何某は阿呆

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何某は阿呆

異世界転移というものがある。 なるほど、摩訶不思議の神秘によって異界に飛ばされる。そこで、並々ならぬ力を手に入れ、最強となって世界を救う。 あまりにも素晴らしい冒険譚。 「あぁ、神よ。しかしながら人は選ぶべきです」 僕の名は寺田文彦。 柳大学文学部人文学科に在籍する阿呆の一人。 日々を自暴自堕落に生き、身を粉にして働く人々を時の無駄、気の間違いと嘲笑う本物阿呆。 「そんな僕が異世界転移とは…」 青空に広がる蒼穹。 何も無い空間を自在に飛び回る冷たい風。 「事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもの。 これは予想外だ。 しかし奇は小説だけで良いという僕の主張は間違っていなかったわけだ。 吉岡の馬鹿め。君が僕の立場であれば泣いて元の世界に戻せと喚き散らしていただろう」 僕は泣かない。 日々を妄想の中で過ごす僕にとって奇は親しき友であり、隣人である。故に僕の頬を伝う涙は妄想が現実となってしまった嘆きの涙である。 「あぁ、決して怖いから泣いてるとか、両親に会えなくなって寂しいとか、野良猫のタマに会えないとか考えているわけではない」 落ち着こう。 先ずは衣食住を手に入れることを意識しなければならない。サバイバルなど縁遠いが、食が一番重要であるのは明白。 「川を探すか」 しかしフラフラと歩いていても川は見つからない。 食べ物を探しつつ川を探し、街や村を探すとしよう。 「しかし異世界か。 ふむ、異世界転移となれば舞台が中世ヨーロッパと相場が決まっている。そして常人では理解の及ばない細かい設定は魔法がどうにかしてくれるため僕の理解が及ばない範囲は少ないだろう」 これでもウェブ小説はたくさん読んできたのだ。最強系でも脇役系でも悪役令嬢系でもダンジョンマスター系でもダークヒーロー系でも勘違い系でも内政系でも魔物系でも死に戻り系でも落ちこぼれ系でも問題無く順応してみせる自信はある。 「ふふふ、僕を甘く見てもらっちゃ困るのだ」 おや、何だか胸の辺りが痛いぞ。 視線を下げれば、見えるのは僕の胸から生えた剣。 はて? 何時の間に胸から剣をを生やすなどという能力を手に入れたのか。 神様が気を利かせたにしては付与する能力が雑だ。 私なら死ねば死ぬほど強くなる能力を付与するね。その方が主人公の苦悩とか見れて面白いじゃないか。まぁ、最後の方になると簡単に死んじゃうから、恐怖心とか増大させるギミックを作るけど…。 「不意打ち成功だァ!!」 なんか後ろから声がする。 振り返ると鎧姿の女の子が私に剣を刺していた。背後には色々と豊満な女性が慌てた様子でコチラを見ている。 なるほど、私を刺したのはこの女の子か。 「ふむ、これは何系になるのかね?」 できれば死に戻りを願おう。 じゃないとこのままバットエンドだ。 僕の意識はそんな阿呆の思考と共に消えていく。 ▼▼▼ 目を開くと知らない天井が見えた。 星があって部屋を暗くすると光る天井じゃない。木白くもないので大学の机でも無いだろう。青空でもない事から大学の屋上に勝手に持ち込んだ布団でもない。 「夢じゃないのか。 ふっ、まぁ夢を現実だと勘違いするほど僕は馬鹿じゃない」 上体を起こせば古びた部屋の一室。百均で買えそうな粗悪なベットの傍らには僕を刺した少女が椅子に座って寝ている。 「起きろ、人殺し」 僕は長年鉛筆やシャーペンを持つことによって鍛えた指で少女の額にデコピンを食らわしてやる。 「うへっ!ふにゃぁ〜」 少女が驚いた声を上げると寝ぼけ眼でベットに倒れ込んだ上体を起こす。 「ふぁ〜〜、はっ!」 少女はコチラに気付くと椅子を倒しながら身を引いて綺麗な土下座を披露する。美しい形だ。異世界にも土下座があるのだな。 しかし、土下座を上手いと思ったのは初めてだな。 「まぁ、謝っているのだろうが許さん」 「何で?!」 「土下座が美しい。 それはつまり貴様が何度も土下座をしているということ。僕に剣を刺した他にも土下座をするほどの数々の悪事を働いているのだろう。 そんな大悪人を許す僕ではない」 「話が飛躍し過ぎじゃないのかなぁ!!」 「僕は正義の使者だ。 悪人は罰せられるべきだろう。今すぐ死ね」 「横暴だ!」 「貴様は自分を殺しに来た相手を許せるのか?」 「うぐ…それは…」 「許せんだろう。僕も許せない」 「だ、だからこうして謝っているんじゃないか…」 「謝って許されるなら僕がここで君を殴り殺しても謝れば許してもらえるわけだ」 「怖いっ!」 僕と少女が言い争っていると扉がガチャりと開いて色々と豊満な女性が入ってくる。金髪を腰まで伸ばし、穏やかそうな暖かい印象を持つ女性だ。 「あぁ、起きたんですね。 刺した瞬間にコチラで回復魔法を使い、傷口を塞いだので傷が残ることもありません。 今回、コチラの不手際で貴方を刺してしまって本当に申し訳ありません」 女性はコチラに近づき、少女と並んで土下座をする。 「ふむ…許そう」 「何で?!」 横にいた少女が声を荒らげる。 「何って…胸が大きいからだ」 「お前最低だ!!」 「自覚はあるが他人から言われると腹立つな」 「この人、本当に最低だ…」 少女はドン引きしたように顔を引き攣らせている。 最低とは失礼な奴だ。そういうのは胸の内にしまっておくものだろう。 「それで、君達は誰で此処は何処なのか、詳細な説明を要求するが、良いかな?」 「はい。 此処はラディアナ王国の王都。大通りから少し離れた『精霊の庭』と呼ばれるギルドの医務室です。 私の名前はティア・メリアーネ。ゴールドランクの冒険者です。この子がはフリア・クロースチカ。まだブロンズランクの冒険者です」 「ふむ…それで? 何故僕はそこの阿呆に殺されそうになったのだ?」 「えぇと…それは…」 「だってさぁ!レイスだと思ったんだもん! 変な格好してるし!存在自体が陰鬱な感じだし!病的に肌が青白いし!ブツブツ呟いてて気持ち悪いし! 誰だって間違えるよ!」 出てくるのは悪口のオンパレード。 此奴は僕に恨みでもあるのだろうか。 「レイスの特徴を伝える前に突っ込んだのは貴女です。私の話をちゃんと聞いていればこんな事になりませんでした」 「ご、こめんなさい」 「まぁ、この子の言った通りで、レイス討伐に向かっていたのですが、道中貴方を見つけてレイスと勘違いしてしまったみたいで…」 「死霊と間違えられるとは…」 勘違いをしてしまうほど僕は幽霊では無いはずだ。 確かにこの世界では馴染みが無いだろう和服に身を包み、日々の寝不足によって目の下には隈ができており、引きこもり生活をしているため人より少しだけ肌が白いかもしれないが、死霊と間違われるほどでは無い。 しかし、アクシデントが起こってしまったが、結果的に街には来れたわけで、そこについては彼女達の評価を上げてやろう。 「でもさー。何も持ってないし、明らかに不自然だったじゃん。 間違えてもおかしくないと思う!」 「いいえ、間違えません! でも確かに鎧も着ていませんでしたね。何をされていたのですか?」 さて、答えに困る質問だ。 此処で『異世界から来たんです』と言っても頭がおかしいと思われるだけだ。それは回避せねばなるまい。 「ふむ…寝るか」 「何で?!」 「眠いからだ」 「明らかに答えに困ってたよね!」 五月蝿い少女だ。読んで字のごとく、五月に飛び交う蠅のようだ。 僕は袖から万年筆を取り出して『空に文字を書く』。 『我が眠りを妨げる者に罰を』 文字を書くと同時に少女の声が聞こえなくなる。 持続時間三分という短い間だが、少女がどれだけ騒いでも声は響かない。 それに気づいた少女は必死に声を上げるが無駄なものは無駄なのだ。 ティアも慌てているが全て無視して眠りにつく。 …………異世界でも能力は使えるのか。 ま、使えたところで役に立たない能力だから、気にする必要はないか。 ベットは粗悪だが問題無い。 僕は直ぐに眠りにつく。
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