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「ホンっっトありがとう、まさかうちの生徒に救われることになるなんて……」
カウンター席についた後、ほどなくして、注文した丼が運ばれてくる。それを合図に、改めて隣の少年に頭を下げた。
「お金は明日、すぐ返すね。……えーっと、クラスと名前聞いてもいいかな」
「1-Cの満月です」
「みつきさん、ね。ごめん、まだ一年生は覚えきれてなくてさ」
「別に、いいです」
少年は割りばしを取ってふたつに割る。僕も同じく箸を手に取った、が、食べるより先に、尋ねずにはいられないことがあった。
「ところでさ……これ、晩ご飯?」
「そうです」
「うーん、そっか……家で食べないの?」
「はい」
「……いつも?」
「バイトで廃棄するやつをかっぱら……もらえた日は、家で食います」
かっぱらってるのかあ。思わず苦笑した。少年の淡々とした口調にどこか威圧的なものを感じていたが、一応、僕のことを教師として認識はしてくれているらしい。表立って言いたくないこともあるだろう。そこには、目をつぶった。僕は彼の担任でもなければ、生活指導担当でもない。けれど、どうしても見過ごすことのできない点が一つある。
「成長期なんだから、もっとバランスよく食べた方がいいよ。あ、そうだ、野菜も追加しよっか。最近は牛丼屋も進んでて……」
「しよっかって、出すの、僕ですよね」
「あ」
「先生が食いたいなら、追加で貸しますけど」
「あはは……」
完全に言い負かされ、あいまいに笑顔を作るしかない。生徒に大きな負い目がある状況で、教師っぽく振る舞うというのはそこそこ難しいなと思った。そもそも「教師面をすること」はあまり得意じゃない。生徒とは友達みたいな距離感で接しているし、他教科に比べれば授業内容のレベルも易しめだ。近況報告をし合っている大学の友人からは「あっちゃんって生徒から人気ありそう~」なんて言われるけれど、実際のところは、単に「脅威の対象でない」というだけのことだ。それでも、嫌われる要素は多くはないはずだと信じて生徒と向き合ってきた。
少しはつられて笑ってくれればいいものを、と、祈りながら米を口に運ぶ。少年はちらりとも笑おうとしない。
「……まあ、先生が心配するのは分かりますよ」
「えっ」
「けど、何かしら食ってさえいれば、死にはしませんから」
心臓のど真ん中に、その言葉が、まっすぐに突き刺さる思いがした。箸と椀を握った手が少し震える。そのとおり、食べていれば死なないのだ。……けれど、僕は。
「そ、そうは言ってもさ、好物とかないの?」
「……好物? ……魚ですかね」
「へえ、魚!」
思いがけず、まともな返答。うっかり喜んだ。そのまま卓上のメニュー表に目を走らせる。
「あ、焼き魚定食もあるんだ。こっちの方が栄養は採れると思うんだけどな……量もありそうだし」
「いや、高いんで」
「え?」
僕が聞き返すのとほとんど同時に少年は立ち上がった。
「帰ります」
気づけば、彼の皿は綺麗に空になっていた。行儀よくそろえられた割り箸が、丼の上に置かれている。重そうなスクールバッグが少年の肩に引っ掛けられ、ブレザーに、ぎゅっとしわが寄った。
「明日、昼。中庭で待ってます」
「……え、うん、分かった」
「さよーなら」
「さよなら……、あっ、帰り道、気をつけて!」
取ってつけたような僕の言葉をするりとかわすように、その後ろ姿は、あっという間に自動ドアの向こうへと消えてしまった。
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