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東京の地理に疎い啓子には説明されてもよくわからないところもあったが、行ってみるとたしかに下町風情の残る、雑多な印象の地区だった。歩道もなく、車2台が擦れ違える程度の幅の道路が複雑に入り組んでいる。初めてとは思えない懐かしさを感じた。色とりどりの傘のなかには小さな子ども用のものも多く見られた。
「なんか昭和っぽい」
「ああ、そうだろ。でも、たぶんこれから変わっていくんだろうな、このへんも」
西澤の横顔を見ると、やはりいつもより表情がかなり険しい。
「まだ物理までは行ってないみたいやね」
「え、ああ、英語くらいか。いや、国語かな」
「どっちが得意だった?」
「国語。英語は、教師が嫌いだった。まあ、教師はみんな嫌いだけど」
「ということは、まだまだこれから悪化していくってことやね」
「そうそう。あー、今日は鮨桶ふたつだな、人数からすると。啓ちゃん、面白くないと思うけど、1時間ほどじっと我慢だ。聞き流しといてくれ。右から左」
「1時間でいいの?」
「それ以上続いたら、俺、キレる」
実家近くのコインパーキングに車を置き、また相合傘で玄関前に着いた。
聞いていた通り、和風の古い家屋だ。西澤の記憶にある自宅はずっとこれだったという。おそらくあと4、5年のうちには、両親と兄が建て替えて兄一家がここに同居するか、あるいはここを売却して両親が神奈川に移り住むかのどちらかになるだろうとも言っていた。
玄関ドアは洋風だったが、一歩なかに入ると、廊下の向こうには襖が見える。啓子も座敷に座ると知らされていたので、スカートのスーツを着用した。
出迎えたのは母親だった。面立ちは西澤に似ているようにも思えたが、元教師らしい厳格な雰囲気はまったく違う。微笑みも、お愛想そのものだった。
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