第13話:最強にして最愛の恋愛音痴な君と(終)

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第13話:最強にして最愛の恋愛音痴な君と(終)

 冬馬に手を引かれたまま連れて来られたのは、屋敷の菜園だった。  当たり前だが、周りには誰もいない。てっきりあのまま記者会見場にでも行くのだと思っていた翔流は、安堵はしたものの少々拍子抜けしてしまった。 「どうしてここに? 今日確か予定があるんじゃ……それに、何でオレのところに……」  聞きたいことがたくさんあるせいか、気が逸ってあれもこれもと口に出してしまう。だが冬馬は咎めることなく、柔らかな笑みを見せた。 「さっき記者達にも言ったとおり、今日は大切な発表がある。だがその前に翔流と話をする必要があったから迎えに行ったんだ」  そう説明されて一番に頭に浮かんだのは、契約のことだった。今は契約も終わり、自分と冬馬は恋人でもなんでもないが、世間にはまだ二人の関係が続いていると思っている人間もいる。 「もしかして発表に必要な、口裏合わせ? だったら電話でもよかったのに……」  偽装恋愛の末、本気で好きになった相手と利害のための密議をするなんて、かなり惨めな光景だ。しかも話をする場所が二人の思い出の菜園とは、どんな苛めだ。翔流は本気で泣きそうになるが、冬馬はそんなことに全く気付いていないという顔をしている。 「生憎だが、俺と翔流の間に合わせる口裏などない」  「言ってる意味が分かんないんだけど。じゃあ一体、ここでオレと何するつもりなんだよ」 「そうだな……言うなれば、俺の人生における一世一代のイベントだ。だから翔流も今日だけは茶化さずに話を聞いてほしい」 「一世一代? ……うん、分かった」  神妙な面持ちでそう願われ、自然に背筋が伸びた。  不意に二人の間に秋の風が流れて、音が止まる。それはが話を始める合図となった。 「俺達の出会いも恋人になった経緯も、完全に俺のワガママによるものだった。本当に翔流には多くの苦労をかけたと思ってる」  昔語りのように言われて、三ヶ月前のことを記憶に蘇らせる。  いきなりテレビカメラの前で恋人だと言われ、その後、強引に偽装恋愛契約をさせられることになって。あの時は驚きもしたし、憤慨もした。勿論、今ではどれも大切な思い出となっているが。 「翔流は優しい人間だから、こんな俺を受け入れてくれたし、俺が冷静さを失った時も広い心で許してくれた。それに……たくさんのものも与えてくれた」 「オレ、冬馬に何かあげた?」 「ああ、亡くなった母が大切にしていたこの菜園を蘇らせてくれたことで、ずっと気づけなかった親の愛情を教えてくれた……そして何より、弱音を吐ける場所を作ってくれた」  どれも形のあるものではないが、この腕に抱えきれないほど多くのものを貰った。語った冬馬は子供みたいに顔を綻ばせる。  が、その表情が突然曇った。 「ただ……俺は恋愛事になると全く駄目な男で、多くのものを貰っておきながら、翔流を何度も不安にさせた。それは本当にすまなかったと思ってる」 「そんなの、別に謝らなくてもいいのに……」  勝手に不安になったのは、こっちだ。感情をぶつけられた冬馬が気に病むことではない。 「いや、こういうことはちゃんとしておいた方がいい。でないとわだかまりが残るからな。俺は最上の将来を手に入れるために、一つの気掛かりも残したくない」 「うー……まぁ、冬馬がそこまで言うなら」  多分、このまま言い合っても、この男が折れることはない。経験で悟った翔流は話を止めないために謝罪を受け入れる。 「それで?」 「この一週間、ずっと翔流に言われたことを考えてた。俺の気持ちが勘違いなのかどうか。……その答えが漸く出たから、それを聞いて欲しい」  今まで堂々としていた男の言葉尻に、ほんの僅かだが緊張の色が宿った。冬馬ほど肝の据わった人間でも緊張することがあるのかと小さく驚いていると、次の瞬間、翔流の眼前で心臓が飛び上がるのではないかという光景が繰り広げられる。  何と突然冬馬が徐に腰を落とし、地に片膝を着けたのだ。 「ち、ちょっ、何して……」  戸惑う翔流を見上げながらふわりと笑った冬馬が、こちらに向かって手を差し出す。 「え……?」  その掌の上には――――柔らかな日向の日差しを受けてキラキラと光る銀の指輪が入った、小さな箱が乗っていた。 「俺は心の底から翔流のことを愛してる。これから先の人生を一緒に過ごしたい。いや、一生を添い遂げて欲しいと思っている。だから――――俺と結婚してくれ」 「……へ?」  今、目の前の男は何と言った。言葉ははっきりと聞き取れたものの、脳内での理解が追いつかない。 「け……っこん……血……痕……」 「違う、血みどろの方じゃない。婚姻を結ぶ方の結婚だ」 「は? け、結婚……っ?」  漸く意味を理解した途端に、突拍子のない声が零れ出た。  唐突すぎるプロポーズ。  そういえば今の冬馬は、海外のサプライズ映像でよく見る求婚のポーズをしている。  絵に描いたような姿はさすがイケメン社長と評されるだけあって、胸が高鳴るほど格好いい。恐らく、世の女性は誰でも頬を熱くすることだろう。  しかし翔流はというと、気持ちを踊らせる前にパッと反射的に周囲を見回した。 「何をキョロキョロしてるんだ?」 「いや、近くにカメラを持った梶浦さんが隠れてるんじゃないかと思って……」  これまで梶浦には何度かブログに載せる写真を撮られたことがあったが、いつも彼は『日記に載せる二人の写真は、ごく自然のものがいい』と言って、知らぬ間にシャッターを切っていた。だからか翔流は梶浦がどこかでカメラを構えているに違いないと考えたのだ。 「だってこれ、ネットに載せるやつだろ?」  今更、二人が一緒にいる写真なんていらないはずだが、もしかすると何らかの事情で必要になったのかもしれない。となれば最初にワガママを通したのは自分なのだから、承諾するのが道理だ。しかしそれなら先に言っておいて欲しいと願うと、冬馬は何を言っているのだという顔をして翔流の言葉を否定した。 「いや、これはそれ用のものではない。それに梶浦は今、別の場所で仕事をしている」  だから屋敷にいるのは二人だけだと説明され、翔流は首を傾げた。  記者もいない、梶浦もいない。こんな状況下でプロポーズをする冬馬の意図が、全く掴めない。 「じゃあ、これ……何?」 「見たままだ。俺は翔流に結婚を申し込んでいる。受けて貰えたら、俺と翔流は夫婦となって一生を共に過ごすことになるな」 「冗談とか、何かの企画……」 「などではなく、正真正銘のプロポーズだ。…………はぁ」  掛け合いの最中、冬馬が深い溜息を吐く。 「あのな、いくら俺が恋愛知識に乏しくても、さすがに誰もいない場所で冗談を言うほど間抜けじゃないぞ……」 「確かに……ってことはこれ、マジな話?」  男同士だとか、日本じゃ同性婚は認められてないだとか、そういったことを超越して結婚を申し込んでいる。目の前にいる男の目から本気を漸く感じ取った翔流が確認すると、今度は安堵が含まれた息が吐かれた。 「やっと信じたか」 「え……え……え、ええぇーーーっ?」  堪えきれなかった叫び声が、飛び出ていく。もう脳内は驚愕と困惑でいっぱいだ。 「ちょっと待って、ごめん、ますます頭が追いつかねぇ。何で、いきなり結婚?」  この一週間、何をどう考えてこの結果に至ったのか、微塵も想像がつかない。慌てふためきながら翔流が経緯を尋ねると、冬馬は姿勢を崩さないまま説明を始めた。 「さっきも言ったように、俺は翔流を愛してるし失いたくない。だがいくら言葉で説明しても、翔流は勘違いだと突っぱねるだろう? だから一番分かりやすい方法で気持ちを伝えたんだ」  そして辿り着いたのが、このプロポーズだったらしい。そう言われれば、確かにこの方法が一番だということが分かる。少し飛びすぎな気もするが。 「冬馬と……結婚……」 「ああ、役所に書類は出せないが、もし翔流が強い繋がりを望むなら、養子縁組や海外に行くことも考えている」  具体的な話がスラスラと出てくるところからも、冬馬がちゃんと先のことまで考えているのが窺えた。本当に本当の本気だ。  ならば、こちらもちゃんと考えなければ。  固い土に膝を着けたまま返事を待つ冬馬を、翔流はじっと見つめた。  冬馬がくれた言葉は、心が躍るぐらい嬉しい。正直、即座に応えたいところだ。 けれど、それはできない。  彼は会社や草隠町の将来を背負っている男だ。そんな責任のある人間が跡継ぎも産めない人間と生涯を共にするなんて、周囲が許すはずがない。きっと梶浦を始め、多くの社員が冬馬を責めるだろう。彼を芸能人として見ているファンも失望するはずだ。  この決断の結果、翔流だけが責められるならまだ耐えられるが、もしも怒りの衝動を抑えられない人間が、昔の役員のように冬馬を裏切ったら。可能性のある未来を思い浮かべるだけで全身が震えた。 「冬馬……ダメだよ。そのプロポーズ……受け入れられない」 「どう……してだ?」  視線の先にある冬馬の双眸が、強張る。 「オレさ、会社やこの町のために毎日頑張ってる冬馬を見てきて、一つ、これだけはどうしても譲れないってものができたんだ」  静かに話し始めながら、視線を隣にある菜園に移す。  翔流が丹精込めて蘇らせた菜園は一週間放ったらかしにしていたのに、瑞々しさが全く失われていない。きっと冬馬が代わりに面倒を見てくれたのだろう。風に揺れる明日葉を見て、翔流は淡い笑みを見せた。 「オレは輝きながら前に進み続ける、格好いい冬馬を見ていたい。そのために手伝えることなら、何でもしたいって考えるようなった。だから冬馬の役に立つっていうなら、いくらでも協力するけど……オレと一緒になることは、冬馬にとってマイナスにしかならない」  明日葉から視線を外し、今度は自分の爪先を見つめる。 「どうしてそう思うんだ?」 「今、オレ達のことを見てる世間って、大半が『あの二人はいつか別れる』って思いながら見てると思うんだ。ほら、一時の気の迷いだとか、若気の至りだ、みたいな理由つけて。けど、そう思われてるからこそ……オレ達は許されてる」  第三者というのは本当に勝手で、いつも好き嫌いを自分の価値観で決める。冬馬との関係だって実際は受け入れていないくせに、単に面白いからと許した素振りを見せているだけだ。そして、その許容も全て二人の別れが前提にあるからこそ、成り立っていると言っていい。  そう、彼等にとって二人はただの見世物なのだ。故に冬馬と翔流の繋がりが恒久のものになると分かったら、一瞬で掌を翻すだろう。  男同士なんて気持ち悪い。  将来性がない。  選択を間違えた冬馬は、もう終わりだ。  そんな言葉を口々に吐く光景が、容易く想像できる。 「勿論、これは二人のことなんだから放っておけって突っぱねることもできるよ。けどさ、冬馬はそういうわけにはいかないだろ?」  芸能人であり、社の広告塔である冬馬は、その『他人』に認められて生きている人間なんだから。翔流はそう続ける。 「だから……冬馬はオレのことを斬り捨てるべきだと思う」  頭のいい冬馬なら、きっと分かってくれるだろう。何を選ぶのが最上か。翔流は乾いた喉をゴクンと慣らして、答えを待つ。すると、次に聞こえてきたのは何と、弱々しい涙声だった。 「俺は……世間に認められた恋しか……しちゃいけないのか? 生まれて初めて心から愛する人を見つけたのに……周りが反対するからなんて理由で、諦めなきゃいけないのか?」  眉をグッと寄せ、冬馬は涙を堪えようとしたが、見る間に眦がじわりと濡れ、頬に一粒雫が流れた。 「と、うま……」 「俺は翔流が好きだ。翔流がいないと……心に穴が空いて、仕事すら……手につかなくなるぐらい……掛け替えのない存在なんだ」  所々涙でつっかえながら、懇願するかのように思いを語る。いつもと全く違う冬馬に、胸が締めつけられ、思わず手を伸ばしそうになったが、翔流は唇を噛み締めて我慢した。 「そんな相手を諦めなきゃならないのなら、いっそのこと社長や芸能人という地位を捨てたって構わない。だがきっと……翔流はそれを許してくれないだろうな……」 「……うん……オレがいることで冬馬が何かを失うぐらいなら、オレはいますぐ冬馬の前から消えて、二度と会わないようにする」  その場合、自分は確実に草隠町に居られなくなるだろうが、それでも構わない。強い意志を見せると、冬馬が「翔流らしい」と涙を浮かべたまま穏やかに笑った。 「翔流ならそう言うだろうと思った。――――分かった、そこまで言うなら俺は何も捨てない。これからも翔流の望みどおり前に進み続けて、理想であり続ける。そう約束するから……一度だけチャンスをくれないか?」  頬を濡らしていた涙を親指で拭い、瞳に力を宿す。そのままこちらを一直線に見つめる凛々しい姿は、翔流が恋したいつもの冬馬だった。 「俺は、夢も翔流も諦めない未来を必ず掴む。それを見届けて欲しい」  もしもこの先、二人が共にいるせいで問題が起こり、何かを失う結果となったら、その時は翔流の言うとおり恋を諦める。だが、絶対にそんな未来を迎えるつもりは毛頭ないし、それ相応の結果を必ず見せると自信に満ち溢れた顔で冬馬は断言した。 「っだよ、それって結局ずっと一緒にいるってことじゃん」  状況を見極めるためには、常に冬馬の側にいなければならない。つまり、どう転んでも翔流は冬馬と一緒になるということ。 「しかも一度だけって……それ言うなら、『一度しかない』チャンスだろ」  言葉だけを取ればただただ可能性に挑戦するだけのように聞こえるが、試すには危険が大きすぎるし、失敗した時に被る被害も尋常ではない。  ただ、その恐怖の裏で、提示された妥協案に魅力を感じている自分もいた。それはこの言葉が、これまでずっと有言実行を体現してきた男のものだからだろう。  心が揺れる。冬馬の言う『一度のチャンス』に飛びこみたくなる。  彼を、信じてもいいだろうか。 「冬馬ってさ……本当よく頭が回る奴だよな。オレの返事からたった数分で、ここまで考えちまうんだから……」 「それは当然だ、翔流との未来のためなんだからな。だが……こう見えて、実は結構必死なんだぞ」 「バカ。そういうこと言うなよ。余計に格好良く見えるだけだろ」  完璧な男が見せる焦燥。それが自分のためだと知って歓喜しない人間はいない。 「全く……マジですげぇ奴だよ」  どこまでも本気で、純粋で、強い思いだけで不安を希望に変えてしまうのだから。  でも、それだから愛おしい。 「けど、本当にオレでいいのか? オレ、冬馬の跡継ぎ産めないんだぞ?」 「大丈夫だ、俺は父のように、跡継ぎは実子でなければ駄目という考えではない」  大切な会社だからこそ、世襲ではなく実力主義でいきたい。それは元から考えていたことだと、冬馬は語る。 「あとは? この際だ、不安に思ってることは何でも言え。全部打ち消してやる」 「そりゃ嬉しいけど……冬馬、何かいつもの暴君モードに戻ってきてないか?」  さっきまで懇願が全面に出ていたのに、だんだん言葉尻に本来の冬馬が見え始めている。多分、翔流の気持ちが固まり、もう断られないことを確信したからだろう。それを証拠にこちらを見上げている冬馬の口角が、形良く天に向かっている。 「あー! 何か冬馬と話してると、悩んでるのがバカバカしくなる! もういいよっ、結婚でも何でもして、幸せになってやる!」  思いきり息を吸い込み、勢いよく求婚の承諾を叫ぶ。それから翔流は、今もまだ差し出され続けている指輪にそっと触れた。 「だからこれ……受け取っていい?」  瞬間、それまで余裕ばかりだった冬馬の双眸が大きく開かれ、満面に笑みを浮かべた。  たったそれだけで、彼が心から歓喜していることが分かってしまう。 「勿論だ、この指輪を受け取れるのは、この世で翔流しかいない」  漸く立ちあがった冬馬が優雅さを思わせる動きで箱から指輪を取り出し、掬った翔流の左手薬指に通す。 「二人で、幸せになろう」 「ん、よろしく、お願いし……ます」  銀の輪が指の根元に収まったと同時に喜びが胸を突き上げ、涙が眦に溢れた。 「翔流、愛してる」  囁きの後、腕を伸ばしてきた冬馬に、強く抱きしめられる。  絶対に手に入ることはないと思っていた温もりが、今まさに自分のものとなった。その喜びが抑えきれず、翔流は冬馬の胸に頬を擦り寄せ――――ようとしたその時。 「…………ん?」  まるで鏡に太陽光を一瞬だけ当てたような鋭い光が、視界の端を過ぎった。あからさまに不自然な反射光に、翔流は目を細めながら違和感を覚えた方向を凝視する。 と、そこには俄に信じられないものが置かれていて、思わず眉が寄った。 「………………何アレ」  何故、たわわに実った茄子のすぐ隣に、三脚に乗せられたカメラが置かれているのだ。最後に菜園の世話をした時、あんなものは設置されていなかったはずだ。 「ああ、気づいたか。あれはさっき言っていた発表に使っているカメラだ」 「は? 使ってる? 言ってる意味、分かんないんだけど」  冬馬が何かを発表することは知っているが、それとあのカメラに何の関係があるのか。 「オレに分かるように説明してくれるか?」 「今日の発表は、俺と翔流の婚約発表だ。だが、普通に記者会見をやってもインパクトがないし、また俺達の関係を疑う輩も出てくるだろう? それならプロポーズそのものを生中継して見せればいいと思ってな」  妙案だろうと、これまたキラキラとした得意顔を見せてくる。その輝きを見て、翔流は忘れてはならなかったことを思い出した。  そうだ、この男は恋愛事に関して三本ぐらい螺旋が外れているのだったと。 「生……っ中継だぁ? ちょっと待て、生中継って何だ、生中継って!」 「そのままのとおり、このカメラで撮っているものをリアルタイムでネットに流しているということだが?」  ちなみにこの配信のことは、先程の記者達や各放送局にも告知してある。いらない情報まで付け足されて、翔流の平静は完全に打ち砕かれた。  今の時代、確かに情報発信はテレビの記者会見だけと限らない。インターネットの動画サイトを利用したライブ配信だって、立派なメディア戦略だ。それは十分理解できるが、まさか最初のプロポーズから最後の抱擁までの全てを不特定多数の人間に見られていたなんて。この場合どこから突っこめばいいのか。 『インパクトが欲しいと思うのは勝手だが、一言ぐらい断りを入れろ』 『あのプロポーズを親や友達が見てたら、どうすんだよ! 何て説明したらいいか、分かんねぇよ!』 『っていうかその前にオレ、一般市民なのに全国民に素顔晒されてるんですけど?』 『いや、でもそれは最初の恋人宣言の時点で既に手遅れか』 『そっかぁ、つまりオレの人権は冬馬に出会った瞬間に詰んでたんだぁ』  ああ、文句が多すぎて纏まらない。いっそのこと思いを畑の土で作った泥団子にして、暴君の顔に全力でぶつけてやりたい気分だ。  ただ、そう考えながらも実際に手が出ないのは、恐らくどこかで諦めがついているからだ。この男に恋愛で常識を求めても仕方がない。結論を出してしまった翔流は、笑いながら冬馬の腕を取る。 「はいはい、プロポーズが済んだってことは、発表も終わったってことだよな? じゃあ、さっさと行こうぜ」  もうカメラがどうとか、生中継がどうとか、どうでもいい。 「ん? どこへ行くんだ?」 「結婚が決まった恋人同士が、この後何をするかぐらい想像つくだろ? ――――当然、『愛・の・営・み』だよ!」  わざとカメラのマイクに届く声で、誘いをかける。すると、さすがの冬馬もこれには目を丸くして、動揺を露わにした。 「翔……っ」 「ハハッ、その顔、サイッコー!」  やっとのことで冬馬から一本取った高揚感に、自然と笑顔が花咲く。  今頃、カメラの向こう側では大騒ぎになっているだろう。親も絶句しているはずだ。 けれど、そんな不安すら抱かないぐらい、翔流の心は幸福色に染まっていた。 ・ ・ ・  菜園での結婚発表の後、すぐに屋敷の寝室へと飛びこんだ二人は、翔流の言葉どおり欲動的に服を脱ぎ散らかした。  最初、もしかしたらこの後、冬馬には会見や取材があるかもとは思ったが、内側から零れ溢れた衝動をどうしても抑えることができなかったのは彼も同じだった。 部屋に入った瞬間、冬馬は双眸を野獣そのものに変えて翔流の肌を貪ってきた。  ベッドに押し倒され、息を奪われるようなキスを何度も与えられる。文字通り、最後には息が続かなくなって助けを求めると、漸く二人の間に微かな冷静が訪れた。  薄くなった酸素を肺に取りこむ中、そういえば、と翔流は小さな疑問を口にする。 「なぁ、もしかしてだけど、さっきのプロポーズも何かの指南書を参考にしたのか?」 「ん? ああ、まぁ……女性が好んで読むという洋書翻訳の本をちょっとな」  言いながら冬馬が書机を指差す。と、そこには海外の出版社が出している彼の有名な女性向け大衆恋愛小説が大量に置いてあった。 「あれを全部読んで、その中で一番心を打たれた話を手本にしたんだ」 「さすが冬馬……あれ百冊以上あるじゃん」  何でもとことん突き進む男の、変な努力に感心してしまう。 「でもさ、あそこまでのことをやっておいて、もしもオレがプロポーズ断ったら、どうするつもりだったんだよ」 「その場合は、『振られたイケメン社長が、片想いの相手の心を捕まえるまで』のドキュメント番組が制作されることになっていた」  ローションの準備をしていた冬馬が、蓋を開けながら質問に答える。 「はぁ?」 「今回のことを懇意にしているテレビプロデューサーに相談したら、断られた場合の対策案も考えておこうということになってな」  話によると、今回のプロポーズの決行前、冬馬は知り合いのプロデューサーに当日のネット配信管理を梶浦と一緒にやって貰うよう頼みに行ったらしい。その時にそんな提案を受けたと聞き、翔流は裸のまま項垂れた。  こういった話を相談するなんて、自ら『ネタに使って下さい』と言うようなものだ。今回は好意的な働きをしてくれたからいいものを、もしもっと過激で視聴率ありきの提案をされたらどうするつもりだったのだろう。  相手選択の時点から間違えるなんて、さすがは恋愛音痴の極みを行く男。勿論、それが冬馬の可愛いところでもあるが。 「ホント、冬馬は予想の斜め上の行動ばっかだな……まぁいいけど。しっかし、それより今回のこと、よく梶浦さんが許してくれたな」   梶浦はずっと二人のことに、いい感情を抱いていなかった。そんな人間が二人の結婚なんて許すはずがない。  しかし、翔流の心配は杞憂となった。 「梶浦なら、すぐに許してくれたぞ」 「ええっ! 嘘だろっ?」 「嘘じゃない、翔流に別れると言われた後に相談したら、『彼は冬馬様のことを一番に考えてくれる人間です。きっと今後の冬馬様に必要な人材ですから、早く捕まえに行ってください』と言われた」 「梶浦さん……」  彼が認めてくれてただなんて、信じられない。先程カメラを見つけた時よりも強い驚きに、翔流は言葉を失う。けれど、時を追うごとにジワリジワリと嬉しさが込み上げてくると、自然に笑みが零れた。 「へへっ、そっか……梶浦さん、認めてくれたんだ……」  きっとこれからも二人にとって世間は厳しいだろうが、梶浦が味方なら百人力だ。恐らく冬馬もそう思っているはずだと、同意を求めようとする。が、次の瞬間、何故か翔流の緩んだ頬は、冬馬の形の整った指によって思いきり抓上げられた。 「イデデデデっ! ちょっ、何すっ……」 「喜ばしい気持ちを理解してやらんこともないが、今、この状態で他の男を思って微笑むのは感心できんな」  不機嫌さを少しも包み隠さず、可能な限り摘まんだ皮膚を引き続ける。 「謝るっ、謝るからっ、イデっ、マジ許し……イデデデっ……」  あまりの痛みに翔流は掌でベッドの表面を叩きながら、涙目でごめんなさいと繰り返す。すると謝罪で気が済んだのか、漸く頬から指が離され痛みから解放された。 「フンッ、分かればいい」  満足そうな顔をこちらに向ける冬馬に、翔流は痛みの残る頬を脹らます。  確かに今からセックスするという時に、他の男のことを考えた自分は悪いかもしれない。しかし、だからといってプロポーズを受け入れたパートナーにこんなことするなんて、今の時代じゃ家庭内暴力だと言われてもおかしくない。そういうことは分かっているのかと睨んでみたが、翔流はものを言う前に諦めた。  デートですら参考書に頼る男が、夫婦関係を円滑に進めていく方法を熟知しているとは到底思えない。これは時間をかけながら教えていくしかないだろう。 「……ま、いいか」  二人のまだまだ先は長いんだし。そう自分に言ってから、翔流はゆっくりと冬馬の首に両手を絡めた。 「冬馬の気が収まったところで、そろそろ……な?」  全身で誘いながら、冬馬の唇を甘噛みする。それからすぐにベッドへと優しく倒された翔流に与えられたのは、キスの嵐だった。 「ふっ、んっ……」  しなやかで肉厚の舌が、いきなり奥へと捻り込まれる。たったそれだけでこの男にどれほどの欲があるのか悟った翔流は、強すぎる欲動に一瞬だけ怖じ気づいて反射的に顔を逸らそうとした。が、まるで翔流の動きを読んだかのように顎を掴まれ、さらに奥深くを貪られてしまう。 「あ……ふ、っん……」  逃げ場のない舌を根元から掬われ、余すところなく舐め上げられると、口腔内で混ざった互いの唾液が唇の端から溢れ零れた。  二人のキスは多分、恋愛映画に出てくるような美しい形貌ではない。でも求め合う強さは誰にも負けていないはずだ。舌の付け根にある性感帯を擽られ、その快感に頭を蕩けさせながらそんなことを過らせる。  しかし他事を考える余裕は、露わになった性器を濡れた手で扱かれた途端に全て飛んだ。  グチュリグチュリとローションで滑る指が強制的に快楽を引きだすよう、柔らかな肉を揉み扱く。 「あ、やっ……ん、強……」  性急に頂点へと昇らされる動きに、腰が勝手に震えた。 「翔流、どっちで気持ちよくなりたい?」 「ん……何?」 「前をグズグズになるまで扱いて気持ちよくなるか、それとも後ろを激しく突くか」  好きな方を選んでいい、と言われて翔流は考えた。  それでなくても一週間以上溜めている身としては、早急に精を吐き出して快楽を得たい。  けれど今はそれ以上に。 「冬馬がいい……」  愛する人間の熱で絶頂に登りたい。本能のまま素直に答えると、目前の男は高貴な猫のように優美に笑った。 「さすが俺の運命の相手だ。翔流はいつでも俺が欲しい言葉ばかりをくれる」  心から嬉しいですという顔をする冬馬につられて、翔流も微笑んだ。甘い空気に一瞬で酔いそうになったが、後ろに伸びてきた指の感触に現実へと引き戻される。 「ふ、ぅんっ……」  既に足す必要がないぐらいローションで濡れた指が、丁寧に入口をノックする。そのふわんとした感触に力を抜けば向こうにもそれが伝わって、指先がクイっと緩まった入口を開いた。  これまで幾度もセックスをしているからか、互いに無理のない力加減が分かっていて、指の挿入ぐらいなら困難にはならない。早々と冬馬の指を飲みこんだ翔流の後孔は、慣らされ始めるとあっという間に熱に蕩けた。 「翔流が屋敷からいなくなって一週間……」 「ん、っ、な……に?」 「心も寂しかったが、もう二度と翔流の熱を味わうことができないと思うと、身体の方が欠乏感に打ち震えた。苦しくて……こんな気持ちになるなら、一生誰ともセックスしない方がマシだとすら考えた」  ヌプリヌプリと二本目、三本目を増やし、内側で大きく三方向に動かされる。 「ひ、んぁっ、ぁ、ああぁっ!」  閉じている場所を広げられる苦しさと、開いた場所を埋められる圧迫感。それら全てが脳に伝わる頃には快楽へと変わり、翔流を叫ばせる。 「だが、それが杞憂に終わって、本当によかった」  バラバラとした動きをやめた指が、内側で一つに纏まる。その形にして次はどのような動きをするのか掴めなかった翔流は、叫びながらも下腹部に意識を集中する。  と、纏められた指が突然、あたかも雄を打ちこむ時のような抽送を始めた。 「ひ、んぁっ、んん、ん、やあぁ!」  入口ギリギリまで抜かれた指が、間髪を容れずに再び最奥まで突き入れられる。太さも長さも当然、冬馬の雄には及ばないが、指先で内襞をぐりぐりと押される感覚は雄のものと似ていて、自然と悶えてしまった。 「やはり翔流の中はいいな。熱くて、柔らかくて、俺を虜にしようと懸命に誘ってくる」 「ん、ぁあっ! ぅンンっ、じゃ、あ……っ、ぃっ、早く、ぅ……誘われろ、っよぉ」  指で蹂躙されるのも十分気持ちがいい。このまま掻き混ぜ続けられたら、間違いなく自分は達してしまうだろう。  でも、そうじゃない。 「オレ達っ、結婚した、んだろ? なら中、んぁっ……冬馬のアツいの、欲しっ……」  これまでずっと、セックスには律儀にゴムを使っていた。だが二人が一生を誓ったのなら、そんなものはもう必要ない。  この世で冬馬の灼熱を与えられる、ただ一人の人間。その特権を手に入れた今、遠慮する必要がどこにあるというのだ。 「冬馬が、欲しいっ! 願、いっ」  今は恥ずかしいなんて感情すら湧かない。ただただ冬馬が欲しくて堪らないと熱望すると、内側を弄っていた指が勢いよく抜かれた。 「くそ、俺から余裕を奪うなっ」  猛獣の色を双眼に宿した冬馬の手によって、足を左右に大きく割られる。そのまま膝裏を掴まれ持ち上げられると、一瞬で双丘の奥にある熟れた窄みが光の下に照らされるという、あられもない姿になった。しかしそんな状況を恥じらう暇などなく、すぐに秘奥へと凶暴なまでの猛りを打ちこまれる。 「ひぃっ、ん、あぁぁぁっ!」  ズブブブブという液体の泡立つ音と共に、襞が割られていく。先頭を切って進む雁首が開発されきった性感帯に届きそうになると、それだけで絶頂の扉が開きかけた。 なのに、意地悪にも冬馬は直前で腰を引き、道を戻ってしまう。  貰えると思っていた宝を奪われた失望感と焦れったさに、翔流は打ち拉がれる。だが、それは一度だけで終わらなかった。  冬馬は続けて二度目、三度目と抽送を繰り返すが、どれも全て絶頂前を狙って突いてくるばかり。しかも、絶妙に角度を変えながら距離を測るという巧妙さも見せてくる。 「ふ、ひぁっ、何でぇ、あぁっ、くれなぁ、ひぁん!」  どうして一番イイところにくれないのか。言葉にして聞きたいのに、中途半端に思考を支配する快感が翔流を舌足らずにさせる。 「翔流にはずっと、心を乱されっぱなしだったからな。少しぐらい意趣返しをしてやろうと思った。…………だが、それもそろそろ終わりにしよう」  何度目か分からない抽送の途中、腰を引いたまま動きを止めた冬馬が背を屈めて唇を落としてくる。自然と受け止めた翔流は舌を絡め、愛おしい男とのキスを堪能しようとした――――その時。 「んっ! ふん、んんんっ!」  肉襞を掻き割った亀頭が、一気に最深部にまで届いた。 「んっ、ぷはっ、や……っ、そ、いい、そこ……っやぁあっ!」  完全に不意を衝かれた翔流は、狂ったように声を上げるしかできない。 「やはり……くっ、堪らない、な」  翔流の中は最高だと、恍惚に浸った表情のまま冬馬は腰を振り続ける。と、下半身を激しく揺さぶれた翔流の内側へ、悪寒にも似た震えが起こった。 「あっ、も、もっ……イっ……」 「ああ、俺、っ……もだ……」  できることなら二人同時に果てたい。薄い意識の中で願望を抱いた翔流が下腹部に力を込め、吸い込むように冬馬を締め上げた。 「あ、あ、あっ、ああ、ああぁっ」 「う……くぅ……っ」  刹那、腰の動きを止めた冬馬の額から汗の雫が一粒落ちる様子が、薄目を開けていた翔流の瞳に映った。だが汗が落ちきるのを確認する前に、ひゅっ、と喉が鳴る。 「ひぃ、あっ、あ、ゃ、ああああぁぁぁっ!」   翔流の秘奥で強靱な肉が痙攣し、暴れ回った末に淫欲の蜜を飛ばす。煮えたぎらせたかのような灼熱が亀頭ですら届かない奥へと注ぎこまれると、その刺激で翔流も頂へ駆け登った。 「んっ、はぁ、あつ……い……っ、」   たった一枚のゴムがないだけで、体感する熱さがこれほどまでに違うなんて。未知の快感に浸っていると、翔流の中からゆっくりと出ていった冬馬がいくつものキスを落としてくれた。 「なぁ、翔流……幸せって……本当にいいな」  まだ少し息が上がった冬馬が、感情が抑えられないという様子でしみじみと語る。 「なに? 突然どうした……?」  息を整えながら、首を傾げる。 「幸せが隣にあるだけで……こんなにも晴れやかで楽しい気分になれる」  恐らく生涯を誓って、新婚初夜を迎えて、今、冬馬は幸福に塗れているのだろう。浮かれているパートナーを見て、翔流も心が温まった。 「もっと幸せになろうな」 「ん、幸せになろ」  様々な困難を乗り越えた二人なら、もっと大きな喜びを手にできるはず。笑い合いながら二人は互いの額をコツンとくっつける。今にも触れそうな距離に唇があることから、翔流はもう一度ぐらいキスが来るのではないかと期待したが、冬馬から返ってきたのは予想外の言葉だった。 「――――ということで次の幸せのため、翔流には早急に選んで貰いたいものがある」 「…………はい?」  甘い空気が充満する中、いきなり斜め上の方向から切り込まれ、変な声が出た。しかし冬馬はそんな翔流を他所に、心逸る様子でサイドテーブルの引き出しを掻き回している。 「翔流と結婚した時のためにと買っておいた指南書に書いてあったんだが、どうやら末永く夫婦円満でいるには、セックスレスになるのを回避することがいいらしい」  話が全く見えない。 「セックスレスの原因はマンネリ化。それを防ぐためにも、こういったものを用意しておこうと思うんだ」  引き出しの中から目当ての物を見つけたらしく、中から一冊のパンフレットを取り出す。  そしてそれを嬉しそうに渡されたのだが。 「ナニコレ」  表紙を見た瞬間、プロポーズを受けてから二時間ほどしか経っていないというのに千年の恋が一気に冷めそうになった。  だがそれも仕方のない話だ。誰だって記念すべき新婚初夜直後に、アダルトグッズのカタログを渡されれば糸目にもなる。 「ちなみに俺のオススメは、この『パール付き極太バイブ』だ」  端に折り目がついたページを開かれ、お勧めだという玩具を指さす。そこには子供の腕ぐらいはある太さのボディに、全面パールがついたピンク色のバイブの写真があって翔流の気分をさらに落下させた。 「あと、コックリングやプレイ用のコスチュームも捨てがたい」  次はこれ、その次はこれ、と翔流を置いてけぼりにした状態でどんどん進んで行く。その意気揚々とした姿は大好きな仕事をしている時と同じで、『ああ、冬馬は心から楽しんでるんだなぁ』なんて思わず現実逃避してしまいそうになった。 「冬馬さ、一つ確認していい?」 「何だ?」 「そのなんちゃらバイブもリングも、ナース服に似たコスチュームも全部、オレに付けたり挿したりするんだよな?」 「勿論だ、だからこそ翔流に一番似合うだろうものを選んだんだが、色や形が気に入らなかったか?」  さも当然だと言い切ったうえ、既に使う気満々でいる冬馬の様子に今生最長記録の溜息が零れた。多分、この男の頭には『夫婦ならどんなプレイをしてもいい』なんて甘えた考えがあって、それが間違いだと微塵も思っていないのだろう。  しかも、本人は気づいてすらいないみたいだが、また何でも押し通せば許せて貰えるというワガママ暴君モードになっている。  ああ、やはり相手が恋愛音痴だからといって甘やかそうとしたのは、間違いだった。 これは一度、きちんと灸を据えてやらねば。 「なぁ、冬馬サンよ。今の時代、離婚率がすっごい高いって話、知ってるか?」 「国の調査によるデータ上の話なら知っているが、何だいきなり、そんな縁起の悪いことを言って……」 「いいから。だったらさぁ、その理由とかも分かるよナァ?」  好き勝手に暴走する冬馬に覚えた怒りをグッと押さえ、翔流は笑顔を浮かべる。 「ん? ああ……確か性格の不一致や浮気、嫁姑問題に暴力とかだったと思うが」  さすが勤勉な男は何でも知っている。ただ、今はそれを褒めてやる時ではない。 「実はそれ以外にも一つ、どれだけ愛し合っても絶対に抗えない離婚理由があるんだよ。しかも、これが結構多いみたいでサァ」  話しながら静かにベッドを降り、脱ぎ散らかした服を着ていく。 「冬馬には特別に、その理由が何か教えてやるよ」  冬馬は翔流が何をするのか分からないらしく、黙ったままこちらの様子を見ている。それを後目に全ての服を着終わると、翔流は再びベッドに近づき、アダルトグッズのパンフレットを手にして怒鳴り声を上げた。 「それはな――――性の不一致だ!」  叫び終わると同時にパンフレットを真っ二つに引き裂き、冬馬に向かって投げつける。 「実家に帰らせていただきます!」 「………………は? ちょっ、翔流っ?」  漸く状況を察した冬馬が慌ててベッドから飛び降りたが、翔流は構わず寝室の扉を開け放ち、外へと飛び出した。 「ま、待て! 待ってくれ、翔流。ちゃんと話し合おう!」  背後で冬馬の情けない叫び声が響く。 「待たねーよ、バーカ!」  すぐに追いかけてこないのは、彼が未だ全裸だから。計算済みの翔流は、ざまあみろと笑いながら屋敷の廊下を駆けた。      その後、二人の喧嘩の結末はイケメン社長が土下座して謝ったことで終わりを告げたそうだが、その一部始終は優秀な秘書により、きちんとブログで語られたのだという。 END
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