第5話:ハマってしまった?

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第5話:ハマってしまった?

 広々とした部屋に置かれた革張りソファーの応接セットと、重厚な木材で作られた一点物の執務机。  壁には大きな作り棚があって、その上には小さな観葉植物やクリスタルの加工グラスなど、趣味のいい置物が並べられている。心なしか部屋にいい香りが漂っているのは、いつ来客があっても気分よく過ごせるよう、アロマが炊かれているからだろう。  しかし、だからといってここは気軽に入って来られるような場所ではない。ここは部屋の主である冬馬に選ばれた者しか入れない、特別な場所なのだから。  そんな室内に、酷く似合わない嬌声が響く。 「ひ、ぁ……っは、ふ……っ」  それは、シャツとネクタイだけで下半身は何も着けていない姿の翔流のものだった。しかも総革張りの執務椅子に座るスーツ姿の冬馬に、足を大きく開いて跨がるという状態の。  何故、こんな姿でいるのかと問われたら、一言――――冬馬の暴走だと答えるしかない。  今朝、二日ぶりに東京から戻って来た冬馬に、突然スーツを着て本社へ来いと言われた翔流は、この部屋に入った途端に下衣を全て剥ぎ取られた。曰く、二日も離れたから溜まってしまったのだ、とのこと。  咄嗟に「セックスを覚えたてのガキか!」と頭を叩いたのは、当然のことだと思う。しかし結局冬馬の上手い口に流されて、跨がる羽目になってしまった。  二週間前、初めて身体を重ねたばかりの二人が、今では白昼堂々社長室でセックスをしている。昔の自分だったら絶対に考えられない話だが、文句を言いながらも最終的に受け入れているのには、ちょっとした訳があった。  そう、翔流自身も何だかんだ言って冬馬とのセックスに嵌まってしまったのだ。  最初のセックスから三日後、翔流はまたもや冬馬に巧みに言いくるめられて二度目の行為に及んだのだが、その時には一度目に感じた苦しさはなくなっていた。自分の身体が慣れてしまったのか、はたまた冬馬が指南本による更なる学習を経て上達したのかは分からないが、とにかく拒む理由が出てこないほど身体が快楽に絆されてしまったのだ。  これは翔流にとっても多大なる誤算だった。 「って、か……セックスなら家ですれば……いい、じゃん。仕事場で……は、ぁんっ……んなことしていい……っ……のかよ」  向き合った形で冬馬の唇を貪っていた翔流が、息継ぎの合間に問う。すると意地の悪い質問の仕返しと言わんばかりに晒された窄みの入口を二本の指で広げられた。 「あ、やッ、んぅ、んッ……!」 「ここは俺の城だ。許可がなければ梶浦だって入ってこられない。だから安心して声を上げても構わない。それに……」 「ん、それ……っ……に?」 「二日ぶりに戻って来られたと思ったら、急に午後から出張が入った。しかも、次に帰れるのが四日後の深夜と言われた俺の気持ちを考えてみろ。さすがに我慢の限界だ」 「さすがって、最後にしたの出張前の夜……だろ? たった……んっ、二日しか我慢できない奴が何、偉そうな……やっ、あぁっ!」  耐え性のなさを指摘してやると、後孔を弄る指の動きが一層激しくなった。 「ほう……それを言うなら、翔流こそ我慢できないんじゃないのか? ココをこんなにひくつかせてるくせに」 「っ、や、そこ、だめっだって……」  どこのエロ親父が言う台詞だと脳内で文句を言いながら、卑猥な水音に呼吸を合わせる。少し余裕が出てきたところで、翔流は次に控えておいた不平を冬馬にぶつけた。 「ってか、それより……オレ、一つ冬馬を問いつめないといけないことが……ん……あるんだけど」 「何だ?」  翔流の問いかけに反応して、冬馬が解す指を止める。快楽が鎮まったところで、翔流は身体を重ねてからずっと思っていたことを口にした 「今更だけど、どうしてオレが抱かれる方なんだよっ。恋人同士なら、別にオレが冬馬を抱くほうでもよかったじゃん!」  それは、たまたまネットで男同士のそういったことを調べた時に気づいたことだった。  閲覧したサイトには同性間の愛の営みについてじっくり書かれていたのだが、その文の中に驚くべき言葉が書かれていたのだ。 『男同士のセックスというのは身体だけでなく、心にも大きな影響を及ぼします。ですからどちらが抱く、抱かれる側になるかは、二人でじっくり話し合いましょう』  じっくりとした話し合い――――なんてものは一切なかった。 「本当に今更だな」  なのに、どうしてこの男はバカバカしいとでも言うような溜息を吐くのだろう。 「何、呆れた顔してんだよ。呆れたいのはこっちの方だ! 冬馬、お前、オレが何も知らないと思って、勝手に役割決めただろう!」 「だとしても、結果は大当たりだったんだから、構わないだろう」 「んなこと言って、実はオレに抱かれるのが嫌だったんじゃねぇのか?」  冬馬の目を真っ直ぐ見つめながら問いつめると、絡まっていた視線が急に外された。  やはり、予想は的中だ。 「な、知ってるか。男同士は一度やったからって、役割が決まるわけじゃないらしいぜ?」 「……どういうことだ?」 「臨機応変。その時によって逆転させることもあるんだってさぁ」  さて、冬馬はどう反論してくるだろうか。ニヤニヤと笑いながら反応を待っていると、秘奥に埋まったまま停止していた指がいきなり動き出した。  しかも、先程よりずっと激しい 「やっ、ちょっ、いきなり……あっ、んっ」  鎮まりかけていた熱を唐突に呼び覚まされ、身体の力が抜ける。立ちあがっていた肉芯から、ツプンと先走りが溢れた。 「ズル……イ、だろっ……こんなっ」 「ズルくも何も、こんなにも気持ちよくなれているのに、どうして役割を交代する必要がある?」 「気持ちはいいのは確かだけど、オレのプライドが……っ、あっ、っ!」 「そんな余計なことなど考えず、今は快楽に身を任せていろ。そうすれば――――」  その時、不意に机の上の電話が鳴った。 「電話……」 「内線だ。出るから少し声を抑えていろ」  翔流の背を支えていた手を離し、冬馬が電話機のボタンを押す。すると受話器を持ち上げていないのにも関わらず、通話状態となって相手の声がスピーカーから聞こえた。 『梶浦です。お忙しいところ申し訳ありません。今、お時間よろしいでしょうか?』 「どうした?」 『火急に社長のご判断が必要な件ができてしまったのですが……』  二人が翔流を挟んで仕事の話を始める。  だが、その間も翔流の後孔を弄る指は踊ったままだった。 「ん、ゃっ、あっ……」  指先が性感帯に触れて、自然と声が漏れる。 『社長? どうかなさいましたか?』  その声の一端が電話の向こうに届いてしまったのだろう、スピーカーを通る梶浦の声に怪訝の色が混ざる。 「何でもない、続けろ」 『はい、では――――』  冬馬に疑念を打ち切られ、戸惑いを含みながらも梶浦は仕事の話を続けるが、やはりその時も冬馬の手遊びは終わらず、弄ばれた翔流は声を止めるのに必死だった。  それなのに、冬馬はそのうえでとんでもないことを言い放つ。 「分かった。では資料をこちらに持ってきてくれ」  何と、冬馬はこの部屋へ梶浦を呼ぶというのだ。驚いた翔流は、抗議しようと身体を起こす。けれどその時には既に電話が切られていて、男の愚行を止めることができなかった。 「オイ、何でここに梶浦さん呼ぶんだよ!」 「急を要した案件なのだから、仕方ない」 「仕方なくねぇよ! オレ、梶浦さんにこんな姿見られるの、嫌だかんな!」  いくら梶浦が二人の関係を知っているとはいえ、下半身丸出しであらぬ場所を弄られているところを見られるなんて、堪えられるはずがない。冬馬のスーツの襟を掴んで揺さぶると、冬馬は仕方ないといった顔で机の下を指さした。 「なら少しの間、そこに隠れていろ」  指さす場所は、執務机の下。 「はぁ?」 「別に狭い場所でもないから平気だろう?」  男の言うとおり机下は広い上、扉側から全く見えない造りになっている。翔流が音を立てなければ、見つかることはないだろう。 「こんの……クソ暴君……」  梶浦に見つからずに済む方法としては妙案だが、何か腹が立つ。 「ほら、早くしないと梶浦が来るぞ」  絶対に面白がっている冬馬を無性に一発殴ってやりたくなったが、商売道具に傷をつけるわけにはいかない。翔流は、渋々と机の下へ潜り込んだ。  それから少しして、ノックの後に梶浦が社長室に入って来る。と、冬馬が梶浦に対して不自然に映らないよう、少しだけ深めに座りなおした。  そのせいで目の前に長い足が迫ってくる。つまり、翔流は冬馬の股の間という情けない位置におさまる羽目となったのだ。  何が悲しくて、こんなところに隠れなければならないのだ。悔しがっているうちに梶浦と冬馬の会話が始まる。 「社長、こちらが書類になります」 「ああ」  梶浦の声が存外近くに聞こえて、身体が震えた。机の下に隠れてさえいれば見つからないと思っていたが、考えてみれば翔流と梶浦との間を隔てているのは木の板一枚だけ。これは少しでも音を立てたら、完全に気づかれてしまうだろう。 翔流は緊張と共に息を潜めた。 「こちらですが――――」  持ってきた書類の内容を指しながら仕事の話をする二人の声が聞こえてくる。そのやりとりはまさに翔流が脳裏に思い描く仕事のできる大人そのもので、いつも以上に冬馬の姿が格好よく思えた。  自分も将来はこんな社会人になりたい。そんな想像をしてしまう。けれど――――。 「ですが、この場合の損益は……」 「いや、その方法を選ぶと固定費が……」  二人の会話が五分、十分と続くにつれて机下で待つ翔流の気分はどんどん下降した。  少し話が長すぎやしないだろうか。  誰だ、すぐに終わると言った奴は。  沸々と湧いてくる苛立ちに、舌打ちをしたくなった。どうにかこの気持ちを冬馬に気づいて貰いたい。いや、分からせてやりたい。 そう考えていた時、ふと翔流は目の前にある『もの』に気づいた。 瞬時に、巧妙な仕返しが頭に浮かぶ。  これなら冬馬にぎゃふんと言わせられるはずだ。翔流は息だけで笑いながら、冬馬が履いているスラックスのベルトに手をかけた。 「っ……」 「どうなさいましたか、社長?」 「いや……大丈夫だ。続けてくれ」  どうやら冬馬は翔流が何をしようとしているのか、気づいたらしい。翔流の肩の真横にある長い足が、動揺に揺れた。  だが梶浦の手前、腰を引いて悪戯の手を止めることができない。翔流はこれみよがしにスラックスの留め具とジッパーを開くと、奥に見える下着から固くなりはじめていた冬馬の雄を引き出した。  外気に触れた肉塊が、目の前で小さく震える。その様子をニヤリと笑って楽しんでいると、不意に今まで机の上に乗っていた冬馬の右手が、翔流を制止するために机下に伸びてきた。 向こうは慌て始めてきている。きっと上では梶浦に澄ました顔を向けながら、内心焦りでいっぱいになっていることだろう。  机下の主導権を完全に握った翔流は、ざまあみろと言わんばかりに冬馬の手を阻むと、次は濡れた舌先で雄を舐め上げた。 「くっ……」 「社長?」 「何でもない……では、この件は先程の――」  まさか仕事の最中に口淫されるなんて、思ってもいなかっただろう。冬馬の焦りが顕著になってきているのが、手に取るように分かる。が、それでも翔流は仕返しの手を緩めなかった。  口いっぱいに頬張った塊をしゃぶり、吸い上げ、そのうえ頭の動きを加えて上下左右全体に刺激を与えてやる。すると、あっという間に冬馬の分身は、最高潮に膨れあがった。  ああ、できるものなら慌てふためいているであろう冬馬の顔を見てやりたい。  その後も机下で夢中になって冬馬を貪り続けていると、少し時間が過ぎた頃だろうか、唐突に椅子がひかれ、翔流は手首を思いきり掴まれた。そしてその状態のまま、強い力で表へと引き上げられる。 「うわっ」  一瞬にして明るくなった視界に、瞼をギュッと瞑る。次に開いた時、目の前にあったのはあからさまに怒りの火を灯している冬馬の鋭い目だった。  まずい、これは本気で怒ってる目だ。 「あ、あれぇ……梶浦さんは?」 「梶浦なら、もう出ていった」  可愛らしく聞いてみるが、返ってくるのは温度のない返答のみ。 「ははっ、そうかぁ、驚かせんなよ」 「ほう……驚かされたのはこちらだが?」 「へ、あっ、うぎゃっ!」  もう一度強く腕を引かれた勢いのまま身体を反転させられ、執務机の上に上半身を乗せた状態で押さえつけられる。 「痛っ……何、すんだよ」 「この俺に悪戯をしかけるとは、いい度胸だ。さすがは俺の恋人……と褒めてやってもいいが、その前に仕事の邪魔をした悪い子へのお仕置きが必要だな」  言葉と同時にシュルっと布が擦れる音が耳に届く。冬馬を背にしている状態のため、何をされるのか分からない翔流が得も知れぬ恐怖を抱くと、その予想はすぐに当たった。  何と両手を捕まえられ、外した冬馬のネクタイで後ろ手に縛られたのだ。 「じょ……冗談……だろ?」 「悪いが、冗談は嫌いだ」  続けて「これも使うから借りるぞ」と翔流が着けていたネクタイを引き抜き、それを勃起している翔流の性器に括る。 「やっ……」  激痛とまではいかないが、男としては耐えがたい苦しさに、翔流は首を大きく振った。 「やだ、冬馬、これ取れよっ」 「そんなことをしたら、罰にならないだろう? それよりも『コレ』、何だと思う?」  笑いを含めながら冬馬が机の引き出しから取り出してきたのは、手の平より少し長いプラスティック製のスティックだった。だが、ただスティックといっても真っ直ぐなのは持ち手の部分だけで、先端には直径三センチほどの球体が五つほど連なっているという不思議な形のもの。 「何だよ、それ……」 「今、俺が読んでるこの本の、オススメ商品だそうだ」  これまたいつ取り出したのか、翔流の目前に『男同士のセックスを最高のものにするための玩具五十選』と題された本が置かれる。  一体、こんな本をどこで手に入れたのか。そもそもどこで売っているのか。そんな疑問が脳裏に流れたが、それよりもセックスの玩具、という文句の方に戦慄を覚えた。  今、この状況で使う玩具なんて言われたら、一つしか思い浮かばない。しかも絶句している翔流の目の前では、執務机が汚れることも厭わないといった様子で、冬馬がスティックの球体部にローションを注いでいる。もうそれだけで、未来は確定したようなものだ。  ただ、それでも自らの予測を信じたくないと、翔流は悪あがきで逃げようする。 「まさか、それをオレに使うとか……言わないよな?」 「察しのいい人間は嫌いじゃない」  無論、逃げ道はあっという間に塞がれたが。 「ってか、それより何で社長室にそんなもん置いてあるんだよ、おかしいだろっ?」 「さっきも言ったが、ここは俺の城だ。何があってもおかしくない」  反論をあっさりと論破され、翔流は次の手を失う。その内に視界からスティックが消え――――。 「ひ、ああぁぁっ!」  唐突に後孔が大きく広げられる感覚に襲われた。  先程まで後ろを解されていたから猟奇的な痛みはなかったが、にべもなく侵入してくる異物に翔流は声を止めることができない。 「ぁ、ひ、ゃ、やあぁっ」 「一つ、二つ……これで三つ。どうだ、気持ちいいだろう?」  球体が一つ差し込まれる度に、声に出して教えられる。しかし、そんなことをしなくても生々しい感覚が何個目かを直接的に伝えてきて、その度に翔流は喉から叫びにも似た嬌声を吐き出した。 「や、あぁっ、抜い……苦、しいっ!」 「苦しい? そんなはずはないだろう? このアナルスティックは、俺のものよりも随分小さいぞ」  確かに太さは冬馬の方がある。だが生身の人間の温かさを持たない道具に侵食される違和感は、言葉では表せないものなのだ。  身体中が嫌だ、早く抜いて欲しいと不快感を訴えている。それは後孔の窄みから出ている持ち手の部分をわずかに揺らされるだけで百倍にも増し、翔流の心を苛んだ。 「ほん……とっ……や、だ……」  冬馬とのセックスは好きだが、こんなプレイは望んでいない。 「抜……て、っ、と……ぉま……」 「駄目だ、まだ反省の色が見えない」  願いを冷たく断ち切られると共に、四つ、そして五つ目の球が埋め込まれる。  また、内側の無慈悲な圧迫が増えて、翔流は甲高く喘いだ。 「ひぅっ! や、願、い………な、んでも、する……んっ……からぁっ……」 「何でも?」 「するっ、す、るからぁっ」 「そうか……そうだな、なら――――こちらの責任を取って貰おうか」  翔流が身動き取れないよう、背中に体重を乗せていた冬馬が退く。と、そのまま再びどっしりと社長椅子に座った。 「何をするか、分かるな?」 「え……」  身体を起こし、震える足に鞭を打ちながら冬馬の方向を見る。けれど、何を言われているのか、翔流には予想もつかなかった。 「どうした、分からないのか? ならヒントをやろう。さっき翔流は机の下で何をした?」 「っ!」  そこまで言われ、漸く理解する。 「どんなことでもすると言ったのは翔流だ、今更反故にするなんて言わないよな」 「そ、れは……」  また追いつめられ、言葉を失ってしまう。だが、いくら視線で許しを求めても、冬馬は何の反応も返してくれない。つまりここは観念して言う事を聞くしかないということだ。 「じゃ……じゃあ手、外して。これじゃ……」 「何を言ってる、口は空いてるだろ?」 「え、まさかこのまま?」 「当然だ」  後孔には玩具を入れられ、腕は後ろ手に縛られたままという状態で冬馬を満足させろと言われ、翔流は絶望を見る。  まさか自分の悪戯が、こんな形で返ってくるとは思わなかった。翔流は悔やみながら床に膝を着き、再び天に向かって猛る冬馬の雄を口に咥える。 「ん……っ、ふ、ん……っ」 「いい眺めだ」  冬馬を一度イカせさえすれば、こんな苦痛はすぐに終わる。その思いだけで口と舌を動かすが、苦しい状況下での口淫は酷く辛いものだった。  舌に感じる苦さも、先程より倍増したような気がする。 「そういえば、さっきお前は机の下で梶浦に気づかれないよう懸命に配慮していたようだが、アイツは気づいていたぞ」 「んっ……」  返事ができないため、驚いた表情だけを冬馬に向ける。 「梶浦が出ていく時、溜息交じりに言っていった。戯れもいいが目的の主旨を忘れるなと」  あの時、気づかれていたうえに苦言まで吐かれていたとは。悪戯に夢中で、全く聞こえていなかった。  きっと梶浦は社長室でこんなことをしている二人を、否、翔流を疎ましく思ったことだろう。それでなくても梶浦には最初から嫌われていたのに、今回のことで余計に印象を悪くしてしまった。  一体、自分は何をやっているのだ、と気分が落ちこんでいく。 「動きが粗雑になってるぞ。他事を考えるな」  集中が途切れていたことを冷たい声で咎められ、頬を軽く叩かれる。その小さな痛みが棘となり、また心にグサリと刺さった。 「ふ、ん、ぅ、ん……っ」  もう早く終わらせてしまいたい。翔流は動かしすぎて麻痺しそうな舌と唇に鞭を打って必死に吸い上げた。やがて――――。 「もういい。離せ」  やにわに肩を押され、引き剥がされる。  次の瞬間、目前に生温かな雫が飛び散った。  当たり前だがその白濁とした雫は容赦なく翔流の顔にかかり、額や鼻の上、頬や唇とを余すところなく濡らした。それが冬馬の精液だと分かったのは十秒ほど経ってからで、同時に人生初めての顔射を経験したことも知る。  何て情けない姿なのだ。怒りを露わにする気力など僅かも生まれず、ただただ冷静になると共に惨めさを感じ、気分が急降下していく。そして、それがどん底まで落ちた時。 「ふ……っ……」  勝手に涙が溢れた。 「うっ……ぅっ……ううっ、ぅ……」  「翔流? おい、どうしていきなり泣くんだ」  翔流が前触れもなく泣き出したことに驚愕した冬馬が、いつもの口調で尋ねてくる。  だが、翔流にはその理由が答えられなかった。自分でも何故泣いてしまったのか分からなかったからだ。  とにかく今は、酷く虚無的で寂しい。 「そんなに嫌だったのか?」  立ちあがった冬馬が膝を折り、こちらと目線の合う場所まで降りてくる。続けて、手早く拘束を解き、後ろの玩具も抜いてくれた。  やっと苦痛から解放された翔流はその場にぺたんと座りこみ、涙の重さに顔を俯かせる。それから幼子のように、喉をしゃくり上げた。 「ふっ、う……ううっ、くっ……」 「一体どうしたんだ……」 「も、わ……かんな……っ……ふ、っく……」 「何が分からない? 落ち着いたらで構わないから、俺に教えてくれないか」  スーツのポケットから出したハンカチで翔流の顔を優しく拭きながら、幼子の親みたいに聞いてくる。そこには急かすような態度も、責めるような素振りもない。  いつまでも待ってくれるという空気の中、自分でも涙の意味を考える。そうすると、意識しないところからポロリと本心が零れた。 「なん、でっ……オレ、こんな惨め……っ、なん……」 「惨め?」 「けーやく、して……っ、み、んなに白い目、見られ……梶浦さ……にきらわれてっ……冬馬も怒っ……」  ああそうか、そういうことだったのか。  本能から出てきた言葉で、翔流はやっと涙の理由を理解した。  自分は今、たった一人だ。  冬馬と契約してから生活は大きく変わったものの、これまで大きな問題は起こってこなかった。恐らく、何かが起こる前に冬馬が対処してくれていたからだろう。  しかし、だからといって全く何もなかったわけではない。  暇つぶしにネットをすれば、湯水のように湧いてくる翔流への誹謗中傷。用事があって外に出た時に向けられる冷ややかな眼差し。そして梶浦の無言の敵意。それらは直接危害を加えるものではなかったが、翔流の心の柱を確実に削るものだった。  ただそれでも、翔流には冬馬という大きな支柱があったから立っていられたのだ。どれだけ嫌われても、冬馬が支えてくれるから大丈夫。そう心の中で呟けば、笑顔になることができた。  なのに今回、そんな心の拠りどころであった冬馬を怒らせてしまった。その事実が翔流の中に浸透し、孤独を感じた途端、無理矢理抑え込んでいた『惨めさ』『寂しさ』『辛さ』が一気に噴き出してきたのだ。  そう、自分は冬馬のように強い人間じゃない。他人からの敵意に弱い、どこにでもいる平凡な人間なのだ。だから支えを失えば一瞬で立っていられなくなるし、自分を保つこともできなくなる。 「翔流は俺が怒ったから、自分を惨めに感じたのか?」 「だっ、て……オレ、味方……だれも……っ」  涙のせいで苦しくなった息を荒く吸い込みながら、裸の感情を吐露する。  すると突然、翔流は逞しい腕に力いっぱい抱き締められた。 「すまないっ!」 「とう……ま?」 「俺は……翔流に甘えすぎていた」  強い抱擁の中、冬馬の後悔が耳を通る。 「翔流ならきっと文句を言いながらもワガママを聞いてくれる。そんな甘えを優先させて匙加減を間違えた。だが……翔流にだって限界はあるんだよな」  本当にすまなかったと、冬馬は何度も謝る。その声は驚くことに震えていた。  まるで先程までと同じ人物だと思えない。 「これからは気をつける。翔流のことを大切にすると約束するし、二度と惨めだなんて思わせない。だから……泣き止んでくれ」  柔らかに願われたところで、漸く翔流の心が状況を飲み込み始める。 「冬……怒って、な、い……?」 「勿論。それどころか、これまでの中で一番、翔流を愛おしく感じてる」  耳を撫でる優しい声、そして温かな掌の感触。それら全てから冬馬の偽りない気持ちが伝わってきた。  今の彼なら信じても大丈夫かもしれない。そう納得すると、不思議なことに胸を占めていた不安がみるみる消えていった。 「ん……なら、も……平気……」 「本当に平気か?」 「うん」  抱擁を解き、懸念の表情でこちらを覗きこんでくる。  「しかし……」  翔流が思いがけず泣いたことが余程効いたのか、まだ冬馬から心配の色が消えない。 「じゃあさ……冬馬が元気にさせてくれよ」 「俺が? 俺にできることなら、何でもするが……」 「大丈夫、冬馬にしかできないことだから」  言いながら、翔流はそっと額を冬馬の肩に乗せた。そして少々恥ずかしかったが、正直な願いを口にする。 「オレ、ちゃんと冬馬で気持ちよくなりたい」 「そうか。分かった、じゃあおいで、翔流」  耳元に柔らかな声が届いた後、ゆるりと立ち上がった冬馬が、まるで御伽噺に出てくる王子のようにこちらへと手を差し伸べてきた。その美麗な微笑みに覚えず見惚れそうになるのを抑えて、翔流も手を伸ばす。 「ここに座って」 「でもこれ冬馬の椅子だし、オレ汚れて……」 「翔流は少しだって汚くないから大丈夫だ」  促され、翔流は戸惑いながらそっと腰を下ろす。 「二人で身も心をドロドロに溶けるぐらい、気持ちよくなろう」  身体を寄せてきた冬馬の甘い声が、耳の奥まで響いてくる。それは熱い吐息と混ざって、翔流の官能を確実に擽った。 「あ……」  意識がどんどん蕩けていく。早く挿れて、突いて、ぐちゃぐちゃに掻き回して欲しいと欲が訴えてくる。 だが、あえてそれを言葉にしなかった。きっと今の冬馬なら何も言わなくても、望みのものを与えてくれると分かったからだ。  目前にある慈愛と欲情が宿った瞳を見つめた翔流は期待に喉を鳴らすと、恍惚の表情を浮かべて男のキスを受け入れた。
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