第3話:まさか、お前……。

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第3話:まさか、お前……。

 冬馬はとんでもない暴君だが、やはり頭が切れる男だった。  俺に不可能はないと豪語した時は、どれだけ自信家なのだと思ったものの、蓋を開けてみれば状況は彼の思うとおりに進んでいる。  一体どんな言葉を使って説明したかは、翔流にも分からない。しかし、いつの間にか記者達の行動は抑えられていたし、翔流の両親とバイト先への説明も難無く終わったどころか、逆に「色々大変だと思うけど、不動さんを信じて頑張って」と激励されたぐらいだ。  世間からの批判も高まると思いきや、衆目の集まる場所で一般人に告白した姿に皆、「シンデレラの王子様みたい」なんて言って好意的な目を向けている。  そしてさらに今回のことで禁断の愛に共感したというニューハーフや、同性愛者からの支持まで得るようになった結果、冬馬が計画していた新たな男性用化粧品シリーズへの問い合わせも増えたそうだ。  しっかりとした根回しに、地盤固め。彼は本当に不可能を着々と可能にしていく。  そんな男と恋人となった翔流だが、契約から二週間の間にやったことと言えば、出張で不在となった主の館で食事のマナーを教わったり、何故か全身エステを受けさせられたりということぐらい。冬馬の恋人として外で何かするということは、全くなかった。  これは梶浦が言っていたとおり、自分にはやることはないのかもしれない。  しかし、そう思っていた矢先、翔流は突然デートに誘われた。 「――――で、何で同じ家に住んでるのに、待ち合わせなんだよ」  昨夜、冬馬より先に帰ってきた梶浦から、当日着ていく服と指示を受けた翔流は、首を捻ることしかできなかった。  まだ一度も屋敷で一緒に過ごしたことはないが、それでも住んでいる場所は同じなのだから、揃って外出が普通なのではないのか。しかも待ち合わせ場所に、草隠町からバスと電車を乗り継いだ先にある繁華街の駅をわざわざ指定してくるところも、理解に苦しんだ。  そして今日。言われたとおりの場所に行ってみれば、そこには一人だけ異様に目立つ存在が、壁に寄りかかりながら待っていたのだ。  逞しい身体のラインが綺麗に出るサマーセーターに黒のジーンズ。そして緩く巻いたストール。着ている人間の魅力を十二分に引き立てているこの組み合わせは、一流のスタイリストが『冬馬に似合う』ものとして選んだものに違いない。 「今日は俺達の初めてのデートだから、できるだけ目立たないといけない。それにはここで待ち合わせるのが一番だと思ってな」  通行人の目を引きまくる男が、現地集合の意図を自慢気に語る。 「お前って……本当、抜かりねぇのな」  ここは渋谷や原宿のような流行の最先端が集う場所ではないけれど、都内に繋がる大きな駅であるうえ、今日は夏休みが始まったばかりの祝日ということで人通りが多い。現にこうして立っているだけでも、二人の正体に気づいた通行人がスマートフォンを向けて写真を撮っている。  恐らく、二人のデートを撮った人間がSNSに写真やコメントを投稿するであろうことを含めて、全て計算をしているのだ。 「それは褒め言葉として取っておこう。ただその前に、俺のことはどう呼ぶんだった?」 「スミマセンデシタ…………冬馬」  恋人なら名前で呼び合うのが当然ということでこうなったが、正直まだ慣れていない。 「それでいい。では今からデートを始める。まずは…………」  ふと冬馬が肩にかけていたショルダーバッグから文庫本を取り出し、しおりが挟んであるページをチラリと見る。そして何かを確認すると、すぐにまたバッグへと本を戻した。 「よし、手を繋いで歩くことだな」 「は? 手? 男同士で手繋ぐのか?」 「俺達は男同士ではない、恋人同士だ」 「…………あー、そうでしたね」  本当なら御免被りたいところだが、冬馬には契約書という名の伝家の宝刀がある。そしてサインをした翔流には拒否権がない。  仕方なく翔流が手を繋ぐと、周囲から小さいが「キャッ」という女性の黄色い声が聞こえた。 「で……これからどうするんだ?」 「今日は一日、デートの時間として取ってあるから、色々な場所を回るつもりだ」 「ふーん。どんな予定でもいいけど、どこかのセレブみたいに映画館を貸し切りにするとか、服屋で『ここからここまでを包んでくれ』とかいうベタなことだけはするなよ。そんなことをしたら、羨ましいというよりも笑いのネタになるからな」  別に何ら深い意味はない。ただ冬馬が金持ちだという理由から、昔読んだ少女漫画の内容を思い出した翔流が、笑いながら注意する。 「ああいうのは、漫画の中だから許されるものであって、実際にやられたら引くらしいぜ」  漫画は憧れの世界、けれど現実は違う。女性という生き物は難しいのだ。そう説明すると、不意に冬馬の足が止まった。 「ん、どうした?」 「ちょっと待て」  急に繋いでいた手を離したと思ったら、冬馬はバッグの中に入れた文庫本を再び取り出し、また読みはじめる。 「何で急に読書? ってか、その本何だよ?」  奇怪な行動をとる冬馬が気になり、横から本を覗き込む。と、目に入ってきたのは『初デートが肝心! 少女漫画から学ぶ、絶対に失敗しない秘訣七選』という文字だった。  まさかと驚き、冬馬の手から文庫本を奪い取る。横から「何をする」という抗議が上がったが、翔流は知らぬという顔でブックカバーから乱雑に本を抜き取った。 「やっぱりこれ……恋愛指南本じゃんか!」   『誰でも成功する、初めての恋愛』と書かれた表紙を見て、思わず声を上げる。 「もしかして、冬馬って恋愛経験ないの?」  まずい、笑いが込み上げてきそうだ。翔流は吹き出しそうになるのを抑えながら頭一つ分高い位置にある整った顔に視線を向ける。すると、小さくだが口角を引き攣らせた冬馬がプイッと顔を逸らした。 「どうせ翔流だって、同じようなものだろう」 「オレ、高校の時に一応彼女いたけど?」 「む……」  どうやら、もう反論できないらしい。冬馬はハァっと短い息を吐くと、恨めしそうな顔で自分が恋愛初心者である理由を告げた。 「亡くなった父が厳しい人だったから、ずっと勉学を優先してきたんだ」  冬馬は学生時代、父親からどこかのアイドルグループのような恋愛禁止令を出されていたため、高校卒業までずっと色恋事を我慢していたのだという。 「高校卒業後はアメリカに留学する予定だったから、そこでやっと自由になると思っていたんだが、直前で両親が亡くなって会社を継ぐことになって……気づいたら今だ」 「うーん、そういうことなら仕方ないかぁ」  今でも彼は多忙を極めている。以前、冬馬の一ヶ月を追ったというドキュメント番組を同郷の好で見たことがあるが、仕事のために東京と草隠町を行き来している彼の睡眠は平均三時間と言っていた。確かに恋愛をする余裕なんてないだろう。 「ん? あれ、そういえば……冬馬って、何で草隠にいるんだ?」  ドキュメント番組を思い出したついでに浮かんだ疑問を投げかける。 「それは本社が草隠にあるからだろう」 「んなことは分かってるよ。けど冬馬みたいに芸能界で長く活躍してる人間なら、会社とかも東京に移すんじゃないかって思ってさ」 「ああ……そういった話がないと言ったら嘘になるが、俺は草隠を離れるつもりはない」  意外なほど強い言葉に、翔流は目を見開く。 「何で?」 「昔、あることで酷く落ちこんだ時、多くの町の人が俺に救いの手を差し伸べてくれたんだ。そのおかげで立ちあがることができたから、いつかその恩返しがしたいと思ってる」  きっと当時のことを思い出しているのだろう。冬馬はテレビでも見たことがないような柔らかな笑顔を浮かべながら語った。 「そのためにも、俺はずっと草隠町にいるつもりだ」  そう言い切った男に、翔流は驚かされた。冬馬みたいな上昇志向の強い人間は、田舎町などさっさと斬り捨ててしまうと思っていたのに、彼は草隠に大きな愛を注いでいる。  何だか少しだけ印象が変わった気がする。それから翔流の両親が契約を『相手が冬馬なら』と許した理由も、何となく理解できた。 「そっか。その言葉、町の皆が聞いたら喜ぶだろうぜ」 「翔流も草隠の人間だろう?」 「勿論、オレも嬉しいよ。だからそのお礼に、オレが普通の恋人同士がするデートってやつを教えてやるよ」  相手がただの暴君なら、ここまで協力的にはならなかったが、その心を知った今は違う。 「普通のデートとは、どういったものだ?」 「簡単だって。普通に映画を見たり、買い物したり、ご飯食べたりする」 「しかし、それではインパクトが……」 「何言ってんだよ。ギャップ萌えって言葉知らねぇのか? 普段、クールで男らしいのに実は可愛い小動物が好きとか、遊び人そうに見えて一途とか、そういったギャップに世の女子は萌えるんだよ」 「ギャップ萌えか……よし、覚えておこう」  初めて聞いた言葉にいたく感心したらしく、冬馬はポケットから取り出したスマートフォンのメモに早速打ち込み始める。  これさえなければ格好いいのだが、と笑いながら翔流は話を続けた。 「冬馬みたいに社長で金持ちってイメージの人間が、一般人と変わらないデートしてる。きっとそれだけで好感度はアップするぜ?」 「そういった戦略もあるんだな」 「戦略とか真面目に考えすぎるなよ。必要なのは二人で楽しく過ごすこと、それだけ!」  ということで、早速デートを始めよう。冬馬の手を取って歩きだすと、不意に名を呼ばれた。 「翔流」 「ん?」  振り返ると、そこには潮垂れた様子の色男の顔があった。 「俺が計画したことなのに、勉強不足なところを見せてしまって悪かった」  たかが一度の失敗なのに、ここまで神妙な顔をして謝られると、こちらまで申し訳ない気持ちになってしまう。が、それだけ真摯に考えていることも伝わってきた。 「気にすんなって、誰だって最初は初心者なんだからさ」 「いや、それでも翔流の知識に助けられたのは確かだからな。礼だけは言わせてくれ――――ありがとう」  言いながら、冬馬が頭を撫でてくる。そういえば、以前も撫でられたことがあったが、これは彼の癖なのだろうか。  もうすぐ成人式を迎える人間としては、やや恥ずかしいところもある。 「それでは改めて」 「ああ、行こうぜ」  だが、不思議と嫌な気はしなかった。
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