猫には内緒でキスをしよう

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「ごめん、いきなり泊めてもらって……」 「いや、いいけどさ。狭いぜ、ウチ」  正直な千葉の言う通り、彼の下宿の部屋は6畳半ほどしかなかったが、会社の対して広くもない寮での生活に慣れている光にはどうということはなかった。靴を脱いで上がり込み、「スーツかけてやるから」と言われて上着を脱いだ。 「珍しいな。お前がここまで飲むの」 「……」  あの、衝撃的な光景を目にしたあと。どうしてもそのまま帰れなくて、千葉に無理を言ってもう一軒寄り、終電をのがして泊めてもらうことになった。大学時代はよく光の暮らすアパートに千葉を泊めたので、千葉も嫌とは言わなかった。 「なんかあったんか?」 「……別に……」  ないわけが、ない。誰よりも信頼し、よく知っていると思っていた先輩が、男に抱かれて歩いていくところを見てしまったのだから。あきらかに友人の一線を越えて、何かがある関係のふたりだった。男のほうはよく見えなかったが、身なりの良いスーツを着ていたことはわかった。今日は金曜の夜、つまり、それって……。 「あー!!」 「!? なんだよ、いきなり」  耐えきれなくなって光が叫ぶと、あれこれ積まれた本を片付けて寝床を用意していた千葉がびくっと反応した。あわてて取り繕って首を振る。いけない、いけない。 「……や、なんでもない……ごめん」 「怖えって。これ着ていいから、顔洗って寝な?」 「ん……」  ワイシャツ姿になった光に、意外と面倒見の良い千葉が部屋着を貸してくれる。千葉よりも光は背が高く手足が長いので若干サイズが小さかったが、おとなしくそれを着て顔を洗う。まだ頭がぐらぐらしていた。 (嘘だ……)  自分が見た光景を、なかったことにしたい。だって自分は、何も知らなかった。知ったつもりでいて、先輩のことを何も。あんな顔で笑うんだ、猫の餌なんて買うんだ、ってことは猫を飼ってる……? そんな話も、一度も聞いたことがなかった。 (嘘だ、嘘だ)  ばしゃばしゃと顔に水をかけて、鏡を見る。そこには、昨日まで信じていた世界がまるでひっくり返ってしまったような、途方に暮れた男が映っていた。 「……はぁ……」    月曜から、どう接したらいいだろう。僕は何も見なかったと、何も知らないままのふりをして、隣で笑えるだろうか? というかどうして自分はこんなに取り乱しているのだろう。ただ、先輩の知らない一面をたまたま目撃してしまっただけなのに。 「なんだよ、えらく落ち込んでんな。失恋でもしたか?」 「!! な……っ、ちが、違うって!」 「いやムキになるとこじゃねーだろ。早く寝ろ、いいから」 「……うん……」  千葉が貸してくれたのは布団ではなく、たまに一人でキャンプする時に使うという寝袋だった。なんだこりゃ、と思いながら潜り込むと意外と居心地が良くて。全身を柔らかい綿に包まれて、光は目を閉じる。浮かんでくるのは、どうしたってさっきの光景で。 (先輩……)  知らなかった。知りたくなかった。他の男とあんなふうに笑い合うあなたを、見たくなんかなかったんです。それが何を意味するのかもわからないまま、まぶたの裏ににじむ涙をこらえて、光は眠った。
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