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第9話:不透明な未来の姿
机の上に並ぶ複数の小冊子を目の端にいれながら、翔流は屋敷の部屋でぼんやりと天井を眺めていた。
たまに気が向いて冊子を手に取って開いてみるが、内容が全く入ってこない。多分、一昨日のパーティーで亜輝菜から言われた言葉が、未だに頭を占領しているからだ。
いつか捨てられる。
あれは単なる売り言葉の一つだと分かっているのに、あながち間違っていないからこそ翔流の心から離れない。
そう、この偽りの関係は冬馬が飽きた時点で終わる。恐らく味方になった人間を無下にはしないだろう冬馬は、翔流を無情に斬り捨てるなんて終わり方は選ばないだろう。多分、普通に契約終了だと言われて終わるだけだ。
でもその後、自分は一体どうなるのだろう。
バイトを再開して、学費を貯めて――――。
翔流は未来を想像しながら、ふと机の上に視線を遣った。そこに並んでいるのは、様々な種類の専門学校の案内書だ。元々、翔流は高校卒業後、親の畑を継ぐつもりだったが、父から「農家は生計が苦しいから、自分の代で終わらせる」と言われてしまったため、一年のアルバイトを経た後、東京の専門学校へ進学する予定になっていた。
しかし東京の学校に通うとなれば、一人暮らしは必須。故に、例え冬馬が報酬をくれたとしても働かないわけにはいかないのだ。
そうして専門学校に通って、卒業して就職したら、そこでいい人を見つけて結婚して、子供を作って。多分、そんなどこにでもある幸せな人生を送っていくことになるだろう。
だが、そこに冬馬はいない。この先、どう頑張っても二人の人生が交じり合うことがないからだ。
唯一、可能性があるとしたら翔流がビューティージェムに就職することだが、果たしてそんなことをして冬馬は喜ぶか。考えてみたが、すぐに否という答えが出た。
過去、恋人として世間の噂となり、身体の関係まで持った人間が部下になるなんて、百害ばかりで一利もない。最悪の場合、過去のことで冬馬をゆするつもりではないのかと、周囲から疑念の目を向けられることだってありえる。そんな危険因子と、誰が繋がりを持ちたいと思うのだ。
寂しく思える部分もあるが、やはり二人が会えるのは契約終了まで。そう覚悟しておいたほうがいいだろう。
「辛いなぁ……」
「何が辛いんだ?」
「何がって……へっ?」
考えこんでいた中、急に背後から声をかけられ、翔流は驚きながら振り向く。
そこにあったのは、いつの間にか帰宅していた冬馬の姿だった。
「うわっ、びっくりし……いてっ」
驚いた弾みで座っていたソファーから立ち上がると、一昨日捻った足に痛みが走った。
「おい、怪我がまだ治ってないのに、急に立ち上がるな」
「冬馬が驚かせるからだろ? いててて……で、今日はもう仕事終わったのか?」
ソファーに座り直し、改めて身体を冬馬の方に向ける。
「ああ、予定が一件キャンセルになってな。そしたら梶浦に、帰れる時には帰れと言われ、社を追い出された」
帰されたことがやや不服だったのだろう、冬馬が面白くなさげな顔を見せる。
「社長を追い出すとは、梶浦さんやるなぁ」
「何だ、翔流は梶浦の味方か?」
「別に、そういうわけじゃねぇよ?」
ただ、一昨日の一件で梶浦の印象が変わったことは確かだが。
「……怪しいな」
しかし、そのことを知らない冬馬は、訝しげな視線をこちらに送ってきた。
「まさか俺という恋人がいながら、他の男に心を奪われてるんじゃないだろうな?」
着ていたスーツの上着とネクタイをソファーの背に掛け、シャツの首元を開けた冬馬が、翔流の隣に座りながらこちらをじとりと睨む。
「はぁ? んなわけねぇだろ」
「本当か? 俺が帰れないのをいいことに、梶浦と不貞を働いてるんじゃないのか?」
「アホか! ……あ、どうせまた不倫ものの本読んだんだろっ? お前な、家にいる奥さんが夫の部下と昼下がりにエッチするなんて話が、そこらへんにぽんぽこ落ちてると思うなよ!」
翔流は咄嗟に机の上のパンフレットを手に取り、丸めて冬馬の頭をポコンと叩いた。
たまに冬馬は、勉強のためにと読んだ恋愛小説に強い影響を受ける。つい先日も、自分が不在の間に訪れた宅配業者に襲われなかったかと本気で疑われた挙げ句、服を剥かれて身体検査された。勉強熱心なのはいいが、いい加減、現実と物語の区別をつけて欲しい。
「ほぉ、商品でもある俺の頭を叩くとはいい度胸…………ん? 何だ、その冊子は」
頭を叩かれたことに文句を吐いた冬馬が、翔流が持っていたパンフレットに関心を向ける。と、すぐに手の中から丸まった冊子が引き抜かれた。
「会計士専門学校? 何だ、翔流は将来、会計士志望か?」
丸めたことで皺の寄ったパンフレットを広げ、冬馬が呟く。
「別に絶対になりたいとかじゃないよ。ただ、専門学校に行くなら就職に有利なところじゃないと、と思って……」
だから全国的に有名な学校や、資格が取れると書いてあるパンフレットを手当たり次第集めたと説明する。
「…………通うのは来年度からか?」
パンフレットを捲りながら、聞いてくる。
「そうだなぁ、元からフリーターは一年って決めてたし、何もなければそのつもりだけど」
「ということは、草隠を出ていくのか?」
「ここにはそういった学校ないからな」
「そうか……」
パンフレットを机に置き、何かを考える素振りを見せる。それから唐突にソファーにかけたスーツの上着を取ると、内ポケットからいつもの恋愛指南書を出した。
「え、今、それ必要っ?」
何も言わずに読み始める冬馬に、思わず突っ込みを入れてしまう。
どうして学校に通う話から、指南書が必要になるのだ。全く理解できず首を傾げる翔流の前で、冬馬は黙々と本に目を通している。
冬馬が指南書を読んでいる時は、呼んでも一切反応してくれない。これまでの経験で知った翔流は、とりあえず冬馬が満足するまで待った。
「――――翔流、良ければ少し菜園を見に行かないか?」
数分後、目的のページを読み終わった冬馬が、唐突に提案を持ちかけてくる。
「菜園? うん、いいよ」
別に菜園に行くぐらいなら、と頷いた翔流がソファーに手を着きながら立ち上がろうとする。しかし、すぐに冬馬に制止された。
「無理して立つな、怪我に響く」
「でも立たないと……」
菜園には行けない。再びソファーに座らされた翔流が疑問を投げると、次の瞬間、冬馬の逞しい腕が背中と膝の下に回され、そのまま持ち上げられた。
「ちょ、別にオレ歩けるし! 重いだろっ」
「重くなんてない。それに怪我を気遣って、お姫様抱っこするのは恋人の役目だ」
素直に運ばれておけと言われ、翔流は唇を尖らせる。
男なのに男に抱き上げられるなんて恥ずかしさの極みだ。が、指南書に書いてあったことを実行するということは、冬馬にとって何かしらの意味があるはず。
「……分かったよ。でも、落とすなよ」
「俺の腕力を見くびるな」
自分を信用してないのかと膨れつつも、冬馬は翔流を抱く腕の力をちゃんと強めてくれる。たったそれだけで大切にしてくれているのだと感じた翔流は、嬉しさにはにかみながら冬馬の肩に頬を擦り寄せた。
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