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珍 客
カサカサと葉の裏からいきなり這い出てきた亀虫を眺めていると、ふいに蜥蜴がそのすぐ上まで垂れている金糸梅の葉をゆっくりと伝いながら降りてきた。カサカサ、とは聴こえない。なにも音はしないのだが、葉那子はしゃがんだまま、じっと成り行きを窺っていた。虫や小さな生き物は嫌いではない。二年前の春、家の台所で黒い可愛い虫を手に掴んで見せたら、『きゃあ!』と腰を抜かしたママは、『ゴキブリなんか、触っちゃダメ!』と叫び出し、それからこっぴどく叱られたこともある。でも、いまだになぜ怒られたのか、不思議で仕方なかった。
もうすぐ十歳になる葉那子は、シングルマザーのママと二人暮らし。でも、知らない山奥のこじゃれた別荘に無理やり連れてこられて三日経った。
一人で居るのに慣れていたせいか、そんなに怖さは感じなかった。知らない大人の男が頻繁に出入りしていたが、食事を造ってくれる婆と呼ばれている女の人が、やさしく接してくれるもので、それだけで葉那子の気持ちは落ち着く。
ママよりは年上かもしれないが、お婆さんではないように見えた。声も知らない。どうやら婆は喋れないようだった。
首にピンク色の薄手のマフラーのようなものを巻いていた。ときおり、婆は、葉那子の様子を見にきてくれる。下着の着替えを見守っていたり、洗濯もしてくれる。一日に何度も頭を撫でられた。やや細長い双眸のなかに、こちらを慈しむような淡くゆらぐ光が、葉那子を落ち着かせてくれるのだ。婆は泣いていたのかもしれず、かわいそうにと思う気持ちが、陽光のように反射して葉那子のからだを包み込んでいたのかもしれなかった。
なぜ、連れてこられたのか。薄々、葉那子は気づいていた。男たちが、『金はまだか!』とか、『伝わっているのか!』などとヒソヒソ話していたのを聴いたとき、葉那子は、ああ、と思い当たった。
ママが家政婦として勤めている大金持ちの海原家の一人娘、未来ちゃんと間違われたのだと、葉那子はおもった。着ているおしゃれなドレスは、未来のお下がりだ。つい着てみたくなって、自慢気に公園を一人で練り歩いたからだろう。そんなことを葉那子はおもった。このことを婆に伝えたら、家に帰してくれるだろうか。でも、まだ、その決断がつかない┅┅。
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