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第1話:暴君登場
都心から二時間ほど電車とバスを乗り継いだ場所に、草隠町という名の田舎町がある。
総人口は一万人弱。町民の多くが農業や商店に従事しながら、慎ましやかに暮らす町だ。
この町の特徴といえば、とにかく何もないこと。逆に出てくることは道を歩くと猪と遭遇するとか、夜には蛙の大合唱が聞けるなんていう田舎のあるある話ばかり。最寄りのコンビニまで車で十五分は、まだ幸せなほうだ。
辛うじて田舎らしくないことを挙げるなら、『この町はギリギリ関東圏内で、地方の割に目立った方言がない』なのだが、それが自慢になるかどうか。
しかし、そんな典型的な田舎町にも、たった一つだけ声を大にして誇れることがあった。
不動冬馬、二十八歳。
全国区で名が通る男性用化粧品会社・ビューティージェムの社長であり、タレント業も成功させているという、絵に描いたような勝ち組男がこの町に住んでいるのだ。
ただ――――その話は別として、神尾翔流にはどうしても分からないことがあった。
何故、毎日テレビに出突っ張りの名物男が、こんな田舎の寂れたあぜ道の中、真っ直ぐこちらに向かって来るのだ。
三十人はいるだろう報道陣を引き連れて。
「ああ、やっと見つけた」
長い手足を優雅に揺らし、翔流の目の前までやってきた冬馬が、知性を感じさせる切れ長の双眸を緩めて微笑む。
高い鼻梁に引き締まった唇。顔立ちだけ見れば冷淡で素っ気なさそうに映るも、落ち着いたグレイッシュブラウンの髪が印象を和らげているのか、さほど怖くは感じない。
だが、それを前にしたところで頭に浮かぶ疑問符の山は消えてくれなかった。どうして自分は初対面にも関わらず、あたかも友達のように話しかけられたのだ。
当然、こちらは有名人である彼のことを知っているが、向こうはこちらを知らないはず。
混乱していると突然、名物男の腕がこちらに向かって伸びてきて、翔流は思いきり抱き締められた。
「へ? ほ、ぇ?」
我ながら情けない声だったと思う。しかし後悔を口にするよりも先に、声調が一気に下がった低い声が耳に滑りこんできて、翔流の言葉を止めた。
「お前、名前と歳は?」
「え、神尾……翔流、十九歳だけど……」
「分かった。では翔流、お前は今から一切喋るなよ。いいな?」
男の言葉が頭一つ分上の位置から、直接脳に流れこんできたのかと思った。それぐらい絶対零度かつ威圧感たっぷりの声に、間違いなく脅しが混ざっていると直感した翔流は、背筋を震わせながら無言で頷く。
「よし、それでいい」
翔流の返答を受け取った冬馬が、満足そうに微笑を零してから抱擁を解く。そして再び報道陣の方を向くと、また意味不明なことを口にした。
「皆さん、お待たせしました。彼が先程お話しした相手です」
その瞬間、報道陣の驚きの声と同時に、こちらに向けられたカメラが一斉にフラッシュを焚き始めた。
「え、ちょっ」
連続で襲ってくる閃光が、目を閉じても瞼の裏にまで入ってくる。あまりの光の強さに気分が悪くなり、立ちくらみまで起こしたが今の翔流は、それどころではなかった。
何故自分は今、何十台とあるカメラに撮られているのだ。
「不動社長、確認させていただきますが、御相手の方は……男性、ですよね?」
「ええ、見てのとおり」
小さなボイスレコーダーを向ける女性記者に、冬馬が柔らかな声で答える。
先程、頬に傷のある強面ですら怯えるだろう鋭い声を放った男は、一体どこに行った。冬馬に『一切喋るな』と言われ、素直に言うことをきいている翔流は、精一杯の皮肉をこめて口角を引き攣らせる。
けれど、やはり冬馬達が何について話をしているのか、さっぱり検討がつかない。
いい加減、こちらにも説明してくれないだろうか。零れそうになる溜息を押さえつつ遣り取りを見つめていると、翔流が知りたいと願った答えは、冬馬と話していた記者からあっさりと生まれた。
「では、不動社長の恋人はこの少年で、お二人は同性同士で愛し合っているということで、間違いないですか?」
今、何と言った。
コイビト、鯉人、濃い人。頭の中で様々な文字が流れていくのは、恐らく、本人よりも先に危機を察知した本能が、無意識に正解を出すことを拒んだからだろう。
同時に頭の中で、警告音がガンガン響いた。
これは雲行きが怪しいなんていう程度の話ではない。多分、いや、絶対に今すぐここから逃げたほうがいい。
翔流は迫る暗雲を恐れ、後退しようとする。しかし――――。
「なっ……!」
風のごとき早さで伸ばされた男の腕によって、逃亡計画は一秒で終了した。
「間違いありません。翔流は僕の大切な人で……心から愛している恋人です」
この男は背中に目でもついているのか。心の中で突っこんでいるうちに、再度たくましい体躯に抱き締められる。
また、多くのフラッシュが焚かれた。
今度は目前に男の胸板があるため眩しくはなかったが、状況は先刻よりも悪化しているのが明確に分かる。
だが正直これ以上、自分の置かれた事態について何も考えたくない。というか、今すぐ意識を失い、そして起きた時には全てが夢でしたという落ちにしてほしい。
名物男の突拍子もない言動により正常な思考を放棄した頭は、現実逃避ばかりを選んで一つも解決策を講じてはくれなかった。
そんな翔流はその後、冬馬に引きずられるようにして場を後にしたらしいのだが、勿論、記憶には一切残っていなかったという。
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