはしないだろう。これまでの付き合いで次の行動を察知した翔流は、予想通り記者群から抜けようとする冬馬の歩みの妨げにならないよう、必死に歩幅を合わせることだけに集中した。
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