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花 葬
なにも言っていないのに、どうして婆は自分の正体を見抜いたのか、葉那子にはわからない。それにちゃんと喋れるのに、男たちの前では、ウーとか、アーとか、喋れない態を演じている理由も少女には不思議だった。
その日。
男たちは二台の車で買い出しと給油に出掛けていたようである。建物の中には、野球帽をかぶった青年が、見張り役として残っている。まだあどけない顔で、野球帽を深めにかぶっていた。男たちが、直接少女と顔を合わせることを避けていたのは“面が割れる”ことを恐れていたのだが、葉那子はそれを知らない。口が利けない婆は格好の世話係だったのだろう。
夕飯の準備と掃除に婆がかかりっきりの間、葉那子は寝ていた。横になって休んでおくようにと婆から何度も念を押されていた。
車の音が聴こえてきた。
男たちが帰ってきたらしい。一度、部屋に現れて少女の寝息を確かめてから、戻っていった。もっとも葉那子は眠ってはいなかったが、婆から『秘密の計画があるから』と告げられていた。
キッチンで男たちが騒いでいる声が聴こえてくる。いつもよりは賑やかで、なにかいいことがあったのか、酒を飲んではしゃいでいるらしかった。
ほどなく婆が部屋にやってきた。
黙って、若い男がかぶっていた野球帽と大きな紙袋を少女に手渡した。
「着替えを持ってきた┅┅あとで、これを着て!い~い?わかった?その未来ちゃんのドレスを脱ぐのよ┅┅ねえ、ほんとの名、教えてくれる?」
婆が言った。
一瞬、きょとんとしてから、少女は
「は、な、こ」
と、つぶやいた。
「あ!」
しゃっくりのような声だった。目を見開いて、じっと喰い入るように少女を見つめた。驚いているのか、しばらくの間、身動ぎもしないで、大きなため息を洩らした。
「どんな字だい?」
やっと喋り出した婆は、先刻より緊張しているように見えた。少女は人差し指で、ほこりのたまった床の上に字をなぞってみせた。その指の動きを見ていた婆は、もう一度、ハアッとため息をついた。
そのとき、葉那子は気づいた。昼間に婆は花言葉がどうだこうだと憎々しげに言っていたはずである。きっと、花が嫌いなのだ。そう思ったとたん、少女は口走っていた。
「お花、嫌いなの?」
すると、婆は何も答えずに、「あいつらに酒を運んだら、またのぞきにくるよ」と、言い残して出ていった。
葉那子は無性に悲しくなった。
花が嫌いな婆には、葉那子という名を持つ者も、きっと気に入らないだろう┅┅、そう考えただけで、うっすらと涙がにじんだ。
渡された紙袋のなかには、運動靴、古着らしい子ども用のジーンズとシャツ、それに袖のないアウターベストが入っていた。ベストの胸には、警察官がつけるような銀色のバッチがついていた。星形で“Sheriff”の文字があったが、少女には意味が判らない。まずは男の子に変装しろということなのだろうか┅┅。
着替えてから横になっているうちに、葉那子は寝入っていたようだ。
人の気配がして目をあけると、覗き込んでいる婆の息を感じた。
「まだだよ。あと二時間。やつらが寝入ってから、ここを出るよ。睡眠薬が足りなくて、効き目が遅いようだから」
そんなことを婆はつぶやいたあとで、
「あのね、花は嫌いじゃないの。でも、いい思い出がないだけ」
と、喋り出した。
「┅┅娘がいたの、春奈という名の。フラワーショップ、そうよ、お花屋さんをしてたのよ。もう、いまは、死んでしまったけど。娘が好きだった花をいっぱい棺桶につめて、サヨナラしたの┅┅」
それを聴いて、葉那子は何も言えなかった。それから婆は、トイレをすませておくようにと告げて、葉那子が脱ぎ捨てたドレスを拾い上げた。
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