第6話:思い出の菜園

1/1

316人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

第6話:思い出の菜園

 最近、冬馬は酷く疲れている。  それは多忙な仕事による疲労のせいでもあるが、大半は精神的疲労によるものだ。  悩みの発端となったのは、冬馬を追う芸能記者の一部が書いたある週刊誌の記事。 『不動社長は、商品戦略のために同性愛を利用している』 『相手の少年は、金で雇われた偽物の恋人』  恐らく、どれも翔流が表に出ないことを面白くないと考えた記者が流した話だろう。記事の内容も、お決まりの『会社関係者』だの『冬馬に近しい人間』だの、発信源を特定できない発言ばかりで固められ、まるで信憑性がないものだった。  しかし悲しいかな、世間は週刊紙の話を信じてしまい、そのせいで冬馬はこの一ヶ月、テレビで叩かれ続けているのだ。当然、仕事や芸能活動にも影響が出ている。  確かに記事の内容は間違ってない。けれど、真実を突き止めたわけでもないものを、正しいといえるのだろうか。  それに例え偽りの愛であっても冬馬は誰よりも真摯に向き合っているし、翔流だってその思いを受け入れている。ならば、それでいいではないかと、翔流は思ってしまうのだが、矢面に立っている冬馬はそういうわけにはいかなかった。連日、記者の厳しい追求を躱しながら対応を考え、走り回っている。その疲れが出てきてしまっているのだ。  今夜も彼は屋敷の執務室に籠もり、問題の沈静化のための策を練っている。そんな冬馬を見ているだけで、何もできないことに不甲斐なさを感じた翔流は、少しでも支えになればと、ある物を持って執務室を訪ねた。 「――――ごめん、ちょっとだけいい?」 「ん? ああ、どうした?」 「ちょっと冬馬に差し入れをと思ってさ」  入っていいかと聞くと、すぐに了承が返ってきた。  翔流は持っていた物と一緒に、部屋に入る。 「はい、これ。美味しいかどうか分かんねぇけど」  そう言って翔流が冬馬に差し出したのは、トレイの上に乗せたおにぎりと味噌汁だった。 「これは……翔流が作ったのか?」 「まぁな。っていっても、お手伝いさんがお腹すいた時にって、飯を炊いていってくれたから、作ったのは味噌汁だけだけど」  冬馬の屋敷は、翔流が住むようになってから食事や掃除を担うハウスキーパーが通うようになった。キーパーは基本的に決まった時間しかいないが、屋敷で一人になることが多い翔流のために毎日軽食の材料を用意してから帰ってくれる。故に、こうして急に夜食を作りたくなっても容易に対応できるのだ。 「恋人の手料理か。せっかくだから、頂こう」 「どうぞ、メシアガレェー」  一緒に渡したウェットティッシュで手を拭いた冬馬が綺麗な手付きで箸を持ち、味噌汁に口をつける。その三秒後――――何故か冬馬の動きが止まった。 「これは……」 「え、何? もしかして不味かった?」 「いや、そうじゃなくて、何だか……懐かしい味がしてな」 「懐かしい?」  突然懐かしいと言われ、翔流は首を傾げる。  味噌汁に入れた出汁も味噌も屋敷の調理場に置いてあったものだから、味はいつもと変わらないはず。では何が違うのだろうとそこまで考えた時、翔流はアッと声を上げた。 「もしかして、具に使ったほうれん草か?」 「ほうれん草? それは、どこか特別な場所で買ってきたものか?」 「いや、ここの菜園で穫れたやつだよ。ほら、二人で花火見た日に、弄ってもいいか聞いたじゃん」  ほうれん草の出所を話すと、冬馬の目が途端に大きく開いた。 「うちの菜園? まさか、あそこで野菜が穫れたのかっ?」 「え、そうだけど」  二ヶ月前、翔流は冬馬に菜園に触る許可を貰ってから、農業を営む父に教わって土の調整を始めた。それが終わってから種や苗を植え、種類によって日光を調節したり、水の加減を見たりして、このほど漸く収穫できるまでのものに育ったのだ。 「まだ二ヶ月しか経ってないのに……」 「根菜は時間かかるけど、葉物は比較的早く成長するんだよ」 「いや、そうではなくて……すまない、ちょっと外まで行ってくる」  皿から取ったおにぎりを一口で頬張り、味噌汁を一気に煽った冬馬が、急に立ち上がって外へ出て行こうとする。そのあまりにも早すぎる動きに翔流は唖然となったが、すぐに我を取り戻して冬馬を呼び止めた。 「ちょっ、外ってどこにっ?」 「菜園だ」 「何で? ってか、おにぎり飲みこむの早っ」  渡したおにぎりはかなり大きめに作ったはずなのに、冬馬はそれを一飲みで胃に流し、さっさと出ていってしまった。  一体、何が彼をそこまで駆り立てたというのだ。翔流にはさっぱり分からなかったが、「急いでても、飯はちゃんと食っていくんだな」と思わず感心しながら後を追った。 ・ ・ ・  気怠い暑さが残る九月の半ばの風が、頬を撫でる。  だがそんな湿った空気の中でも、土の上の葉野菜は青々とした葉を茂らせ、隣にある芽吹いたばかりの大根やブロッコリーも順調な生育を見せていた。  まだ完璧とは言えないが、以前の荒れた地と比べれば雲泥の差と言えるだろう。  その菜園の前で、冬馬は月明かりに照らされながら静かに立ち尽くしていた。 「どうしたんだよ。いきなり走り出してさ」  翔流は隣に立って、冬馬の顔を覗きこむ。 「…………今まで、何度苗を植えても枯れてばかりだったのに……」  翔流の手によって復活しつつある菜園を見て、冬馬がぽつりと呟いた。 「ああ、確か冬馬も前に植えてみたって言ってたよな。そのことなんだけどさ、植えてもすぐ枯れたのは土のせいだったんだって」 「土?」 「ここの菜園、農薬がほとんど使われてなかったって親父が言ってた」  二ヶ月前、冬馬に許可を貰って屋敷に入った翔流の父は、菜園の状況と土を見てすぐに作物が育たない原因を突き止めた。  強い農薬や化学肥料を使わない菜園は害虫が寄ってきやすいため、作物がすぐに荒れてしまう。葉野菜なんて一日でも放って置けば虫に食われてボロボロだ。だから毎日、きちんとした知識で管理しなければいけない。 「農薬なしで育てるって、野菜農家の人間でも大変らしいぜ。だから冬馬が失敗したのも、仕方がないって」 「そうだったのか……」  初めて知ったという顔をしながら、頭を出したばかりの根野菜を見つめている。翔流は冬馬の横顔を眺めつつ、ふと気になったことを尋ねた。 「なぁ、さっきさ、ここの野菜を食べて懐かしいって言ったよな? それって、この菜園の野菜をよく食べてたってこと?」 「ああ、うちでの食事に使う野菜は、全てここで収穫したものばかりだった」 「そっか。じゃあ、冬馬はこの菜園の管理人に感謝しないとな」 「感謝? どうしてだ?」 「さっきも言ったけど、農薬を極力使わないで育てるのって本当に難しいんだぜ。こんなに広い畑を手入れするのだって大変だし」 「確かに菜園の世話は毎日やっていたみたいだが、それが唯一の趣味だったし……」  まるで手入れをしていたのが当然だったという口振りで、当時の状況を話す。  それを聞いた翔流は膝を上げ、冬馬の太腿を軽く蹴った。 「バカ言ってんじゃねぇよ。趣味ってだけで、そこまでできるか。ここで野菜を作ってた人はな、冬馬の健康を考えながら毎日世話してたんだよ」 「俺の健康を……?」 「そう。野菜ってのは、やっぱ無農薬の方が身体にいいからさ。きっと少しでもいいもの食べて、冬馬にいつまでも元気でいて欲しいって願ってたんだと思うぜ」  だから手間のかかる無農薬菜園でも、続けることができた。そう説明してやると、隣の男は驚きに目を瞠り、続けてくしゃりと表情を崩した。 「冬馬、ど、どうしたっ?」 「ここを管理していていたのは……亡くなった母だったんだ」 「冬馬の? ああ、なるほど。それなら余計に納得だな。母親って、子供のためならどんなことでも平気でこなしちまうから」  翔流は菜園を見つめながら、そう呟く。 「ここの土さ、最初凄く荒れてたんだけど、手入れしたらすぐに再生したんだ。それってお袋さんが、土の細かい部分まで気を回していたからじゃないかな」  恐らく彼の母は愛する息子のため、懸命に土の勉強をしたのだろう。目の前にあるのは物言わぬ土だが、そこからは強い愛情が伝わってくる。 「ここで野菜を作るのは大変だったと思うけど、きっとお袋さんは苦痛だなんて考えなかったと思うぜ」  隣からヒュッと息を吸う音が聞こえた。その後すぐに震えた声が翔流の耳へと届く。 「俺は……少しも気づかなかった。母が俺のためにしてくれたことを単なる趣味だと決めつけて、感謝すらしなかった……」  いつもの冬馬からは考えられない弱々しさにびっくりして見上げると、大きな身体がいきなりぐらりと揺れた。 「冬馬っ!」  慌てて手を伸ばすが間に合わず、冬馬が足元からその場に崩れる。 「おい、大丈夫かっ」  綺麗なスラックスが汚れるのも気にせず座りこむ冬馬に続いて翔流もその場に膝を着き、肩を支えながら顔を覗きこむ。  その瞬間――――目を疑った。  冬馬が、肩を震わせて泣いている。 「俺は、両親を苦々しく思っていた」 「苦々……しく?」 「生まれてからずっと将来のため、会社のためと俺に多くの制限をかけた父を疎ましく思ったことは、両手の指じゃ足りないぐらいだ。母も、俺に何かを押しつけることはなかったが、その代わり父を止めてもくれなかった」  学生時代の恋愛禁止や、父親の意向での留学予定だったことは前に聞いたから知っていたが、冬馬はその他にも多くの自由を奪われていたらしい。  友達と遊びたいと言えば塾が優先だと言われ、塾がない日も家庭教師をつけられた。テストでは一番が当たり前、進学する学校も父が決める、父の会社を継ぐ以外の夢を抱くことなんてもっての外。八方を塞がれたかのような生活に、さすがの冬馬も抗議したことがあったそうだ。  だが、母は困った顔をするだけで助けてくれることはなかったと冬馬は語る。 「両親が事故で亡くなったと知った時は、勿論悲しい気持ちが一番だった……だが心のどこかにやっと自由になれた、という気持ちもあったんだ……」  本心を告げた後、冬馬はゆっくり頭を上げ、濡れた瞳で菜園を見つめた。 「でも、俺はちゃんと愛されていたんだな」  全く気づけなかったと、後悔を吐露する冬馬に、翔流は小さく目を見開いた。  ここまで深く悔やむ姿は、初めてだ。普段から堂々とした行動ばかり見てきた翔流にとっては意外な姿に映ったが、情けないなんて思えない。 「冬馬って……優しいな」  長年抱えてきた負の感情を、母の愛を知ったことですぐに思い直すなんて、普通でもなかなかできないことだ。 「俺が優しい? そんなはずがない。俺は、親の気持ちすら理解できなかったんだぞ?」  しかし冬馬は翔流の言葉に、視線を落としたまま首を横に振る。 「今まで自分がやることは全て正しいと得意気に振る舞っていた人間が、こんなにも情けなかったとはな……これでは世間に罵られるのも当たり前だ」 「冬馬……」  自信が代名詞だった男が、自分を否定している。これはやはり連日の批判報道に、心が疲れ切ってしまっているからだろう。俯く冬馬に驚きを抱く反面、胸が痛くなった。  冬馬は罵倒を受けるべき存在ではない。それは強く言い切れるのだが、きっと今、翔流が慰めたところで冬馬の憂いは晴れないだろう。何の助けにもなれない自分の無力さに、翔流は唇を噛みながら冬馬の肩を抱き締めた。 「な、オレの言葉じゃ何の慰めにもなんないけどさ……オレは幸せだぜ」 「翔流……?」 「最初は男の恋人なんて驚いたけど、一緒に過ごして、本当の恋人みたいに優しくしてもらって……オレは幸せ者だなって思ってる」  柔らかい声色で感謝を伝えながら、いつも冬馬がしてくれているように頭を撫でてやる。 「冬馬はさ、こうやってちゃんと一人の人間を幸せにしてるんだから、今までどおり堂々としてればいいよ」 「堂々……と……」 「そう、堂々と! で、もし失敗したことが気になるんなら、二度と同じ失敗しないようにすればいいんだし、お袋さんに申し訳ないって思うんだったら今度墓参りして、その時にありがとうって言えばいいんじゃん。きっと笑って許してくれると思うぜ」  ここまで心のこもった温かな菜園を作った人間だ、怒るなんてことは絶対にないだろう。 「世間からの批判だって、冬馬がぶれなきゃいつかは収まるだろうし、それでも駄目だった時は、オレが出て行って、『オレは幸せだ!』って叫んでやるから安心しろよ」  自分が発言したところで効果があるかは分からないが、少しでも冬馬のためになるのなら、いくらでも出て行ける。そう言ってやると、腕の中で冬馬が困惑に身じろいだ。 「そんなことをしたら、翔流に迷惑が……」 「んなの今更だし、もし何かあっても冬馬が守ってくれるだろうから心配ねぇよ」  翔流が本心を伝えると、冬馬がクスリと笑った。 「翔流は……不思議な奴だな」 「オレが? どう不思議なんだよ」 「皆の前に出て行くなんて言ってることは無茶苦茶なのに、俺はその言葉に酷く安心させられる。勿論、翔流を衆目に晒すつもりは毛頭ないが、その優しさに寄り掛かってしまいそうだ」 「え、いいじゃん、寄り掛かれば」 「俺にとって甘えることは、そう簡単なことじゃない。父からずっと、人に甘えるなと言われて育ったからな」  こんな自分が誰かに教わるでもなく、自然に心を寄せられる。こんな稀有な存在は、今までどこにもいなかったと冬馬は語る。 「別に、二十四時間ずっと強くなきゃいけないわけじゃないんだし、甘えたっていいじゃん。ま、けどそれじゃ体面的に駄目だっていうんなら、オレの前だけ限定の弱虫でいろよ。誰にも言わないからさ」  外で強く生きすぎている分、自分の前だけでは広げた羽を休めて欲しい。そんな翔流の願いに、冬馬が顔を上げる。  その表情は、憑きものが落ちたかのようにさっぱりとしていた。 「弱虫か……いいかもしれないな」  どうやら普段の自分を取り戻したようだ。安心した翔流が抱擁を解こうとする。が、すぐに長い腕で逆に抱きこまれてしまった。 「翔流」 「ん?」 「ずっと分からなかったことに気づかせてくれて、ありがとう。……――――翔流に出会えて本当によかった」  身体を重ねている時のような甘い声が急に耳に滑りこんできて、翔流は思わず身体を固めた。ただ礼を言われただけなのに、どうしてこんなにも胸が奮え、ドキドキするのだ。 翔流には読み解くことはできなかったが、この高鳴りやくすぐったいような感覚もまた、冬馬の体温のように心地好く感じた。 「ん、オレも冬馬に見つけてもらえて、よかったよ」  二人は偽りの恋人という関係だけれども、出会ったことは絶対に間違いではない。  月明かりの下、最初の頃とは百八十度変わってしまった気持ちを言葉にして渡すと、冬馬は嬉しそうに微笑んで、優しいキスを一つ落としてくれた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

316人が本棚に入れています
本棚に追加